みなかみ紀行
若山牧水

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蓼科《たでしな》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一二〇八|米突《メートル》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《かげ》つた

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひし/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 十月十四日午前六時沼津發、東京通過、其處よりM―、K―、の兩青年を伴ひ、夜八時信州北佐久郡御代田驛に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌會に出席せんためである。驛にはS―、O―、兩君が新聞社の人と自動車で出迎へてゐた。大勢それに乘つて岩村田町に向ふ。高原の闇を吹く風がひし/\と顏に當る。佐久ホテルへ投宿。
 翌朝、まだ日も出ないうちからM―君たちは起きて騷いでゐる。永年あこがれてゐた山の國信州へ來たといふので、寢てゐられないらしい。M―は東海道の海岸、K―は畿内平原の生れである。
「あれが淺間、こちらが蓼科《たでしな》、その向うが八ヶ岳、此處からは見えないがこの方角に千曲川《ちくまがは》が流れてゐるのです。」
 と土地生れのS―、O―の兩人があれこれと教へて居る。四人とも我等が歌の結社創作社社中の人たちである。今朝もかなりに寒く、近くで頻りに山羊の鳴くのが聞えてゐた。
 私の起きた時には急に霧がおりて來たが、やがて晴れて、見事な日和になつた。遠くの山、ツイ其處に見ゆる落葉松《からまつ》の森、障子をあけて見て居ると、いかにも高原の此處に來てゐる氣持になる。私にとつて岩村田は七八年振りの地であつた。
 お茶の時に山羊の乳を持つて來た。
「あれのだネ。」
 と、皆がその鳴聲に耳を澄ます。
 會の始まるまで、と皆の散歩に出たあと、私は近くの床屋で髮を刈つた。今日は日曜、土地の小學校の運動會があり、また三杉磯一行の相撲があるとかで、その店もこんでゐた。床屋の内儀が來る客をみな部屋に招じて炬燵に入れ、茶をすすめて居るのが珍しかつた。
 歌會は新聞社の二階で開かれた。新築の明るい部屋で、麗らかに日がさし入り、階下に響く印刷機械の音も醉つて居る樣な
次へ
全35ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング