にあがつた鰺《あぢ》の三杯など。
 蜜柑。これも先づ果物として考へ易い。硬い樣な、黒い樣な葉のかげにまんまろくうす赤い實のなつてゐるのを見るのもわるくはないが、柿や柚子と違つて何となく冷たい。
 柚子、柿、蜜柑、夏蜜柑、いづれもみな今が花どきである。
『晝はさうでもないが、夜は蜜柑の花の匂ひで庭はたいへんネ』昨日か、妻が言つてゐた。夜はわたしは庭までも出たことがない。然し晝間は三四度づつも此等の木の間をさまよふ。
 柘榴《ざくろ》もいまたくさんな蕾をつけて居る。一本はやゝ古木《こぼく》、一本はほんの若木である。古木の方は實柘榴《みざくろ》だが、わか木の方は花柘榴らしい。たくさんついてゐる蕾が甚だ大きい。柘榴の實は見るべきである。枝にあるもよく、とつて來て机の上にころがすもよい。
 梨は先づ花だけであらう。これは普通枝を棚にわたさせ、棚の下に幾つもの實が垂れてゐるといふものであるが、惜しいかなみな紙袋をかぶらされる。私は棚にもせず、袋もかぶせず、出來るなら松の木位ゐの大きさに伸び、頭大の實を結べよと祈らるゝのだが、わが庭の梨の木はまだわが長男中學一年生のたけに及ばぬのである。
 杏《あんず》と巴旦杏《はだんきやう》。杏は二本とも若木であるが、巴旦杏は本當ならいま實を結ぶわけであつた。花は咲いたが、どうもこの木、枯れるらしい。痩せてはゐるがかなりの古木で、枝ぶりもいゝのに惜しいとおもふ。杏では思ひ出す事がある。信州の松代から長野にかけ、所謂《いはゆる》善光寺だひらにこの杏が非常に多い。町家農家を問はず、戸毎に數本のこの木を植ゑて居る。で、これの花どきに小高い山に登つて平野を見下すと到る所この花で埋つてゐるのを見る。私の面白いと思つたのは、里にこれの咲く頃も山はまだ雪である。その雪の山から丁度この花のころ盛んに尾長鳥が里に出て來る。尾長鳥は羽根の美しい鳥で、そしてさほどに人に怯《お》ぢず、私の泊つてゐた松代町の宿屋の庭の木にも、また折々飮みに行つた料理屋の庭にも、ほんの縁さき窓さきの木の枝で遊んでゐた。杏の花と聞けば私はこの美しい、少し愚かげな鳥の姿を思ふのである。
 梅。これも數へれば七八本もあるであらうが多くは野梅《やばい》である。花の小さい、實の小さい、枝のこまかな梅である。豐後梅、紅梅も一本宛あるにはあるが。この木の花は正月の末ころ一りん二りんと咲くあの時がいゝ。
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