褪《あ》せながらいつまでも咲いてゐるのはわびしいものである。然し私は花よりも寧ろ實を見るのを好む。まんまろい青いのが黒い樣な枝に幾つとなくくつ着いてゐるのは愛らしい。それこそ子供たちの背丈にも及ばぬ小さな木の青葉の蔭に十も二十もなつてゐるのがある。これが黄ばんで自づと落ちる頃もいゝ。
 枇杷。この木を植ゑると家に病人が出るといふので細君など盛んに反對したが、二三本植ゑた。もう少しで實の色づくころである。この木の花は寒に咲く。そしてよくその花のそばに眼白鳥が啼いてゐる。
 桃。元來この地所は昨年まで桃畑であつたので普請《ふしん》をする時殘しておけば幾本でも殘しておけたのだが癪にさはる事がありみな伐つてしまつた。それでも隅々に十本位ゐは殘つてゐる。天津桃とかいふので、味はわるいが大きな肉の眞紅な桃である。が、あくどい花といひ、袋をかぶつた實といひ、桃は要するに子供たちの持ちである。
 山櫻の實。櫻のうちで私は山櫻を最も好む。そしてこの木は普通にはない。吉野染井などならば幾らでも手に入るのだが、私はわざ/\富士の裾野の友人に頼んで其處の山から三四本掘つて來て貰つた。中の一本が痩せてはゐるが相當の古木で、昨年も今年も實によく咲いてくれた。何ともいへない清淨な花のすがたであつた。そしてこの木に澤山の實がなつた。小さな/\まんまろい黒紫の實である。この實をとることをば父親があまりやかましく言はないので子供たちはこの木によく寄つて行つた。そして脣からヱプロンなどまで黒紫の色に染めては母親に叱られた。
 櫻桃と林檎。ともに北國の木で、この沼津の海岸には一寸思ひがけぬものである。然し林檎も花だけはきれいに咲くさうである。實も或る程度まで大きくなつて落ちるといふ。櫻桃は意外にも今年立派な實をつけた。山形秋田あたりのものに比べて、さして見劣りのせぬ實をつけたのは意外であつた。來年は十分に肥料をやらうとおもふ。
 茱萸《ぐみ》。これは茱萸としては先づ見ごとな木である。苗代茱萸でも秋茱萸でもない所謂西洋茱萸であるが、根もとから幾本かに分れて枝の茂つてゐる大きな木である。地味にふさふのだか、一度だけ肥料をやつたに葉も枝も艷々しく茂つて、それこそ無數の實を結んだ。今が丁度まつさかりの熟れどきである。親指のさきほどの圓い眞紅なのが、枝といふ枝のさきからさきにかけてぎつしりとなり枝垂《しだ》れてゐる
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