極左《きょくさ》の蠅


 その頃、不思議な病気が流行《はや》った。
 一日に五六十人の市民が、パタリパタリと死んだ。第十八世に一度姿を現わしたという「赤き死の仮面」が再び姿をかえて入りこんだのではないかと、都大路《みやこおおじ》は上を下への大騒動だった。
「きょうはこれで……六十三人目かナ」
 死屍室《しししつ》から出て来た伝染病科長は、廊下に据付《すえつ》けの桃色の昇汞水《しょうこうすい》の入った手洗の中に両手を漬《つ》けながら独り言を云った。そこへ細菌科長が通りかかった。
「おい、どうだ。ワクチンは出来たか」
「おお」と細菌科長は苦笑《にがわら》いをしながら足を停めた。「駄目、駄目、ワクチンどころか、まだ培養《ばいよう》できやせん」
「困ったな。今日は息を引取ったのが、これで六十……」
 と云おうとしたところへ、肥《ふと》っちょの看護婦がアタフタ駈けてきた。
「先生、すぐ第二十九号室へお願いします。脈が急に不整《ふととの》えになりまして……」
「よオし。すぐ行く」といって再び細菌科長の方を振りかえり、「今日はレコード破りだぞ。こんどが六十四人目だ」
「……」
 二人は反対の方角に、急ぎ足で立ち去った。
 入れかわりに、廊下をパタパタ草履《ぞうり》を鳴らしながら、警視庁の大江山《おおえやま》捜査課長と帆村《ほむら》探偵とが、肩を並べながら歩いて来た。
「……だから、こいつはどうしても犯罪だと思うのですよ、課長さん」
「そういう考えも、悪いとは云わない。しかし考えすぎとりゃせんかナ」
「それは先刻《さっき》から何度も云っていますとおり、私の自信から来ているのです。なにしろ、病人の出た場所を順序だてて調べてごらんなさい。それが普通の伝染病か、そうでないかということが、すぐ解《わか》りますよ。普通の伝染病なら、あんな風に、一つ町内に出ると、あとはもう出ないということはありません」
「しかし伝染地区が拡がってゆくところは、伝染病の特性がよく出ていると思う」
「伝染病であることは勿論《もちろん》ですが、ただ普通じゃないというところが面白いのですよ」
 二人の論争が、そこでハタと停った。彼の歩調も緩《ゆる》んだ。丁度《ちょうど》二人が目的の部屋の前に来たからである。黒い漆《うるし》をぬった札の表には、白墨《はくぼく》で「病理室」と書いてあった。
 ノックをして、二人は部屋
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