日には、その病人の息の根が止まっていた。では、あの蠅の持っている黴菌《ばいきん》というのが、あの奇病を起させたのじゃないですか」
 医学士は黙っていた。その答えは彼の領分《りょうぶん》ではなかったから。
 大江山捜査課長も黙っていた。目の前に現われた事実が、帆村の予言したところと、あまりによく一致して来たので。
「さあ大江山さん」と帆村は捜査課長を促《うなが》した。「これから、あの蠅を採取した地区を探してみるのです。もっと大胆な推定を下すならば、犯人は沢山の蠅を飼育し、その一匹一匹に病原菌を持たせて、市民に移していったのです。犯人は、あの奇病の流行した地区の幾何学的《きかがくてき》中心附近に必ず住んでいるに違いありません。さあ行きましょう。行って、その間接の殺人魔を捉《とら》えるのです」
 二人は病理学研究室を飛び出すと、すぐに自動車を拾った。いわゆる奇病発生地区の幾何学的中心地が、帆村の手で苦もなく探し出された。
 二人が、チンドン屋の寅太郎《とらたろう》という、いつも手甲《てこう》脚絆《きゃはん》に大石良雄《おおいしよしお》を気取って歩く男を捉えたのは、それから間もなくの出来ごとだった。その寅太郎の遂《つい》に自白したところによると、彼こそ正《まさ》しくその犯人だった。極左の一人として残る医学士の彼が、蠅に黴菌を背負わして、この恐ろしい犯行を続けていたことが明かになった。ねじけた彼にとって、市民をやっつけることは、またとない悦《よろこ》びだったのだ。彼が丹精《たんせい》して飼育したその毒蠅は、チンドンと鳴らして歩くその太鼓《たいこ》の中にウジャウジャ発見された。彼が右手にもった桴《ばち》で太鼓の皮をドーンと叩くと、胴の上に設けられてある小さい孔《あな》から、蠅が一匹ずつ、外へ飛び出す仕掛けになっていた。
 彼の検挙によって、例の奇病が跡を絶ったのは云うまでもない。


   第三話 動かぬ蠅


 好《す》き者《もの》の目賀野千吉《めがのせんきち》は、或る秘密の映画観賞会員の一人だった。
 一体そうした秘密映画というものは、一と通りの仕草《しぐさ》を撮ってしまうと、あとは千辺一律《せんぺんいちりつ》で、一向《いっこう》新鮮な面白味をもたらすものではない。そこで会主《かいしゅ》は、会員の減少をおそれて一つの計画を樹《た》てた。それは会員たちから、いろいろの注文を聞
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