という写真であった。その猛犬を追跡自動車が追うと、自動車が反《かえ》ってガタンと街路にひっくりかえる。ピストルを打てば、弾丸が撃った者の方へ跳ねかえってくる。袋小路へ大勢の市民が追いつめて、いよいよ捕えるかしらと思っていると、ああら不思議、猛犬の四肢が梯子《はしご》のようにスルスルと伸び、猛犬の背がビルディングの五階に届く。そして寝坊のお内儀らしい女が、窓を明ける拍子に猛犬は女を押したおしてそこから窓の中へ飛びこむ。最後にこの「人造犬」の発明者が現われて犬の尻尾を棍棒でぶんなぐると、犬を動かしていた電気のスイッチが開き、猛犬は仰向けにゴロンと引繰りかえり、身体のなかからゼンマイや電池や電線がポンポン飛び出す――という大活劇であった。
帆村はその活動写真がたいへん気に入って、二度も三度も一銭銅貨を抛《な》げて、同じものを繰返し見物した。この「人造犬」というのは、彼が子供のときに見た記憶がなかった。その後、新しく輸入されて陳列されたものであろうが、実に面白い。
帆村は続いて、他の一銭活動写真の方に移っていった。
帆村が何台目かの一銭活動を覗きこんでいるときのことだった。すこし離れたところに於て、なにかガタンガタンという騒々しい音をだした者がある。折角の楽しい気分を削ぐ憎い奴だと思って、帆村は活動函から顔をあげてその方を見た。
音を立てているのは、腕に青い遊戯室係りの巾《きれ》を捲いた男だった。彼は活動函をしきりに解体しているのであった。その傍には、それを熱心に見守っている二人の男女があった。
女の方は洋髪に結った年の頃二十三、四歳の丸顔の和装をした美人だった。その顔立は、たしかに何処かで最近見たような気がするのであった。男の方は――と、帆村は眼をそっちへ移した瞬間、彼はもうすこしで声を出すところだった。それは余人ではなく、玉屋総一郎の殺人事件のあった夜、玉屋邸に於てしきりに活躍していた医師池谷与之助に外ならなかった。
池谷医師といえば、帆村が玉屋邸に赴く前に、正木署長から、邸内に現われた怪しき男として電話によって逸早く報道された人物だった。
しかし彼の住居は、この土地宝塚であるということだったから、今この新温泉に居たとて別に不思議はない筈だった。
でも彼は、こんな室内遊戯室に、何の用があって訪れたのだろうか。
尾行
帆村が数間先に立っていようとは、池谷医師も気がつかなかったらしい。
遊戯室係りの男は、いよいよ喧《やかま》しい音を立てて、一銭活動の函を取外していった。そしてやがて函の中から取出したのは、この一銭活動フィルムであった。
池谷医師はそのフィルムを受取って大きく肯くと、それを手帛《ハンケチ》に包んでポケットのなかに収めて、そして連れの女を促して、足早に遊戯室を出ていった。
(尾行したものか、どうだろうか?)
と、そのとき帆村は逡《ためら》った。
いつもの彼だったら、躊躇《ちゅうちょ》するところなく二人の男女の後を追ったことだろう。でもそのときは、恐ろしい惨劇事件に酷使した頭脳《あたま》を休めるために無理に余裕をこしらえて、この宝塚へ遊びにきていたのだった。そして折角楽しんでいたところへ、妙なことをやっている池谷医師を見たからといって、すぐさま探偵に還らなければならないことはないだろう。それはあまり商売根性が多すぎるというものだ。せめて今日ばかりは「蠅男」事件や探偵業のことは忘れて暮らしたい――と一応は自分の心に云いきかせたけれど、どうも気に入らぬのは池谷医師の行動だった。一銭活動のフィルムを持っていって、どうする気であろう。そして一体彼はどのようなフィルムを外して持っていったのだろう。
「うむ。そうだ。せめて池谷医師が外していったフィルムは何《ど》んなものだったか、それを確かめるだけなら、なにも悪かないだろう」
帆村は自分の心にそんな風に言訳をして、立っていたところを離れた。
近づいてみると、係りの男は活動函を元のように締めて立ち上ったところだった。彼は函の前に廻って覗き眼鏡のすぐ傍に挿しこんであった白い細長い紙を外しに懸った。それは函の中の一銭活動の題名を書いてある紙札であった。
「おやッ。――」
帆村は、なんとはなしにギョッとした。係りの男の外した紙札には、明らかに「人造犬《じんぞうけん》」の三文字が認められてあったではないか。あれほど先刻帆村が面白く見物した「人造犬」の活動写真だったのである。
係りの男は、帆村の愕きに頓着なく、そのあとへ「空中戦」と認めた紙札を挿しかえた。
帆村はもう辛抱することができなかった。
「ねえ、おっさん。さっき入っていた『人造犬』の活動は、警察から公開禁止の命令でも出たのかネ」
遉《さすが》に帆村は、聞きたいことを上手に偽装《カムフラージ
前へ
次へ
全64ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング