ュ》して訊いた。
「イヤ、そやないねン。あの『人造犬』のフィルムを売ったんや」
「へえ、売った。――この遊戯室の活動のフィルムは誰にでもすぐ売るのかネ」
「すぐは売られへん。本社へ行って、あの人のように掛合って来てくれんと、あかんがな」
「そうかい。――で、あの『人造犬』のフィルムは、もう外《ほか》に持ち合わせがないのかネ」
「うわーッ、今日はけったいな日や。今日にかぎって、この一銭活動のフィルムが、なんでそないに希望者が多いのやろう。――もう本社にも有らしまへんやろ。本社に有るのんなら、あの人も本社で買うて帰りよるがな」
係りの男はぶっきら棒な口調で、これを云った。
帆村は、あのフィルムが一本しかないと聞いて、急に池谷医師の後を追いかける気になった。訳はよく分らんが、とにかくどうも怪しい行動である。もしあれを見ているのが自分でなくて正木署長だったら、池谷医師はその場に取り押さえられたことだろう。
帆村荘六は、もう骨休みも商売根性を批判することもなかった。彼は平常と変らぬ獲物を追う探偵になりきっていた。
新温泉の出口へ飛んでいった彼は、下足番《げそくばん》に、今これこれの二人連れが帰らなかったかと聞いた。下足番は今ちょっと先に出やはりましたと応えたので、帆村は急いで温泉宿の下駄を揃えさせると、表へ飛びだした。
帆村はなるべく目立たないように、新温泉の前をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりした。そして狙う二人の男女が、新温泉の前をずっと奥の方へ歩いてゆくのを遂に発見した。彼は鼻をクスリと云わせて、旅館のどてら[#「どてら」に傍点]に懐手《ふところで》といういでたちで、静かに追跡を始めたのだった。
二人の男女はクネクネした道をズンズン歩き続けた。帆村は巧みに二人の姿を見失わないで、後からブラリブラリとついていった。その間にも彼は、池谷医師の連れの美人が誰の顔に似ているかを思い出そうと努めた。ところが、殆んど分っているようでいて、なかなか思い出せないのであった。丸顔の女を、何処で見たのだろう。前に歩いていた二人の男女の姿が、急に道の上から消えた。
「呀《あ》ッ、どこへ行ったろう」
帆村は先に見える辻までドンドン駈けだしてみたけれど、どの方角にも二人の姿はなかった。最後のところまで行ってとうとう巧く撒かれてしまったか、残念なと思いながら引返してくる帆村の目に、傍の大きな文化住宅の門標が映った。瀟洒《しょうしゃ》な建物には似合わぬ鉄門に、掲げてある小さい門標には「池谷控家」の四字が青銅の浮き彫りに刻みつけてあった。
「うむ、ここへ這入ったんだな」帆村はホッと吐息をついた。これは控家とあるからには、池谷医師の医院は別のところにあるのだろう。これは住居らしいが、なかなか豪勢なものであった。若い女も此処に入ったとすると、あれは池谷医師の妻君だったかなと思った。
こうして池谷医師の行方はつきとめたけれども、この儘《まま》で入ると、鳥渡《ちょっと》具合がわるい。すこし計略を考えた上でないと、かえって物事が拙《まず》くなると思った帆村は、服でも着かえなおしてくるつもりで、門前を去って、もと来た道の方へ引きかえしていった。
半丁ほど行ったところで、彼は向うから一人の麗人が静かに歩いてくるのに逢った。
「おお、これは愕いた。糸子さんじゃありませんか」
その麗人は、惨劇の玉屋総一郎の遺児糸子であった。彼女は声をかけた主が帆村だと知ると、面窶《おもやつ》れした頬に微笑を浮べて近よってきた。
「もう外へ出てもいいのですか。何処へお出でなんです」
「ええ、ちょっと池谷さんのところまで」
「ああ池谷さんのところへ――なるほど」といったが、彼は遽《あわ》ただしく聞き足した。「あのウ、池谷さんには細君があるんでしょうネ」
「ホホホホ、まだおひとりだっせ」
「ナニ、独り者ですか、これは変だ」帆村は笑いもしない。
「貴女《あなた》、池谷さんに来いと呼ばれたんですか」
「はあ、午前中に来いいうて、電話が懸ってきましてん。そしてナ、誰にもうちへ来る云わんと来い、そやないと後で取返しのつかんことが出来ても知らへんと……」
「うむうむうむ」
帆村は何を思ったものか、無闇《むやみ》に呻《うな》り声をあげると、糸子の袖を引張って道の脇の林の中に連れこんだ。
怪しき眼
麗人糸子は、わるびれた様子もなく、「池谷控家」と門標のうってある文化住宅のなかへズンズンと入っていった。しかし僅かここ数日のうちに、痛々しいほど窶《やつ》れの見える糸子だった。
糸子の父は、蠅男から送られた脅迫状のとおりに正確に殺害された。それはあまりにも酷い惨劇であった。お祭りさわぎのように多数の警官隊にとりまかれながら、奇怪にも邸内の密室のなかに非業《ひごう》の最期をとげた糸
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