らしくカラリと晴れあがり、そして暖くてまるで春のようであった。冬の最中とはいえ真青に常緑樹の繁った山々、それから磧《かわら》の白い砂、ぬくぬくとした日ざし――帆村はすっかりいい気持になって、ブラブラと橋の上を歩いていった。これが兇悪「蠅男」の跳梁《ちょうりょう》する大阪市と程遠からぬ地続きなのであろうかと、分りきったことがたいへん不思議に思われて仕方がなかった。
 新温泉の桃色に塗られた高い甍《いらか》が、明るく陽に照らされている。彼は子供の時分よく、書生に連れられて、この新温泉に来たものであった。彼はそこの遊戯場にあったさまざまな珍らしいカラクリや室内遊戯に、たまらない魅力を感じたものであった。彼の父はこの温泉の経営している電鉄会社の顧問だったので、彼は一度来て味をしめると、そののちは母にねだって書生を伴に、毎日のように遊びに来たものである。しかし書生はカラクリや室内遊戯をあまり好まず、坊ちゃん、そんなに遊戯に夢中になっていると身体が疲れますよ、そうすると僕が叱られますから向うへ行って休憩しましょうと、厭《いや》がる荘六の手をとって座席の上に坐らせたものだ。
 その座席は少女歌劇の舞台を前にした座席だったので、自然少女歌劇を見物しながら休息しなければならなかった。書生はここへ来ると俄然|温和《おとな》しくなって、荘六のことをあまり喧《やかま》しく云わなかった。その代り彼は、突然|団扇《うちわ》のような手で拍手をしたり、舞台の少女と一緒に唱歌を歌ったり、それからまた溜息をついたりしたものである。荘六は子供心に、書生が一向休憩していないのに憤慨《ふんがい》して、ヨオお小用《しっこ》が出たいだの、ヨオ蜜柑《みかん》を買っておくれよ、ヨオ背中がかゆいよオなどといって書生を怒らせたものである。――いま橋の上から、十何年ぶりで、新温泉の建築を見ていると、そのときの書生の心境をハッキリ見透《みとお》せるようで頬笑ましくなるのであった。彼は久し振りに新温泉のなかに入ってみる楽しさを想像しながら、橋の欄干《らんかん》から身を起して、またブラブラ歩いていった。
 とうとう彼は、入場券を買って入った。もちろん昔パスを持って通った頃の年老いた番人はいなくて、顔も見知らぬ若い車掌のような感じのする番人が切符をうけとった。
 中へ入った帆村は、だいぶん様子の違った廊下や部屋割にまごつきながらも、やっと覚えのある大広間《ホール》に出ることができた。朝まだ早かったせいか、入場者は多くない。
 帆村は遊戯室の方に上る階段の入口を探しあてた。彼はすこし胸をワクワクさせながらその狭い階段を登っていった。
 おお有った有った。思いの外なんだか狭くなったような感じであるが、見廻したところ、彼の記憶に残っている世界遊覧実体鏡、一銭活動、魔法の鏡、三世界不思議鏡、電気屋敷など、すべてそのままであった。
「うむ、アルプスの小屋に住んでいる貧乏《プーア》サンタクロス爺さんの一家は機嫌がいいかしら」
 と、帆村は数多い懐しい実体鏡のなかを、あれやこれやと探して歩いた。貧乏サンタクロスの一家というのは、アルプス小屋に住んでいる山籠《やまごも》りの一家のことで、小さな小屋の中にサンタクロスに似た髯を持った老人を囲んで、男女、八人の家族が思い思いに針仕事をしたり薪を割ったり、鏡の手入れをしたり、子供は木馬に乗って遊んでいるという一家団欒の写真であって、サンタ爺さんひとりは酒のコップを持ってニコニコ笑っているのであった。
 その実体鏡でみると、この狭い家の中の遠近がハッキり見え、そして多勢の身体も実体的に凹凸《おうとつ》がついていて、本当の人間がチャンとそこに見えるのであった。いつまでも見ていると、本当にアルプスへ登って、この小屋の中を覗《のぞ》きこんでいるような気がしてきて、淡い望郷病が起ってきたり、それから小屋の家族たちの眼がこっちをジロリと睨んでいるのが、急になんともいえなく恐ろしくなったりして、堪らなくなって眼鏡から眼を離して周囲を見廻す。すると一瞬間のうちに、アルプスを離れて、身はわが日本の宝塚新温泉のなかにいることを発見する――という淡《あわ》い戦慄《せんりつ》をたいへん愛した帆村荘六だった。彼は十何年ぶりで、そのアルプス小屋の一家が相変らず楽しそうに暮しているのを発見して嬉しかった。サンタ爺さんの手にあるコップには相変らず酒が尽きないようであったし、彼の長男らしい眼のギョロリとした男は、一挺の猟銃をまだ磨きあげていなかった。
 帆村は子供の頃の心に帰って、それからそれへとカラクリを見て廻った。
 そのうちに彼は甚《はなは》だ奇抜な一銭活動を発見した。これは「人造犬《じんぞうけん》」という表題であったが、イタリヤらしい市街をしきりに猛犬が暴れまわり、市民がこれを追いかける
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