そこの絨毯《じゅうたん》の上で拾った。もう一通こっちの黄色い封筒は、この暖炉の上の、マントルピースの上にあった。その天馬の飾りがついている大きな置時計の下に隠してあったのです」
「ほう、それはお手柄だ」
「もっと愕くことがある。封筒の中には、ほらこのとおり同じように新聞紙の脅迫状が入っている」といって中から新聞紙を出してひろげ、「同じように赤鉛筆の丸のついた文字を辿《たど》って読んでみると、――きさまが血まつりだ。乃公《おれ》は思ったことをするのだ。蠅男――どうです。玉屋家の脅迫状と全く同じ者が出したのです」
「フーム、蠅男? 何だい、その蠅男てえのは」
「さあ誰のことだか分りませんが――ホラこのとおり、蠅の死骸が貼りつけてあるのですよ」
 署長が帆村の手の掌のなかを覗《のぞ》きこむと、なるほど蠅の死骸だった。やはり翅や脚を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《も》がれ、そして下腹部は斜めにちょん切られていた。全く同じ、恐怖の印だ。
 ああ蠅男! 今夜玉屋総一郎に死の宣告を与えた蠅男は、それより数日前に、ドクトル鴨下の屋敷に忍びこんでいたのだ。あの半焼屍体は、蠅男の仕業ではなかろうか。いやそれに違いない。
 では蠅男は、玉屋総一郎を間違いなく襲撃するつもりに違いない。悪戯《いたずら》の脅迫ではなかったのだ。
「蠅男」とは何者であろう?


   疑問の屍体


 その奇怪なる蠅男の署名《サイン》入りの脅迫状が、こうして二通も揃ってみると、これはもはや冗談ごとではなかった。
 鴨下ドクトル邸の広間に集った捜査陣の面々も、さすがに息づまるような緊張を感じないではいられなかった。
 中でも、責任のある住吉警察署の正木署長は佩剣《はいけん》を握る手もガタガタと慄《ふる》え、まるで熱病患者のように興奮に青ざめていた。
「もし、検事さん。本官《わたし》はこれからすぐに玉屋総一郎の邸に行ってみますわ。そやないと、あの玉屋の大将は、ほんまに蠅男に殺されてしまいますがな。手おくれになったら、これは後から言訳がたちまへんさかいな」
 署長は、ドクトル邸の燃える白骨事件で、黒星一点を頂戴したのに、この上みすみすまたたどん[#「たどん」に傍点]を頂戴したのでは、折角これまで順調にいった出世を躓《つまず》かせることになるし、住吉警察署はなにをしとるのやと非難されるだろう辛さが、もう目に見えていた。彼は全力を挙げて、この正体の知れぬ殺人魔と闘う決心をしたのであった。しかし事実、彼はいくぶん焦りすぎているようであった。
「ああ、そうかね」村松検事はそういってジロリと眼玉を動かした。「じゃ、そうし給え。――」
「じゃあ、そうします。――オイ、二、三人、一緒に行くのやぜ」
 村松検事は、正木署長たちがドヤドヤと出てゆく後姿を見送りながら、帆村探偵の方に声をかけた。
「オイ君。君は、ああいうチャンバラを見物にゆく趣味はないのかネ」と、正木署長の一行についてゆかないのかを暗《あん》に尋ねた。
 帆村は、寝衣《ねまき》の上に警官のオーバーという例の異様な風体で、さっきから二枚の脅迫文をしきりと見較べていた。
「チャンバラはぜひ見たいと思うのですが、僕は頭脳《あたま》が悪いので、そういうときにまず映画台本《シナリオ》をよく読んでおくことにしているんでしてネ」
「ほう、君の手に持っているのは、映画台本なのかネ」検事はパイプを口に咥《くわ》えたまま、帆村の方に近よった。
「ええ、こいつは、暗号で書いてある映画台本ですよ」と帆村は二枚の脅迫文を指し、「どうです。第二の脅迫状には、宛名が玉屋総一郎へと書いてあって、第一の脅迫状には宛名無しというのは、これはどういう訳だと思いますか」
 検事はパイプから太い煙をプカプカとふかし、
「――それは極《きわ》めて明瞭《めいりょう》だから、書く必要がなかったんだろう」
「極めて明瞭とは?」
「それを説明するのは、ここではちょっと困るが――」と、室の隅に立たされている鴨下ドクトルの令嬢カオルと情人上原山治の方をチラリと見てから、帆村の耳許にソッと口を寄せ、「――いいかネ。この邸にはドクトルが一人で暮しているのに、宛名は書かんでも、誰に宛てたか分るじゃないか」
「ほう、すると貴下《あなた》は――」といって帆村は村松検事の顔を見上げながら、「――この脅迫状がドクトルに与えられたもので、そしてアノ――ドクトルが殺されたとお考えなんですネ」
「なんだ、君はそれくらいのことを知らなかったのか。あの燃える白骨はドクトルの身体だったぐらい、すぐに分っているよ」
「では、あれはどうします。三十日から旅行するぞというドクトルの掲示は?」
 当分旅行ニツキ訪問ヲ謝絶ス。十一月三十日、鴨下――という掲示が奇人館の表戸にかけてありながら、家の中でドクト
前へ 次へ
全64ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング