です」
「父はあたくしの幼いときに、東京へ預けたのです。はじめは音信も不通でしたが、この二、三年来、手紙を呉れるようになり、そしてこんどはいよいよ会いたいから大阪へ来るようにと申してまいりました。父はどうしたのでしょう。あたくし気がかりでなりませんわ」
「いや尤《もっと》もです。実はネ――」と検事はカオルの顔を注意深く見つめ「実は――愕《おどろ》いてはいけません――お父さんは三十日に旅行をされ、未《いま》だに帰って来ないのです。そしておまけに、この家のうちに何者とも知れぬ焼屍体《しょうしたい》があるのです」
「まあ、父が留守中に、そんなことが出来ていたんですか。ああそれで解りましたわ。警官の方が集っていらっしゃるのが……」
「貴女はお父さんがこの家に帰ってくると思いますか」
「ええ勿論、そう思いますわ。――なぜそんなことをお聞きになるの」
「いや、私はそうは思わない。お父さんはもう帰って来ないでしょうネ」
「あら、どうしてそんな――」
「だって解るでしょう。お父さんには、貴女との固い約束を破って旅に出るような特殊事情があったのです。そして留守の屋内の暖炉《ストーブ》の中に一個の焼屍体《しょうしたい》が残っていた」
 村松検事はそう云って、女の顔を凝視《ぎょうし》した。


   二つの殺人|宣告書《せんこくしょ》


「あッ」とカオルは愕きの声をあげた。「するともしや、父が殺人をして逃亡したとでも仰有《おっしゃ》るのですか」
「まだそうは云いきっていません。――一体お父さんは、この家でどんな仕事をしていたか御存じですか」
「わたくしもよくは存じません。ただ手紙のなかには、(自分の研究もやっと一段落つきそうだ)という簡単な文句がありました」
「研究というと、どういう風な研究ですか」
「さあ、それは存じませんわ」
「この家を調べてみると、医書だの、手術の道具などが多いのですよ」
「ああそれで皆さんは父のことをドクトルと仰有るのですね」
 女はすこし誇らしげに、わずかに笑った。
 そのとき正木署長が、検事の傍へすりよった。
「ええ、……緊急の事件で、ちょっとお耳に入れて置きたいことがありますんですが、いま先方から電話がありましたんで……」
「なんだい、それは――」
 廊下へ出ると署長は低声《こごえ》で、富豪玉屋総一郎氏が今夜「蠅男」に生命を狙われていることを報告し、只今それについて玉屋から、どうも警察の護衛が親切でないから、司法大臣に上申するといってきた顛末《てんまつ》を伝えた。
 村松検事は署長に、その脅迫状を持っているなら見せるように云った。
 署長は、お安い御用といいながら、ポケットを探ったが、どうしたものか先刻預って確かにポケットに入れたはずの封筒が、何処へ落としたか見当らないのであった。
「どうしたんやろなア、確かにポケットに入れとったのじゃが――ひょっとすると階下《した》の大広間へ忘れてきたのかしらん。検事さん、ちょっとみてきます」
 署長があたふたと階下《した》へ下りていく後を、村松検事は追いかけるようにして、大広間の方へついていった。焼屍体のあった大広間は、監視の警官が一人ついたまま、気味のわるいほどガランとしていた。
 警官の挙手の礼をうけて、室内に入った署長は、そのとき室内に、異様の風体の人間が、火の消えた暖炉《ストーブ》の傍にすりよって、後向きでなにかしているのを発見して、呀《あ》ッと愕いた。全く異様な風体の人間だった。和服を着て素足の男なんだが、上には警官のオーバーを羽織り、頸のところには手拭を捲きつけているのだった。頭髪は蓬《よもぎ》のようにぼうぼうだ。
「コラッ誰やッ」署長は背後から飛びつきざま、その男の肩をギュッと掴んだ。
「うわッ、アイテテテ……」
 異様な風体の男は、顔をしかめて、三尺も上に飛びあがったように思われた。
「何者や、貴様は――」
 と、獣のように大きな悲鳴をあげた怪人に、却《かえ》って愕かされた署長は、興奮して居丈高《いたけだか》に呶鳴った。
「いや正木署長、その男なら分っているよ」いつの間に入ってきたか、村松検事がおかしそうに署長を制した。「それは私の知合いで帆村《ほむら》という探偵だ」
「ああ帆村さん。この怪《け》ったいな人物が――」
「うむ怪しむのも無理はない。彼は病院から脱走するのが得意な男でネ」
 帆村は肩が痛むので左腕を釣っていた。大きな痛みがやっと鎮まるのを待って、怺《こら》えかねたように口を利いた。
「――まあ怒るのは後にして頂いて、これをごらんなさい、重大な発見だ」
 そういってさし伸べた彼の右手には、同じ色と形とを持った二枚の黄色い封筒があった。
「あッ、これは玉屋氏に出した蠅男の脅迫状や。あんた、どこでそれを――」
「まあ待ってください。こっちが玉屋氏宛のもので、
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