に暴れだし、あたりに砂をピシャンピシャンとはねとばした。この怪魔に対し果して帆村に勝算ありや!


   輝《かがや》かしい凱歌《がいか》


 お竜が腰をおさえ、歯をくいしばっているのは、帆村にとってたいへん幸いだった。
 帆村は素速く蠅男の背後にまわると、湯|交《まじ》りの砂の中にもがく蠅男を、うしろからグッと抱きあげた。
「ううぬ」
 と蠅男は満身の力をこめて、抱えられまいと蝦《えび》のようにピンピン跳ねまわった。これを放してはたいへんである。帆村は両腕も千切れよとばかり、不気味な肉塊を抱きしめた。
 蠅男は蛇のように首を曲げて、帆村の喉首に噛みつこうとする。
「もうこっちのものだ。じたばたするだけ損だぞ」
 この言葉が蠅男の耳に入らばこそ、怪魔はなおも激しく抵抗する。さすがの帆村も、その大力に抗しかねて、押され気味となった。
 だが帆村にはまだ、自信があった。
 彼は蠅男を抱きしめたまま、悠々と砂風呂の出入口から外へ出た。そして足早につつーッと走ってプールのある広間に駆けこんだ。
「皆さん、蠅男をつかまえましたッ」
 というなり帆村はそのまま、ザンブリと熱湯満々たるプールの中にとびこんだ。
「うわーッ」
 と、これは蠅男の悲鳴だ。
 帆村の作戦は大成功をおさめた。義足義手をつけては天下無敵の蠅男も、帆村に抱きしめられて暴れるたびに、ズブリズブリと水雑炊ならぬ湯雑炊をくらってはたまらない。二度、三度とそれをくりかえしているうちに、蠅男は、だんだんと温和しくなっていった。
「さあ皆さん。住吉署に電話をかけて下さい。署長さんに、帆村がここで蠅男をおさえていると伝えて下さい」
 この場の唐突《だしぬけ》な乱闘に、プールから飛びあがって呆然としていた入浴客は、ここに始めて、目の前の活劇が、いま全市を震駭《しんがい》させている稀代の怪魔蠅男の捕物であったと知って、吾れにかえって大騒ぎをはじめた。
 帆村が、この何処に置きようもない重い肉塊を抱えて、腕がぬけそうに疲れてきたときに、やっと正木署長をはじめ、警官の一隊がドヤドヤと駆けこんでくれた。
「どうした帆村君。いよいよ蠅男を捕えよったかッ」
「はア、ここに抱いて居ります」
「なにッ」と署長は目をみはり、「おおそれが蠅男か。想像していたよりも物凄いやっちゃア。待っとれ。いま皆におさえさせる。そオれ、掛れッ」
 署長がサッと手をあげると、警官たちは靴のままプールの中にザブンと飛びこんできた。
「オヤ、――」
 と近づいた警官が愕きの声をあげた。
「蠅男は死んどりまっせ」
「ええッ、――」
「こっちへ取りまっさかい、帆村はん、手を放してもよろしまっせ」
「そオれ、――」
 警官隊の手にとって抱きとられた怪人蠅男の肉塊は、蒟蒻《こんにゃく》のようにグニャリとしていた。そして口から頤にかけて、赤い糸のようなものがスーッと跡をひいていた。血だ、血だ!
「舌を噛みよったな。ええ覚悟や」
 と、いつの間に来ていたのか、正木署長が沈痛な声でいった。
「ああ、とうとう蠅男は死にましたか」
 そういった帆村は、はりつめた気が一度にゆるむのを感じた。
「おッ、危い。どうしなはった、帆村はん」
 鬼神のように猛《たけ》き帆村だったけれど、蠅男の自殺を目のあたりに見た途端《とたん》、激しい衝動のために、遂に意識をうしなって、警官たちの腕の中に仆れてしまった。
「無理もない。蠅男と、徹頭徹尾闘ったのやからなア」
 そういって正木署長は、ソッと帆村の腕を握って脈をさぐった。
     *
 もちろん帆村は、間もなく意識をとりかえした。そしてあとは元気に、蠅男事件の後始末に力を添えたのであった。
 その後になって、当時までまだ誰にも知られなかった無慚《むざん》な一つの事件が明らかにされた。それは事件の途中から行方不明になっていた池谷医師の屍体が、彼《か》の控家の天井裏から発見されたことであった。彼は蠅男のために、そこに手足の自由を奪われたまま監禁されていたのだった。そして誰も食料を搬《はこ》ぶ者がなかったままに、とうとう餓死してしまったものである。これも蠅男の残忍性を語る一つの材料となった。
 池谷医師は、蠅男のような悪人ではなかった。ただ彼は蠅男から、一つの弱点を握られていたのであった。それをいうと、またくどくなるが、要するに蠅男の情婦お竜と昔関係のあった仲で、お竜は彼のために捨てられた女だったといえば、あとは誰にもそれと察しがつくであろう。彼はそんなことで、心ならずもある期間は蠅男やお竜と行動を共にしていたのである。
 それはその年も押しつまって、きょう一日の年の暮だというその日の朝、大阪駅頭に珍しく多数の警察官を交《まじ》えた見送りをうけつつ、東京行の超特急列車「かもめ」号の二等室で出発しようとする一組の新
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