さん》な邸宅《ていたく》だった。
 それでも往来に面したところには、赤く錆《さ》びてはいるが鉄柵づくりの門があり、それをとおして石段の上に、重い鉄の扉《ドア》のはまった玄関が見えていた。
「おおあすこに何か貼り札がしてある!」
 その玄関の扉のハンドルに、斜めになって文字をかいた厚紙が懸っているのを帆村は見た。なんと書いてあるのだろう。彼は光線のとおらないところにある掲示を、苦心して読み取った。
 ――当分旅行ニツキ訪問ヲ謝絶《シャゼツ》ス。十一月三十日、鴨下《カモシタ》――
「ウン、鴨下――というか。ここの主人公の名前だな。その主人公は旅行に出かけたという掲示《けいじ》だ。なアんだ。中は留守じゃないか」
 帆村はちょっとガッカリした。
 だが、よく考えてみると、留守は留守でも、それは十一月三十日に出ていったのだから、一昨日《おととい》の出来ごとだった。それだのに、昨夜からずっとこの方、煙突から煙が出ているというのは一体どうしたことだろう?
「鴨下ドクトルが、ストーブの火を燃しつけていったのかしら。しかしそれなら、一昨日の夜も昨日の朝も昼間も、別に煙が出なかったのはどうしたわけだろう」
 とにかく無人《むじん》であるべき家の煙突から、モクモクと煙が上るというのはどう考えても合点がゆかないことだ。どうしても、中に誰か居て、ストーブに火を点けたのでなければ話が合わない。もし人が居るとしたら、誰が居るのだろう。鴨下ドクトルが出ていった後に、一体誰が残っているというのだろう?
 奇人館の怪事を、何と解こうか。
 帆村が門前に腕組をして考えこんでいるときだった。丁度《ちょうど》そこへ、街の異変を聞きこんだ所轄《しょかつ》警察署の警官たちが自動車にのって駈けつけてきた。
「さあ、早いとこ、お前はベルを押せ。なにベルがない。探せ探せ。どこかにある筈《はず》や」
 と指揮の巡査部長が大童《おおわらわ》の号令ぶりをみせた。
「――それから別に、お前とお前とで、この鉄の門を越えて、玄関の戸を叩いてみい」
 声の下に、二名の警官が勇しく鉄の門に蝗《いなご》のように飛びついた。
「さあ、お前ら三名、裏口へ廻れ、一人は連絡やぜ」
 部下を四方へ散らばせると、巡査部長は帽子の頤紐《あごひも》をゆるめて、頤に掛けた。そして鼻をクンクン鳴らして、
「うわーッ、こらどうもならん臭さや。なにをしよったんやろ、奇人ドクトルは……」
 そのとき帆村は横合《よこあい》から声をかけた。
「おおこれは帆村はんだすな。まだ御泊《おとま》りでしたか。えらいところをごらんに入れますわ、ハッハッハッ」
 検事の村松氏に案内されていったとき、知合いになった住吉署の大川巡査部長であった。帆村は邪魔にならぬように、傍《そば》についていた。
 裏口に廻った部下の一人が帰ってきて、二階の西側の鎧窓《よろいまど》に鍵のかかっていないところがあって、そこから中へ這入れると報告をした。大川は悦《よろこ》んで、
「よし、そこから這入《はい》れ、三人外に残して、残り皆で這入るんや。俺も這入ったる」
 巡査部長は、佩剣《はいけん》を左手で握って、裏口へ飛びこんでいった。帆村もそのまま一行の後に続いていった。
 樋を伝わって、屋根にのぼり、グルリと壁づたいに廻ってゆくと、なるほど四尺ほど上に鎧戸の入った窓がポッカリ明いていて、そこから一人の警官がヒョイと顔を出した。
「中は、ひっそり閑《かん》としてまっせ」
「そうか。――油断はでけへんぞ。カーテンの蔭かどこかに隠れていて、ばアというつもりかもしれへん。さあ皆入った。さしあたり煙突に続いている台所とかストーブとかいう見当《けんとう》を確かめてみい」
 勇敢なる巡査部長は、先頭に立って、腐《くさ》りかかった鎧戸を押して、薄暗い内部にとび下りた。一行は、最初の警官を窓のところに張り番に残して、ソロソロと前進を開始した。
 帆村も丹前の端《はし》を高々と端折《はしょ》って、腕まくりをし、一行の後からついていった。
 たいへん曲りくねって階段や廊下がつづいていた。外から見るような簡単な構造ではない。大小いくつかの部屋があるが、悉《ことごと》く洋間になっていて、日本間らしいものは見当らなかった。
 家の中に入ると、不思議とあの変な臭気は薄れた。そしてそれに代って、ひどく鼻をつくのが消毒剤のクレゾール石鹸液の芳香《ほうこう》だった。
「ここ病院の古手《ふるて》と違うか」
「あほぬかせ。ここの大将が、なんでも洋行を永くしていた医者や云う話や」
「ああそうかそうか。それで鴨下ドクトルちゅうのやな。こんなところに診察室を作っておいて、誰を診《み》るのやろ」
「コラ、ちと静かにせんか」
 巡査部長の一喝《いっかつ》で、若い警官たちはグッと唇を噤《つぐ》んだ。
 いくら跫音《
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