見えない。しかし流石《さすが》の黄血社のダムダム珍も、帝都へ入ってきては思うように振舞えないので業《ごう》を煮やしている。それは例の江戸昌の率いている暁団が、若い連中の寄りあつまりながらなかなか頭脳《あたま》のいいことをやるので、いつも肝腎のところで邪魔をされてしまう。黄血社対暁団の対立がたいへん激烈になっているその最中に、あの錨健次の殺害についての重大なる密告があったのだ。戸沢名刑事は、密告者をこんなわけで黄血社の一味と断定したものらしい。僕も戸沢氏の断定について大体の賛成を表した。僕とて錨健次の前身やら両不良団の対立を知らないではなかったから……。しかしもっとはっきりしたところを確かめたいと思ったので、二十九日の夜、自身で江東へ出かけていったのだ。亀戸天神の裏の狭い横丁にある喫茶店ギロンというのが、かねて暁団員の連絡場所だと知っていたから……」
帆村とくると、彼は江東の辺の事情に土地の誰よりも精通していた。帝都の暗黒中心地といわれた浅草は、関東の大震災によって完全に潰滅し、それがこの江東地帯に移ったと彼は云う。その点新宿などは新興街で只賑やかなだけで、不良仲間からはてんで認められていないそうである――帆村は卓子《テーブル》の上から一本の紙巻煙草をとってそれを口に啣《くわ》えた。
「喫茶店ギロンでね、僕は恰好の団員が張りこんでいるのを、いち早く見つけてしまったのだよ。それはちょっと見るとダンサーのような洋装の少女だった。年齢の頃は二十二三と見たが、いい体をしているのだ。胸の膨《ふく》らみだの、腰のあたりの曲線などが、男を引きつけずには居ないという悩ましい女さ。しかし器量の方はあまり美しいとは云えない。むしろ身嗜《みだしな》みで不器量をカムフラージュしているという方だ。僕はその女を認めると、つかつかと傍によって、ちょっとサインをした。これは相手の身体にぴったり寄り添ってする暁団一流のサインなのだ。君は嘸《さぞ》知りたいだろうが、遺憾ながらこいつばかりは教えられないよ、ふふふふ。……すると果して反応があった。女はポケットから手を出して、僕の掌《て》の中に入れた。なにか西洋紙のようなものが当る。それを女は渡そうとしたのだ……」
帆村はそこで急に黙ってしまった。コトコトと部屋を一周したけれど、まだ黙っているのであった。
「それからどうしたんだい?」と私は不満そうに話の
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