獏鸚
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)春眠《しゅんみん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)江戸|生《は》えぬきの

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り
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     1


 一度トーキーの撮影を見たいものだと、例の私立探偵帆村荘六が口癖のように云っていたものだから、その日――というと五月一日だったが――私は早く彼を誘いだしに小石川のアパートへ行った。
 彼の仕事の性質から云って、正に白河夜船か或いは春眠《しゅんみん》暁《あかつき》を覚えずぐらいのところだろうと思っていったが、ドアを叩くが早いか、彼が兎のように飛び出してきたのには尠《すくな》からず駭《おどろ》いた。
 私は直ぐさま、彼をトーキー撮影所へ誘った。二つ返辞で喜ぶかと思いの外、帆村はいやいやと首を振って、
「トーキーどころじゃないんだ。僕はとうとう昨夜徹夜をしてしまったのだよ」
「ほほう、また事件で引張り出されたね」
「そうじゃないんだ。うちで考えごとをしていたんだ。ちょっと上って呉れないか」
 と、帆村は私の腕をとって引張りこんだ。
 考えごと――徹夜の考えごとというのは何だろう。
「君に訊ねるが、君は『獏鸚』というものを知らんかね」
 と、帆村がいきなり突拍子もない質問をした。
「バクオウ?――バクオウて何だい」
 と、うっかり私の方が逆に質問してしまった。
 彼は苦が笑いをして暫く私の顔を見詰めていたが、やがて乱雑に書籍や書類の散らばっている机の上から、小さい三角形の紙片を摘みあげると、私の前に差出した。
「なんだね、これは?」
 と私はその小さい紙片を受取って、仔細に表と裏とを調べた。裏は白かったが、表の方には、次のような切れぎれの文字が認《したた》められてあった。
[#ここから3字下げ、20字詰め、罫囲み]
……0042……奇蹟的幸運により……獏鸚……
[#ここで字下げ終わり]
 どうやらこれは、手紙かなにかの一端をひきちぎった断片らしかった。なるほど「獏鸚」という二字が見えるが、何のことだか見当がつかない。
「一体これは何所で手に入れたのかネ」
「そんなことを訊《き》かれ
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