は一層むずかしかった。
 だが、第十号としては、すこしぐらい人々から怪しまれることは、がまんするつもりだった。それよりも、彼がねらっていることは、名津子に近づくことだった。名津子の霊魂にぴったり寄りそっていたいばかりに、彼はこの思い切った行動を起したのだ。しかしながら、彼の筋書《すじがき》どおりに、万事がうまくいくかどうか、それはまだ分らない。
 それはそれとして、一方、霊魂第十号のために肉体から追い出された隆夫の霊魂は、一体どうなったのであろうか。
 彼の霊魂は、肉体と同じに、一時もうろう状態に陥っていた。いや、時間的にいえば、肉体の場合よりもはるかに永い間にわたってもうろう状態をつづけていた。第十号が、彼の肉体にはいりこんで、三木健の家を訪問してぺちゃくちゃしゃべっているときにも、隆夫の霊魂は、まだもうろうとして、はてしなき空間をふわついていた。
 彼のたましいが、われにかえったのは、それから十四日ののちのことだった。
 たましいが、われにかえるというのは、おかしないい方であるが、肉体の中にはいっているときでも、たましいというやつは、よく死んだようになったり、生きかえったりするものである。ねむりと目ざめ。不安におちいることと大自信にもえること。人事不省と覚醒《かくせい》。酔《よ》っぱらいと酔いざめ。そのほか、いろいろとあるが、このようにたましいというやつは、いつも敏感《びんかん》で、おどおどしており、そして自分からでも、また他からの刺戟《しげき》によっても、すぐ簡単に状態を変える。
 とにかく、彼のたましいがわれにかえったとき、「おやおや」と起きあがってあたりを見まわすと、見なれないところへ来ていることが分った。
 そこは、枯草《かれくさ》がうず高くつんであるすばらしく暖かな日なただった。ゆらゆらと、かげろうが燃え立っていた。その中に、隆夫の霊魂は立っているのだった。彼の霊魂も、かげろうと同じように、ゆらゆら動いているような気がした。
 前方を見ると、美しい大根畑が遠くまでひろがっていた。まるでゴッホの絵のようであった。
 うしろの方で、モーという牛の声がした。うしろには小屋が並んでいた。そのどれかが牛小屋になっているらしい。
 かたかたかたと、いやに機械的なひびきが聞えてきた。ずっと西の方にあたる。その方へ隆夫の霊魂はのびあがった。トラクターが動いているのだった。土地を耕《たがや》している。それは遥《はる》かな遠方だった。
「広いところだなあ。一体ここはどこかしらん」
 すると、彼の前へ、とつぜんパイプをくわえ、肩に鍬《くわ》をかついだ農夫が姿をあらわした。そして農夫の顔を見たとき、隆夫のたましいは、あっとおどろいた。
「ややッ、ここは日本じゃないらしい」
 農夫は白人《はくじん》だった。
 白人の農夫がいるところは、日本にはない。しばらくすると、小屋のうしろから、若い女の笑い声が聞えて、隆夫のたましいの前へとび出して来たのは、三人の、目の青い、そして金髪《きんぱつ》やブロンドの娘たちだった。
「たしかにここは日本ではない。外国だ。どうして外国へなど来てしまったんだろう」
 そのわけは分らなかった。
 隆夫のたましいは、農夫たちの会話を聞いて、それによってここがどこであるかを知ろうとつとめた。彼らの話しているのは、外国語であった。それはドイツ語でもなく、スラブ語でもなかったが、それにどこか似ていた。ことばとしては、隆夫はそれを解釈《かいしゃく》する知識がなかったけれど、幸いというか、隆夫は今たましいの状態にいるので、彼ら異国人の話すことばの意味だけは分った。
 そして、ついにこの場所がどこであるかという見当がついてきた。それによると、ここはバルカン半島のどこかで、そして割合にイタリアに近いところのように思われる。ユーゴスラビア国ではないかしらん。もしそうなら、アドリア海をへだててイタリアの東岸《とうがん》に向きあっているはずだった。
 どうしてこんなところへ来てしまったんだろう。


   霊魂《れいこん》の旅行


 だんだん日がたつにつれ、隆夫のたましいは、たましい慣《な》れがしてきた。はじめは、どうなることかと思ったが、たましいだけで暮していると、案外気楽なものであった。第一食事をする必要もないし、交通禍《こうつうか》を心配しないで思うところへとんで行けるし、寒さ暑さのことで衣服の厚さを加減《かげん》しなくてもよかった。そして、睡りたいときに睡り、聞きたいときに人の話を聞き、うまそうな料理や、かわいい女の子が見つかれば、誰に追いたてられることもなく、いく時間でもそのそばにへばりついていられた。もっとも、そのうまそうな御馳走を味わうことは、たましいには出来なかったが……。
 そういうわけで、隆夫のたましいは、一時東京の家のことや母親のことや、それから友だちのことなどもすっかり忘れて、気軽なたましい[#「たましい」に傍点]の生活をたのしんでいた。
 いつも寝起きしていた枯草の山が、トラックの上へ移しのせられ、どこかへはこばれていく。それを見た隆夫のたましいは、いっしょにそのトラックに乗って行ってみようと思った。
 その日は、天気が下り坂になって来て風さえ出て来たので、農夫たちは急いで枯草《かれくさ》を車へのせ、その上をロープでしっかりしばりつけた。それから荷主の農夫が、パイプをくわえたまま、トラックの運転手にいった。
「とにかくカッタロの町へはいったら、海岸通《かいがんどおり》のヘクタ貿易商会《ぼうえきしょうかい》はどこだと聞けば、すぐに道を教えてくれるからね」
「あいよ。うまくやってくるよ」
 トラックは走りだした。
 隆夫のたましいは、枯草の中へ深くもぐりこんで、しばらく睡ることにした。車が停ったら、起きて出ればよいのだ。そのときはカッタロの町とかへ、ついているはずだ。
 たましいは、ぐっすり寝こんだ。
 運転手の大きな声で、目がさめた。枯草をかきわけて出てみると、なるほど町へついていた。古風《こふう》な町である。が、町の向うに青い海が見える。港町だ。
 港内には、大小の汽船が七八|隻《そう》碇泊《ていはく》している。西日が、汽船の白い腹へ、かんかんとあたっている。
 トラックが、また走りだした。
 港の方を向いて走る。隆夫のたましいは、車上からこの町をめずらしく、おもしろく見物した。革命と戦火にたびたび荒されたはずのこの港町は、どういうわけか、どこにも被害のあとが見られなかった。そしてどこか東洋人に似た顔だちを持った市民たちは、天国に住んでいるように晴れやかに哄笑《こうしょう》し微笑し空をあおぎ手をふって合図をしていた。婦人たちの服装も、赤や緑や黄のあざやかな色の布《ぬの》や毛糸を身につけて、お祭の日のように見えた。
 そのうちにトラックは、海岸通へ走りこんで、ヘクタ貿易商会の前に停った。枯草は、この商会が買い取るらしい。そのような取引を、隆夫のたましいは見守っていたくはなかった。彼は、今しも岸壁《がんぺき》をはなれて出港するらしい一隻の汽船に、気をひかれた。
 彼は燕《つばめ》のように飛んで、その汽船のマストの上にとびついた。ゼリア号というのが、この汽船の名だった。五百トンもない小貨物船であった。
 それでも岸壁には、手をこっちへ振っている見送り人があった。船員たちが、ハンドレールにつかまって、帽子をふって、岸壁へこたえている。煙突《えんとつ》のかげからコックが顔を出して、ハンカチをふっている。隆夫のたましいが、つかまっているマストの綱《つな》ばしごにも、二三人の水夫がのぼって、帽子を丸くふっていた。かもめでもあろうか、白い鳥がしきりに飛び交っている。その仲間の中には、隆夫のたましいのそばまで飛んできて、つきあたりそうになるのもいた。
「港外まで出ないと、ごちそうを捨ててくれないよ」
「早く捨ててくれるといいなあ。ぼくは腹がへっているんだ」
 かもめは、そんなことをいいながら、この汽船が海へ捨てるはずの調理室《ちょうりしつ》の残りかすを待ちこがれていた。
 隆夫のたましいは、久しぶりにひろびろとした海を見、潮《しお》のにおいをかいで、すっかりうれしくなり、いつまでも眺めていた。白い航跡《こうせき》が消えて、元のウルトラマリン色の青い海にかえるところあたりに、執念《しゅうねん》ぶかくついてきた白いかもめが五六羽、しきりに円を描いては、漂流《ひょうりゅう》するごちそうめがけて、まい下りるのが見られた。
 船の舳《とも》が向いている方に、ぼんやりと雲か島か分らないものが見えていたが、それは陸地だと分った。左右にずっとのびている。そうだ、あれだ、イタリア半島なのだ。するとこの船はイタリア半島のどこかの港にはいるのにちがいない。一体どこにつくのだろうか。
 隆夫のたましいは、もうすっかり大胆《だいたん》になっていたので、マストをはなれて下におりてきた。
 そして船橋《せんきょう》へとびこんだ。そこには船長と運転士と操舵手《そうだしゅ》の三人がいたが、誰も隆夫のたましいがそこにはいってきたことに気のつく者はいなかった。
 その運転士が、航海日記をひろげて、何か書きこんでいるので、そばへ行って見た。その結果、この汽船は、対岸《たいがん》のバリ港へ入るのだと分った。
 やがてバリ港が見えてきた。
 小さな新興《しんこう》の港だ。カッタロ港とは全然おもむきのちがった港だった。そのかわり、町をうずめている家々は、見るからに安普請《やすぶしん》のものばかりであった。戦乱《せんらん》の途中で、ここを港にする必要が出来て、こんなものが出来上ったらしい。殺風景で、いい感じはしなかった。
 入港がまだ終らないうちに、隆夫のたましいは汽船ゼリア号に訣別《けつべつ》をし、風のように海の上をとび越えて、海岸へ下りた。
 不潔きわまる場所だった。見すぼらしい人たちが、蝿《はえ》の群のように倉庫の日なたの側に集っている。隆夫のたましいは、ぺッと唾《つば》をはきたいくらいだったが、それをがまんして、ともかくも彼らの様子をよく拝見するために、その方へ近づいていった。
 一人の男が、ぼろを頭の上からまとって棕梠《しゅろ》の木にもたれて、ふところの奥の方をぼりぼりかいていた。隆夫のたましいは、その男の顔を見たとき、
「おやッ」
 と思った。どこかで見た顔であった。


   大奇遇《だいきぐう》


 隆夫《たかお》のたましいは、そのあわれな人物の顔を、何回となく近よって、穴のあくほど見つめた、彼は、そのたびにわくわくした。
「どうしても、そうにちがいない。この人はぼくのお父さんにちがいない」
 隆夫の父親である一畑治明博士《いちはたはるあきはかせ》は、永く欧洲に滞在して、研究をつづけていたが、今から四、五年前に消息をたち、生きているとも死んだとも分らなかった。が、多分あのはげしい戦禍《せんか》の渦の中にまきこまれて、爆死《ばくし》したのであろうと思われていた。その方面からの送還《そうかん》や引揚者の話を聞き歩いた結果、最後に博士を見た人のいうには、博士は突然スイスに姿をあらわし、一週間ばかり居たのち、危険だからスエーデンへ渡るとその人に語ったそうで、それから後、再び博士には会わなかったという。
 では、スエーデンへうまく渡れたのであろうか。その方面を聞いてもらったが、そういう人物は入国していないし、陸路はもちろん、空路によってもスイスからスエーデンへ入ることは絶対にできない情勢にあったことが判明した。
 そこで、博士はスイス脱出後、どこかで戦禍を受け、爆死でもしたのではなかろうかという推定が下されたのであった。
 ところが今、隆夫のたましいを面くらわせたものは、イタリアのバリ港の海岸通の棕梠《しゅろ》の木にもたれている男の顔が、なんと彼の父親治明博士に非常によく似ていることであった。
「お父さん。お父さん。ぼく隆夫です」
 と、隆夫のたましいは呼びかけた。くりかえし呼びかけた。
 だが、相手は知らぬ顔をしていた。顔の筋一つ動かさなかった。
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