びた近東人《きんとうじん》だ。頭巾《ずきん》の下からは、鳶色《とびいろ》の縮《ちぢ》れ毛がもじゃもじゃとはみ出している。パンツの下からはみ出ている脛《すね》の細いことといったら、今にもぽきんと折れそうだった。
しかし結局、隆夫のおかげで、治明博士はインドシナへ向う貨物船に便乗《びんじょう》することができた。それはロザレの隆夫を聖者に仕立て、すこしもものをいわせないことにし――しゃべれば隆夫は日本語しか話せなかった――治明博士はその忠実《ちゅうじつ》なる下僕《しもべ》として仕えているように見せかけ、そのキラマン号の下級船員の信用を得て、乗船が出来たのであった。もっとも密航するのだから、親子は船艙《せんそう》の隅《すみ》っこに窮屈《きゅうくつ》な恰好をしていなければならなかった。
キラマン号をハノイで下りた。
それからフランスの飛行機に乗って上海《シャンハイ》へ飛んだ。そのとき親子は、小ざっぱりとした背広に身を包《つつ》んでいた。
上海から或る島を経由《けいゆ》してひそかに九州の港についた。いよいよ日本へ帰りついたのである。バリ港を親子が離れてから八十二日目のことであった。
「よく
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