連れてゆくから、ちょっと圧《お》してみてくれないか」
 と帆村は首領を椅子のところへ連れてゆき、
「さあ、まず右の眼を圧してみてくれ給え」
「いやだ。乃公《おれ》は圧さない」
「圧さなければ、貴様こそ地獄へゆかせてやるぞ。この短刀の切れ味を知らせてやろう」
「待て。では圧そう」
「どうせ圧すなら、早くすればいいのに……」
 全く主客は逆になった。――首領は渋々指をさしのべて、釦をギュッと圧した。その途端にジージーガチャリガチャリと機械の動き出す音が聞えだした、と思うと正面の鉄壁が真中から二つに割れ、静かに静かに左右へ開いていった。そしてその後から何ということだろう、竪横《たてよこ》五メートルほどの大壁画が現れたがそれは毒々しい極彩色の密画で、画面には百花というか千花というか凡《およ》そありとあらゆる美しい花がべた[#「べた」に傍点]一面に描き散らしてあった。
 万花画譜《ばんかがふ》! 密偵の巣窟に、この似つかわしからぬ図柄は一体どんな秘密を蔵《かく》しているのであろうか。


   呪いの極東


 灰色の敵の巣窟に、これは又あまりにも似つかぬ極彩色の大図譜!
 英才をもって聞えた帆村探偵も、この花鳥絢爛《かちょうけんらん》と入り乱れた一大図譜をどう解釈してよいやら、皆目見当がつかず呆然としてその前に立ち尽すばかりだった。――この壁掛図が、部屋飾りのために掛けてあるのでもなく、また偶然そこにあったというのでもないことは極めて明瞭だった。すると、
(――この大図譜こそは、×国間諜団の使命に密接な関係のあるものでなければならぬ!)
 帆村はそれを確信した。
 では、その図譜の持つ謎をどこに発見したものだろう。彼はいままでに、いろいろと複雑な暗号にぶつかったが、こんな種類のは始めてだった。尚《なお》身近くには油断のならない敵手「右足のない梟《ふくろう》」がいて、ピストルに隙さえ見出せるならあべこべに彼の生命を脅かす位置に取代ろうと覘《ねら》っている。しかもこの場所というのが、敵にとって便利この上もない巣窟にちがいない。この上どんな殺人的仕掛があるやら分らないし、またいつ危急を聞きつけて、決死的な新手の団員が殺到してくるか分らない。それを思うと、長居は頗《すこぶ》る危険だった。
 それにも拘《かかわ》らず、折角《せっかく》目の前に望みながら、どうにも手のつけようのない謎の大図譜! 流石《さすが》の帆村探偵も、火葬炉の中に入れられたように、全身がジリジリと灼熱してくるのを覚えたのであった。
「さあ、――」と帆村は首領の背中を銃口で押して威嚇《いかく》した。「この図譜が出て来たからには、もう観念してよいだろう。こいつの実行期は何日《いつ》だ、それを云ってみたまえ」
 帆村は、さも計画を熟知しているような顔をして、この機密に攀《よ》じのぼるための何かの足掛りを得たいつもりだった。
「はッはッはッ」と「右足のない梟」は太々《ふてぶて》しく笑って、「儂《わし》に聞くことはないでしょう。御覧のとおりですから、勝手にお読みになったがいいでしょう」
 読めというのか。ではこの図譜の上に、すべてのことが書かれているのだ。――だが読めといっても、この花鳥乱れるの図を何と読んでいいのだろう。
「フフフフ、どうです。お分りかナ。――」
 と首領は悪意を笑声に盛って投げつけた。それを聞くと帆村はもう耐えられなくなった。
「――分らなくて、どうするものか!」
 と彼は叫んだ。自暴的な自殺的な言葉を吐くのが、彼のよくない病癖だったが、それを喚き散らすと、いつの場合も反射的に天来の霊感が浮んでくるのであった。今の場合もそうだった。
 そうだもう一つの押釦《おしぼたん》があった。
 その押釦を押しさえすればいいのだ。心配は押してみてから後でもよい!
 帆村はつと[#「つと」に傍点]手を伸べて、首領席についているもう一つの押釦をグイと押した。すると、果然その反応は起った。
 図譜に向いあった壁面に、一つの穴のようなものがポカリと明くと、その中からサッと赤色の光線が迸《ほとばし》ると見るより早く、かの大図譜の上に投げ掛った。
 と。――
 なんという不思議! 大図譜の上に乱れ飛んでいた花鳥がサッと姿を消して、その代りに図譜の上には大きな地図が現れた。地図! 地図! 青色の大地図だった。そして意外にも極東の大地図だった。日本を中心として、右には米大陸の西岸が見え、上には北氷洋が、西には印度《インド》の全体が、そして下には遥かに濠洲《ごうしゅう》が見えている。その地図の上には、ところどころに太い青線で妙な標《しるし》がついていた。――ああ矢張り密偵団の陰謀は、この大地図の上に印せられてあったのだ! 帆村の興奮は、その極に達した。
 が、そこに恐ろしい危機があった。帆村の警戒
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