の目がちょっと留守になったのだ。
ガチャーン――と、烈しい物音!
ガラガラと硝子《ガラス》の壊れ落ちる響がしたと思うと、途端に赤い光線がサッと滅した。そして面妖にも、青色の極東を中心とする大地図が消え失せて、あとには始めにみた花鳥の図が、何事もなかったように壁間に掛っていた。――
「やったナ」
と首領の方に気をくばる。――
もう遅かった。ガーンと帆村の頤《あご》を強襲した猛烈な打撃! 彼はウンと一声呻るとともに、意識を失ってしまった。
樽《たる》のある部屋
それから、どのくらい時間が経ったのか分らなかったが、兎《と》に角《かく》帆村探偵は頸筋のあたりにヒヤリと冷いものを感じて、ハッと気がついた。
(おや、自分は何をしていたんだろう?)
そのような疑惑が、すぐ頭の上にのぼってきた。
目を明いてみたが、なんだか薄暗くて、よくは分らない。
(一体ここは何処《どこ》だろう?)
と、不思議に思って、立ち上ろうとしたが途端にイヤというほど脳天をうちつけ、ズキンと頭部に割れるような痛みを感じた。
ガラガラガラ!
続いて、何か板のようなものが、床の上に落ちるような音がしたので、ハッとして飛びのこうと身を引く拍子に、
「呀《あ》ッ!」
と声をたてる遑《すき》もなく、
ガラガラガラ!
と、足が引懸《ひっかか》ったまま、その場に身体は横倒しになってしまった。そして顔の真正面から、なにか土か灰かのようなものをパーッと浴びてしまった。
プップッと、唾《つば》を吐きつつ彼は漸《ようや》く立ち上った。そして薄暗がりの中ながら、彼は大きなセメント樽のようなものの中に入っていたことが分ってきたのである。
よく目を見定めると、そのセメント樽のようなものが、その外いくつも並んでいた。まるで工場の倉庫みたいな感じである。倉庫ではないが、而《しか》も異様の臭気が室内に充満していて、それがプーンと鼻をついたが、丁度《ちょうど》塩鮭《しおざけ》の俵が腐敗を始めているような臭いだった。ここは倉庫かなとは、そのとき既に思ったことだったが確かに先刻《さっき》までいたあの大広間ではない。誰がこんなところへ連れてきたのか。
「うん、そうだ。こいつは『右足のない梟《ふくろう》』の仕業に違いない。ここは地下室の底だな。それにしても……」
と、帆村は手近の一つの樽の方へ近づいて、彼が、さっき落したと同じ蓋《ふた》を手で取払って内部を覗《のぞ》きこんだ。
「呀ッ、これは……」
帆村探偵は、内部を覗くと同時に思わず弾かれるように身を引いた。その樽の中には室内の異臭を作っている原因の一つがあったからである。
それは又、危く彼が陥りかけた恐ろしい運命を物語るものでもあった。実に樽の中には、何者とも知れぬ一個の屍体《したい》が入っていたのである。いや一個だけではない、探してみると都合四個の屍体を発見することが出来た。ああ、すると此の部屋は屍体置場にひとしいのであった。
彼は覚醒《かくせい》したことの幸運を感謝した。もうすこしで、彼自身でもって屍体を、もう一個|殖《ふ》やすところだったのである。まあよかったと思ったものの、その後で、すぐ大きな不安が押しかけて来た。
(この部屋には出口が明いているだろうか?)
という心配だった。
帆村は樽の傍を離れて、三十坪あまりもある其《そ》の室内をグルグルと廻りあるき、出口と思うところを尋ねて歩いたその結果、彼の探しあてたものは頑丈なコンクリートの壁ばかりだった。出口は有る筈なのであるが、隠されて見えなかったし、もし見つかってもこれは押したぐらいでは明かないことがハッキリした。彼はすっかりこの屍室に閉じこめられてしまったことに漸く気がついた。
「生き埋めか? そいつはたまらん!」
と帆村は独言《ひとりごと》を呟《つぶや》いたが、彼はそれほど慌《あわ》てているわけではなかった。彼はこの屍室にはもっと汚穢《おあい》した空気が溜っていなければならぬのに、それほどではないのを不審に思った。すると――どこかに空気抜けが明いているに違いない。彼は薄暗い天井に眼を据え、綿密に観察していった。果然――
「ああ、あそこに空気抜きがある!」
彼はとうとう部屋の一|隅《ぐう》に求めるものを発見した。どうやら身体が抜けられるらしい。それが分ると、彼は急いで樽の明いているのを集めた。そしてそれを城のように積み重ねていった。遂にそれは天井に達した。彼は雀躍《こおどり》せんばかりに喜んで、その空気の抜ける孔の中に匍《は》いこんだ。
孔の中は冷《ひ》え冷《び》えとしていた。そして彼の元気を盛りかえらせるような清浄な空気の流れがあった。彼は思わず深呼吸をくりかえしたが、それが済むと、ソロリソロリと真暗な孔の中を匍い始めるのだった。
空
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