い眼を閉じた。
「キ、キ、キ、キ、キィーッ」
もう堪《たま》りかねたものか、一行のうちから、サッと、懐中電灯の光芒《こうぼう》が、射るように、高い天井を照した。
「がーッ、がーッ……」
一同は、その怪音のする方を、等《ひと》しく見上げた。
「呀《あ》ッ!」
「ク、クレーンが……」
懐中電灯の薄ら明りに、はじめて照し出された怪物は何であったろうか。それはあの巨大な鉄骨で組立てられたクレーンが、物凄《ものすさま》じい響きをあげて、呀ッという間に、全速力で一同の頭上を通り過ぎたのであった。
「ひえーッ」
というなり、彼等は、折角《せっかく》手にした懐中電灯も其場《そのば》に抛《ほう》り出して、云いあわせたように、ペタペタと、地上に尻餅をついてしまった。
「電灯を、点けろッ」
わし[#「わし」に傍点]は、クレーンがまだ動いている裡《うち》だったが、決心をして、号令をかけた。そして真先に、懐中電灯を照して、一同の方へ向けた。彼等の顔は、いずれも、泣かんばかりの表情をして見えた。
「しっかりしろ、探険は、これからだッ」
わし[#「わし」に傍点]は、一同を激励《げきれい》した。
皆の懐中電灯が、揃って点くと、大分《だいぶ》場内《じょうない》が明るくなって、元気がついたようだった。
「クレーンを動かすスウィッチが、入っているかどうかを調べるんだ。オイ、政《まさ》はいるかッ」わし[#「わし」に傍点]は、クレーン係の、若い男を呼んだ。
「へええ」と政は、死人のような顔を、こっちへ向けた。「どうか、その役割は、勘弁しとくんなさい」そう云って、彼は、手を合わせて、こっちを拝《おが》んだ。
「莫迦《ばか》いうな」わし[#「わし」に傍点]は叱りつけた。「手前《てめえ》が、調べねえじゃ、係りで無えコチトラには訳が判らねえじゃねえか」
尻込みする政を、両脇《りょうわき》から引立てて、捜査に取懸った。
「このスウィッチは、開いている」一同が入った入口の側の壁上で、その入口から六、七間奥まったところに大きいスウィッチが取附けられてあった。その硝子蓋《ガラスぶた》の上から指《ゆびさ》しながら、クレーン係の政が呻《うな》った。「このスウィッチが、開いているなら、クレーンの上へ、電気が行きっこ無いんです」
「だが可怪《おか》しいぞ」とわし[#「わし」に傍点]は云った。「クレーンは確かに動いたんだ。クレーンはモートルでしか動けないんだ。このスウィッチが開いていて動く筈はない。開いているようでも何処か、電気が通うようになってるんじゃないか。よく中を開けて調べて見ろ」
カチャカチャと音をさせて、スウィッチの硝子蓋を開いてみたが、それは普通のスウィッチが、明らかに開かれた状態になっていて、外にインチキな接続は発見せられなかった。
「たしかに、このスウィッチは開いています」政は泣き声で云った。
「よし、では念のために、クレーンの上へ昇ってみよう」わし[#「わし」に傍点]は云った。
「なに、クレーンへ昇る――」
一同は、互《たがい》に顔を見合わせて、恐怖の色を濃《こ》くした。
「政、昇れ!」
「いやァ、救《たす》けて下さい」政は、ポロポロ泪《なみだ》を出して、喚《わめ》くのであった。
「じゃ、わし[#「わし」に傍点]が先登《せんとう》に昇るから、直ぐうしろから、ついて来い。いいかッ」
わし[#「わし」に傍点]はそういうなり、壁際へ進んで、クレーンに攀《よ》じ昇《のぼ》る冷い鉄梯子《タラップ》へ、手をかけた。
5
「矢張り、クレーンのスウィッチも、開いています」
三人の男にさんざん世話をやかせ、漸《ようや》くわし[#「わし」に傍点]のあとから、クレーンの上まで担《かつ》ぎあげられた政は、モートルの横の、配電盤をひと目見ると、恐《おそ》ろしそうに、そう云った。
「そうか。確《たしか》に、それと間違《まちが》いが無けりゃ、降りることにしよう」
わし[#「わし」に傍点]達は、また困難な鉄梯子《タラップ》を、永い時間かかって、一段一段と、下りて行った。
下まで降りきらない裡《うち》から、残っていた連中は、クレーンの上のスウィッチが開いていたか、どうかについて、尋《たず》ねるのであった。
「政に見て貰《もら》ったがな」わし[#「わし」に傍点]は一同の顔を、ずッと見廻《みまわ》した。
「クレーンのスウィッチも開いていたよ」
「それじゃ、いよいよあのクレーンは……」そこまで云った職工の一人は、自ら恐《おそ》ろしくなって、言葉を切ってしまった。
「……電気の力で動いたのでは無い、ということになる」とわし[#「わし」に傍点]は、代りに、云った。
「誰が、動かしたんだッ」
「上って、四方《しほう》に気をつけて見たが、隠れてる人間も居なかった。なァ、源太《げんた》、友三《ともぞう》、雲的《うんてき》」
「そうだ、そうだ」
「もっとも、人間一人で動くようなクレーンじゃない」
「ああ、すると誰が動かしたんだ」
「組長さん。もう我慢が出来なくなった。どうか、ここから出して下せえ」
「俺も、出るッ」
「いや、出ることならぬ」わし[#「わし」に傍点]は呶鳴《どな》った。「クレーンを動かした者が、判らぬ限り」
「組長さん、そりゃ無理だよ」源太が泣き声を出した。「ありゃ、生きてる人間のせいじゃないんだ」
「なんだとォ――」
「あのクレーンには、何か怨霊《おんりょう》が憑《つ》いていて、そいつがクレーンの上で、泣いたり、クレーンを動かしたりするんだ」
「ああッ――」
それを聞くと、誰もが、痛いところへ触《さわ》られたように、跳《と》び上って駭《おどろ》いた。
「おお、組長」雲的《うんてき》が云った。「誰かが、外で喚いているようですぜ」
「なに、外で喚いているッ」わし[#「わし」に傍点]は、予期しないことに吃驚《びっくり》して云った。なるほど、多勢の声で、何やら喚いているのが、遥《はる》かに聞こえるのであった。「じゃ、みんな、外へ出よう」
一同は、ワッといって、入口の扉《と》の方へ、先を争って駆けだした。ガラガラと、重い鉄扉《てっぴ》が、遠慮会釈《えんりょえしゃく》なく、引き開けられる物音がした。
「おう、組長、大変だア」疳高《かんだか》い声で叫ぶものがある。
わし[#「わし」に傍点]は、ギクリとした。
「組長」わし[#「わし」に傍点]の胸倉《むなぐら》に縋《すが》りついたのは、電纜工場《ケーブルこうじょう》の伍長《ごちょう》をしている男だった。「おせいさんが、大変だッ」
「なに、おせいが、一体どうしたというんだ」
「おせいさんが――」伍長は、苦しそうに言い澱《よど》んだ。「おせいさんが、熔融炉《キューポラ》へ、真逆《まっさかさま》に、飛びこんでしまった」
「熔融炉へ、飛びこんだ、というのかッ」
わし[#「わし」に傍点]は、それを聞くなり、おせいの働いていた電纜工場めがけて、矢のように駆け出した。
わし[#「わし」に傍点]のあとには、組下のものや、惨事《さんじ》を報《しら》せに来た連中が、バタバタと追いついて来るのであった。
電纜工場の入口を一歩入ると、凄惨《せいさん》極《きわ》まりなき事件の、息詰まるような雰囲気《ふんいき》が、感ぜられるのだった。皎々《こうこう》たる水銀灯の光の下で仕事をする人々は、技師といわず、職工といわず、場内の一隅《いちぐう》に据えられた、高さ五十尺の太い熔融炉《キューポラ》の周囲《まわり》を取巻いて、一斉に上を見上げていた。熔融炉の側には、松の樹を仆《たお》したような大電纜《だいケーブル》が、長々と横《よこ》わっていたが、これは忘れられたように誰一人ついているものは無かった。
「駄目だァ、何にも見《め》えねえ」
「着物の端も、残っていねえよ」
そんなことを叫びながら、熔融炉の頂上に昇っていたらしい男工《だんこう》達が、悲痛な面持をして降りて来た。白い手術着を着て駈けつけた医務部《いむぶ》の連中も、形のない怪我人《けがにん》に対して、策の施《ほどこ》しようも無く、皆と一緒に、まごまごしているだけだった。
「どうも、お気の毒でしたが」工場長が、わし[#「わし」に傍点]の傍へ近づくと、興奮した語調で云った。「気がついたときは、おせいさんが、もう熔融炉《キューポラ》の、殆んど頂上まで、昇っていたんです。でも、それと気がついて、(停めろ、下りろ)と、下から叫びましたが、何も聞えない風で、アレヨ、アレヨと云っているうちに、火焔《かえん》の中へ飛びこまれたようなわけで……」
わし[#「わし」に傍点]は、云うべき言葉もなかった。
「おせいさんは、覚悟の自殺を、やったらしいですよ。どうした訳か判りませんが」この工場の組長が、続いて口を挟《はさ》んだ。
そこへ、ドヤドヤと皆《みんな》を掻《か》きわけて、前へ、飛び出した者があった。
「ああ、死んじまった。おせいさん、俺を残して、何故死んでしまったのだ」
気が変になったように喚いているのは、クレーン係の政だった。
「オイ、政。どこへ行くんだ」政に追い縋《すが》っているのは、雲的《うんてき》や源太だった。
「おお、おせいちゃん。おれも、直ぐ行くよォ――」
「おい、待てと云ったら」
政は、恐ろしい力を出して、源太を投げとばすと、呀《あ》ッという間に、熔融炉《キューポラ》の梯子の上へ、ヒラリと飛び上った。
工場の人々は、まだ生々《なまなま》しい惨事のあとに続いて、どんなことが起ろうとしているかを、早くも悟《さと》って、戦慄《せんりつ》の悲鳴をあげた。
「早く、あの男を捉《つかま》えろ!」
「引ずり下ろせ、あいつは死ぬつもりだぞ!」
「誰か、助けてえ――」
わし[#「わし」に傍点]は、身体を動かした。邪魔になる人を押しのけて、熔融炉《キューポラ》の梯子の下まで来たときに、一足早く、雲的の奴が、梯子《はしご》に手をかけていた。
「うぬッ」
わし[#「わし」に傍点]は、雲的を、つきとばした。
「わし[#「わし」に傍点]が助ける」
鉄梯子に掴《つかま》って、上を見ると、政は、気息奄々《きそくえんえん》たる形であるが、早くも半分ばかりの高さまで登っていた。わし[#「わし」に傍点]は、ウン[#「ウン」に傍点]と、腰骨に力を入れると、トントンと、手拍子と足拍子と合わせて、梯子をスルスルと攀《のぼ》っていった。見る見る政とわし[#「わし」に傍点]との距離は、短縮されて行った。もう一息で、政の身体に手が届くというところで、わし[#「わし」に傍点]はツルリと、左足を滑らせた。ワッという溜息《ためいき》が、下の方から、聞えてきた。もう余すところは、五六尺しかない。ワンワン、ガヤガヤと、焦燥《もどかし》そうな群衆の声が聞える。わし[#「わし」に傍点]は、速力《スピード》をグッと速めた。
気が気じゃなく、上を見ると、政はすでに熔融炉《キューポラ》の縁《ふち》から上へ、上半身を出している。機会《チャンス》は、今を措《お》いて、絶対に無い。しかしわし[#「わし」に傍点]の手は、まだ三尺下にしか届かない。
ワンワン、ガヤガヤの声も、耳に入らなくなった。
政は身体を、くの字なりに、ぐっと曲げていよいよ飛びこむ用意をした。
「やッ!」
懸声諸共《かけごえもろとも》、わし[#「わし」に傍点]は、身体を宙に浮かせて、左手《ゆんで》をウンと、さしのべると、ここぞと思う空間を、グッと掴んだ。――
手応えはあった。
工場の屋根が、吹きとぶほど大きな歓声が、ドッと下の方から湧きあがった。
だが、こっちは、右手一本で、熔融炉の鉄梯子を握りしめ、全身を宙に跳ねあげたもんだから、左手《ゆんで》に政の足首を握った儘《まま》、どどッと、下へ墜《お》ちていった。右手を放しては、こっちが、たまらない。ガンと、横腹《よこばら》を、鉄梯子《てつばしご》に打ちつけたがそのとき、幸運にも右脚が、ヒョイと梯子に引懸った。
(しめたッ)
と思った瞬間、頭の上からバッサリ、熱くて重いものが、わし[#「わし」に傍点]を、突き墜《おと》すよう
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