夜泣き鉄骨
海野十三

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大鉄骨《だいてっこつ》が

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)電気|断続用《だんぞくよう》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#全角CC、1−13−53]
−−

     1


 真夜中に、第九工場の大鉄骨《だいてっこつ》が、キーッと声を立てて泣く――
 という噂が、チラリと、わし[#「わし」に傍点]の耳に、入った。
「そんな、莫迦《ばか》な話が、あるもんか!」
 わし[#「わし」に傍点]は、検査ハンマーを振る手を停めて、カラカラと笑った。
「そう笑いなさるけどナ、組長さん」その噂を持ってきた職工は、慄《おび》えた眼を、わし[#「わし」に傍点]の方に向けて云った。「昨夜のことなんだよ、それは……。火の番の、常爺《つねじい》が、両方の耳で、たしかに、そいつを聴いたよッて、蒼《あお》い顔をして、此《こ》のおいら[#「おいら」に傍点]に話したんだ。満更《まんざら》、偽《いつわ》りを云っているんだたァ、思えねぇ」
 いつの間にか、わし達の周《まわ》りには、大勢の職工が、集ってきた。
「組長さん、それァ本当なんだ」別の声が叫んだ。
「なんだとォ――」おれは、その声のする方を見た。「てめえ[#「てめえ」に傍点]は、雲的《うんてき》だな。雲的ともあろうものが、軽卒《かるはずみ》なことを喋《しゃべ》って、後で笑《わらわ》れンな」
「大丈夫ですよ――」雲的《うんてき》は大いに自信ありげに、言葉をかえした。「それについちゃ、ちィっとばかり、手前《てめえ》の恥も、曝《さら》けださにゃならねえが、もう五日ほど前のことでさァ。徹夜勝負《よあかししょうぶ》のそれが、十二時を過ぎたばかりに、スッカラカンでヨ、場に貸してやろうてえ親切者もなしサ、やむなく、工場の宿直《しゅくちょく》、たあさんのところへ、真夜中というのに、無心《むしん》に来たというわけ。さ、その無心を叶《かな》えて貰っての帰りさ、通り懸《かか》ったのが今話しの第九工場の横手。だしぬけに、キーイッという軋《きし》るような物音を聴いた。(オヤ、何処だろう)と、あっし[#「あっし」に傍点]は立停《たちどま》った。暫《しばら》くは、何にも音がしねえ。(空耳《そらみみ》かな?)と思って、歩きだそうとすると、そこへ、キーイッとな、又聞えたじゃねえか。物音のする場所は、たしかに判った。第九工場の内部からだッ。(何の音だろう? 夜業《やぎょう》をやってんのかな)そう思ったのであっし[#「あっし」に傍点]は、顔をあげて、硝子《ガラス》の貼ってある工場の高窓を見上げたんだが、内部は真暗《まっくら》と見えて、なんの光もうつらない。(こりゃ、変だ!)俄《にわか》に背筋が、ゾクゾクと寒くなってきた。そこへ又その怪しい物音が……。恐《こわ》いとなると、尚《なお》聴きたい。重い鉄扉《てっぴ》に耳朶《みみたぶ》をおっつけて、あっし[#「あっし」に傍点]ァ、たしかに聴いた。キーイッ、カンカンカン、硬い金属が、軋《きし》み合い、噛み合うような、鋭い悲鳴だった」
「大方、工場に、鼠《ねずみ》が暴れてるんだろう」わし[#「わし」に傍点]は、不機嫌に云い放った。
「どうして、組長!」雲的《うんてき》はハッキリ軽蔑《けいべつ》の色を見せて、叫びかえした。「あっし[#「あっし」に傍点]にァ、あの物音が、どこから起るのか、ちゃんと見当がついてるのでサ」
「ンじゃ、早く喋《しゃべ》れッてことよ」
「こう、みんなも聴けよ」彼は、周囲《まわり》の南瓜面《かぼちゃづら》を、ずーッと睨《ね》めまわした。「ありゃナ、クレーンが、動いている音さ!」
「なに、クレーンが※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 一同が、思わず声を合わせて、叫んだ。
 クレーンというのは、格納庫《かくのうこ》のように巨大な、あの第九工場の内部へ入って、高さが百尺近い天井を見上げると判るのだが、そこには逞《たくま》しい鉄骨で組立てられた大きな橋梁《きょうりょう》のような形の起重車《きじゅうしゃ》が、南北の方向に渡しかけられている。それが、クレーンだった。その橋梁の下には、重い物体をひっかける化物《ばけもの》のようにでっかい[#「でっかい」に傍点]鈎《かぎ》が、太い撚《よ》り鋼線《ロープ》で吊《つ》ってあり、また橋梁の一隅《いちぐう》には、鉄板《てっぱん》で囲った小屋が載《の》っていて、その中には、このクレーンを動かすモートルと其の制動機とが据《す》えてあった。制動機を動かすと、この鉄橋は、あたかも川の中で箸《はし》を横に流すように、広い第九工場の東端《とうたん》から西端《せいたん》まで、ゴーッと音をたてて横に動くのだった。
「おい、政《まさ》ッ!」わし[#「わし」に傍点]は、クレーンの運転手をやっている男を、人垣の中に呼んだ。
「へえ――」政は、紙のように、白い顔をして、おずおずと、前へ出てきた。
「クレーンが、真夜中に動き出すてのは、本当かな」
「わたしは、ナなんにも、存《ぞん》じませんです。しかし、クレーンのスウィッチは、必ず切って帰りますで、真夜中に、ヒョロヒョロ動き出すなんて、そんな妙なことが……」
 そこまで云った政は、発作《ほっさ》みたいな様子となり、言葉のあとをブツブツ口の中で呟《つぶや》いて、それから急に気がついたかのように、ワナワナ慄える両手を、周章《あわ》てて背後に隠したのだった。
「よォし。今夜は、一つ正体《しょうたい》を確かめてやろう。いいか、みんな夜中の十二時を廻ったら、裏門前に集るんだ!」


     2


 合宿所の、三階の、廊下を、パタパタと音をさせて、近づいてくる跫音《あしおと》があった。
「組長さん、おいでですか――」
 その跫音は、「舎監居間《しゃかんいま》」と書いた木札《きふだ》を、釘で打ちつけてあるわし[#「わし」に傍点]の室の入口の前で停るが早いか、そう、声をかけたのだった。
「おう。誰かい」
「栗原《くりはら》です。倉庫係《そうこがかり》の栗原ですて」
「栗原? 栗原が、なんの用だッ」
「へえ、ちょっと工場の用なんで……」
「なにッ。工場の用て、どんなことだか云ってみろ」
「へえ、実は――」栗原は、言い淀《よど》んでいる風だった。「先日《せんじつ》お持ちになりました乙型《おつがた》スウィッチが、急に入用になりましたんで、いただきに参ったんですが……」
「スウィッチなんか、明日にしろ」
「ところが生憎《あいにく》、工場で至急使うことになったんで、直ぐ持って行かないと困るんでして、実にその……」
「よォし、いま入口を開けるから、ちょっと待て」
 暫くして、わし[#「わし」に傍点]は、入口の扉《と》を、サッと開けた。
「どうも相済《あいす》みません」栗原は、わし[#「わし」に傍点]の顔を見るなり、ペコリと頭を下げた。
「お前、この間、そう云ったじゃねえか。このスウィッチは、当分《とうぶん》不用《ふよう》だから、いつまでもお使いなさい、とな」
「申訳がありませんです」栗原は、ひどく恐縮《きょうしゅく》している態《てい》で、ペコペコ頭を下げた。「組長さんは、スウィッチの図面を書きたいから御持ちになるというので、そんな簡単な御用ならと、栗原は帳簿に書かないで、御貸ししたんです。ところが、今急に、拡張《かくちょう》工事係の方から、在庫《ざいこ》になっている乙型《おつがた》スウィッチは全部数を揃えて出せという命令なんで。どうも已《や》むを得ず、ソノ……」
「文句はいいや。さア、早く持ってゆけ」
 わし[#「わし」に傍点]は、抱《かか》えていた乙型スウィッチを、彼の前に、さしだした。
 乙型スウィッチというのは、長さ一尺五寸、幅《はば》七寸の、細長い木箱《きばこ》に収められた大きなスウィッチで、硝子《ガラス》蓋を開くと、大理石《だいりせき》の底盤《ていばん》の上に幅の広い銅《どう》リボンでできた電気|断続用《だんぞくよう》の刃《は》がテカテカ光り、エボナイト製の、しっかりした把手《ハンドル》がついていた。このスウィッチ一つで、鳥渡《ちょっと》したモートルの開閉は充分できるのであった。
「栗原さん、俺が持ってゆくよ」
 横の方から、思いがけない、違った声がして、頭髪《かみのけ》をモシャモシャにした若い男が、姿を現した。
「だッ、誰だ。手前《てめえ》は……」
 わし[#「わし」に傍点]は、戸口の蔭から、イキナリ飛び出した男に、駭《おどろ》いた。
「こいつは、横瀬《よこせ》といいましてネ」若い男の代りに栗原が弁解した。「この栗原の遠縁《とおえん》のものです」
「何故ひっぱってきたんだ」
「いまお願いして、倉庫で、私の下を働かせて、いただいてるのです。というのは、下町《したまち》の薬種屋《やくしゅや》で働いていたのが、馘首《くび》になりましてナ、栗原のところへ、転《ころが》りこんできたのです」
「ふウん、お前さん、薬屋かア」
 珍らしそうに、スウィッチの表や裏を、眺めている若い男に、わし[#「わし」に傍点]は、声をかけた。
「薬屋だったんです」その横瀬は、ぶっきら棒の返事をした。
「どうだろうな。わし[#「わし」に傍点]は、お前さんに、ちょっと頼みたいことがあるんだが」
「骨の折れねえことなら、手伝いますよ」
「これッ――」栗原が駭《おどろ》いて、横瀬の汚い職工服を、ひっぱった。
「骨は折れねえことだ。じゃ、栗原、お前の若い衆を、ちょいと借りたぜ」
「へえ、ようがす」
 栗原は、若い横瀬から、スウィッチの箱をうけとると一人で帰って行ったのだった。
「さあ、こっちへ、入んねえ」
「はあ――」
「わし[#「わし」に傍点]は、鳥渡《ちょっと》、お前さんに、見て貰いてえものがあるんだ」
「俺に、判るかなァ」
「もの[#「もの」に傍点]は、これなんだ」わし[#「わし」に傍点]は、机の抽斗《ひきだ》しの奥から、新聞紙にくるんだものを、出してきた。
「この硝子《ガラス》で出来たものはなんだね」わし[#「わし」に傍点]は、それを横瀬に手渡した。
「これは、注射器の一部分ですよ」
「注射器? そうだろうな、わし[#「わし」に傍点]も、そう思った。それで、何の注射器か、お前さんに判らないかい」
「さァ――」横瀬は、モシャモシャ頭髪《かみのけ》を、指でゴシゴシ掻《か》いた。「注射器は判るが、尖端《さき》についている針が無いから、見当《けんとう》がつかねえ」
「じゃ、此処《ここ》んとこを見て呉れ。この注射器の底に、ほんのり茶っぽいものが附いているが、これは、なんて薬かい」
「うん、なんか附いてはいるが――」若い男は注射器を、明り窓の方に透《す》かして、その茶色の汚点《おてん》に眺め入った。「電灯は点《つ》きませんか」
「生憎《あいにく》、この合宿じゃ、六時にならないと、点かないんだ。まだ三十分も間があるよ」
 初夏《しょか》の夕方は、五時半を廻っても、まだ大分明るかった。
「さあ、わかりませんね。こんなに分量が少くちゃ見当がつかない。薬品のようでもあり、血痕《けっこん》のようでもあり……」
 わし[#「わし」に傍点]は、グッと唾《つば》を呑みこんだ。
「もう一つ、見て貰いたいものがある」わし[#「わし」に傍点]は、新聞紙包みの中から、もう一つの品物をとりだした。「これは何かね」
「こんなもの、どっから持って来たんです」横瀬は、ピカピカ光る、その外科道具のようなものを手に取上げ、ニヤニヤ笑いだした。
「何に使う品物かね」わし[#「わし」に傍点]は、横瀬の質問には答えようとせず、同じことを、聞きかえしたのだった。
「一口に云えば――」と、わし[#「わし」に傍点]の顔をジロリと見て、「子宮鏡《しきゅうきょう》という、産婦人科の道具だね」
「よし、判った」わし[#「わし」に傍点]は、ピカピカするそれを、横瀬の手から、ひったくるようにして、元の新聞紙の中に、
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング