則を無視したような芸当《げいとう》ですから私は驚きました。これは様子がおかしいと気がついて、やっと助け下ろしますと、「崩《くず》れる鬼影《おにかげ》!」と不思議な言葉を呟いたまま人事不省《じんじふせい》に陥《おちい》ってしまいました。
「崩れる鬼影」とは、あの老婦人も譫言《うわごと》のように叫んでいた言葉ではありませんか。これは一体どうしたというのでしょう。鬼影とはなんでしょう。それが崩れるとは、何のことだか一向見当がつきません。
「兄さん。兄さん――」
 私は兄の荘六の耳元で、ラウドスピーカーのような声を張りあげました。でも兄はピクリとも動きません。反応がないのです。
「兄さん、しっかりして下さい――」
 と今度は両手でゆすぶってみました。しかしやっぱり兄はまるで気がつきません。所は山深い箱根のことです。人里とては遠く、もう頼むべき人も近所にはないのです。私はどうしてよいのやら全く途方に暮れてしまいました。ポロポロと熱い泪《なみだ》が、あとからあとへ流れて出ます。私はもう怺《こら》えきれなくなって、ひしと兄の身体に縋《すが》りつき、オイオイと声をあげて泣き始めました。笑ってはいけませ
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