のだから、誰しも性能をうたがいたくなるのは無理ありません。私としては、この飛行島が完成した上で、試運転するところを黙って見てくださいといいたい。その時にこの浮かぶ飛行島がどんな目覚しい働きをするか、まず腰をぬかさないように見物していただきたいと申したい。しかし貴国との共同作戦をきめるのは、試運転の時ではもう遅い。敵の日本艦隊は、かなわないと知っても決してぐずぐずしてはいませんからね。その前に、貴国とわが英国とは手を握って、共同戦線を張らなければ、この戦争は大勝利を得るというわけにはいかないでしょう。もっともわが軍は、単独で日本と戦っても勿論十分勝つ自信はありますがね。しかし貴国もどうせ日本に対して立つのなら、わが国と一しょに立った方がお互に利益ですからね」
リット少将は、嚇《おど》したりすかしたりして、ハバノフ氏を口説きおとすのに大車輪の態だった。老獪《ろうかい》とは、こういうところをいうのだろう。
しかしハバノフ氏は、更に役者が一枚上と見えて、嚇されてもすかされても、一向感じないような顔をしていた。リット少将は、心中じりじりとあせってくるばかりであった。
そこで少将は、急に思い出したという風に、銀盆の上の紅茶器をとりよせ、すこし冷えかかったセイロン茶を注ぐと、ハバノフ氏の前にすすめた。
「セイロン茶ですか。なかなかいい香だ」とハバノフ氏は犬のように鼻をならして、茶碗を口のところへ持っていった。
「お気に入ったら、まだありますよ」
「ええ気に入りましたね。大英帝国は、世界中いたるところ物産にめぐまれた熱帯の領土を持っていますね。まったく羨ましいことです。しかるにわが国は、いつも氷に閉ざされている。せめて一つでもいいから、冬にも凍らない港が欲しいと思う。いかがですな。大英帝国はわがソ連のため、アフリカあたりに植民地をすこし分けてくれませんか」
「あっはっはっ、なにを冗談おっしゃる。冬でも凍らない港なら、東洋にいくらでもあるではありませんか。大連、仁川、函館、横浜、神戸など、悪くありませんよ。なにもかも、貴国の決心一つです」
と、リット少将は、うまく相手の話をはぐらかした。
「しかし大英帝国は――」
と、なおもハバノフ氏が突込もうとすると、
「おおそうだ、ハバノフさん。昨夜捕虜にした日本海軍の水兵をあなたに見せましょうか。さあ、これから御案内しますよ」
と、リット少将は椅子から立ちあがった。
この巨弾は、少将の思ったとおり、ハバノフ氏の好奇心をたいへんうごかした。
「ああ、昨日貴官の前から逃げだした杉田とかいう日本の水兵が、また捕まったのですか。それは一つ、ぜひ見せていただきたい」
ハバノフ氏は無礼にも、まるで見世物を見るような口のききかたをした。
杉田二等水兵といえば、川上機関大尉に助けられて倉庫の中に身をひそめていたはずだった。彼は探し出されてまた捕らえられたらしいが、なぜまたおめおめと敵の手に落ちてしまったものだろうか。
「さあ、私について、こっちへいらっしゃい」
リット少将はハバノフ氏をうながして、客間から奥に通ずる扉《ドア》を押して入ってゆく。
悩ましき捕虜
杉田二等水兵は、飛行島の最上甲板にある「鋼鉄の宮殿」の一室の豪華な寝台の上に寝かされていた。
そこはリット少将の居室からへだたることわずか六部屋目の近さにあった。
彼はすっかり体を清められ、そしてスミス中尉のピストルに撃たれた胸部は、白い繃帯でもって一面にぐるぐる捲きつけられていた。
枕許には、英人のドクトルが容態をみまもり、そのほか二人の英国生れの金髪の看護婦がつきそっていた。
またその広い部屋の隅には、やはり白い長上衣を着たもう一人の白人の男がいた。彼にはこの白い長上衣が一向似合っていなかった。それも道理、この白人の男こそは、この飛行島の無頼漢ヨコハマ・ジャックなのだ。ジャックがこんなところに詰めているわけは、読者諸君もすでにお気づきのとおり、日本語しかわからない杉田二等水兵の通訳をするためだった。ジャックは永いこと横浜に暮していて、べらんめえ調の歯切のいい日本語――というよりも東京弁というかハマ言葉というかを上手にしゃべった。
だがこの新米の通訳先生は、手もちぶさたの態で、ぼんやりと杉田水兵の枕許にある美しい花の活けてある瓶をみたり、そしてまた若い看護婦の顔を穴のあくほどじろじろ見たりしていた。それも道理、彼の用事は一向出てこないのだ。というのは、寝台の上に横たわっている杉田二等水兵が、まるで黙ったきりで、何を話しかけてもうんともすんともいわないからである。
ジャックは、さっきから怪しい手つきばかりを繰返している。彼は右手をポケットへ持っていっては、そこから何かを引張りだそうとしては、急に気がついたようにはっと手を元へかえすのである。そのポケットの中には、煙草の箱が入っていた。煙草を吸いたくて手がひとりでにポケットにゆくが、この病室では煙草を吸ってはいけないというきついお達しを急に思いだしては手を戻すのであった。
「ああ辛い。とんだ貧乏籤をひいたものだ。あの日本の小猿め、早くくたばっちまえばいいものを。そうすれば俺はこの部屋から出ていっていいことになるからなあ」
などと小さい声でつぶやいては、ちぇっと舌打ちをする。
寝台の上では、杉田二等水兵が相変らず黙りこくっている。
看護婦がスプーンで強壮剤をすくって口のところへ持っていってやると、杉田は切なそうにぎろりと眼玉をうごかしては、仕方がないというような顔でもって口を開ける。そこを見はからって、看護婦はその黄色い液体を杉田の口の中に流しこむ。
杉田は、眼をとじたまま、それを苦そうにのむ。
「どうも変な日本人ね。このお薬ときたら、とても甘いのにねえ」
「ほんとだわね。日本人たら、甘い時にはあんな風に顔をしかめる習慣かしらと思ったけれど、そんなことないわねえ」
傷ついた体を敵の手にゆだねていなければならぬ杉田の胸中がわからないのか、看護婦たちは勝手なことばかりしゃべっている。――杉田のとじた二つの瞼の間から、どっと涙が湧いてきて、頬の上をころころと走りだした。
彼は、はりさけるような思いをじっとこらえた。が、あふれ出る口惜し涙はどうすることも出来なかった。
彼は、生きて恥ずかしめを受けるより、舌を噛んで死んでしまいたかったのだ。
しかし彼は死ぬわけにゆかなかった。彼は川上機関大尉から別れ際にいい渡された言葉にそむくことが出来なかった。
(決して死んじゃならぬ。お前が捕まっても、きっと救いにいってやる。死ぬではないぞ)
杉田は、その命令をかたく守って、我慢しているのだった。その苦しさは、また格別だ。死ぬことの方が、生きるよりはるかに楽なことを、杉田はつくづくと感じた。
そこへ扉《ドア》があいて、リット少将がハバノフ氏をしたがえて入ってきた。
ドクトルをはじめ、室内にいた一同はすっくと立って、うやうやしく敬礼をした。
「どうじゃね。日本の水兵は、連《つれ》のことを白状したか」
「いえ、何にも返事をしませぬ。医者には、こういう訊問は得意でありません」
とドクトルは頭《かぶり》をふった。
すると隅にいたヨコハマ・ジャックがのっそり進み出て、
「この日本の小猿めは、しぶとい奴ですよ。かまうことはありませんよ。素裸《すっぱだか》にして、皮の鞭で百か二百かひっぱたいてやれば、すぐに白状してしまいますよ」
「そういう乱暴は許されない。そんなことをすれば、私はこの水兵の生命をうけあうわけにはゆかない」
とドクトルが反対した。
リット少将は、賛成とも反対ともいわず、寝台の上に歯をくいしばっている杉田二等水兵の顔をじっと見下していた。
重傷の水兵
「ジャック。水兵杉田に、私が見舞に来たといえ」
リット少将はおもむろに口を開いた。
「へえい」
と答えてヨコハマ・ジャックは、憎々しく幅の広い肩をゆすぶって寝台に近づいた。
「こら、杉田水兵。飛行島の団長さまリット閣下がおいでになったぞ。眼をあけて、御挨拶を申しあげるのだ」
杉田はなにも答えなかった。ただ太い眉がぴくりと動いただけで、とじつづけている瞼をあけようともしない。
「太い奴だ。こら杉田、眼をあけろというのに。――こんなにいってもあけないな。うん、じゃあいつまでもそうしていろ。こうしてやるぞ」
と手をさしのばして、杉田の顔をつかみかかろうとするのを、ドクトルは横合からさしとめた。
「患者に手をかけてはならぬ。私は主治医だ」
「なにを、――」
「おいジャック。もういい、やめろ」
と、リット少将はジャックをとめた。
ドクトルはその方を向いて、
「リット少将。このような乱暴がくりかえされるのでありますと、私はこの患者の生命を保証することはできませぬ」
「いやわかっている。ジャック、お前はすこし手荒いぞ。ちと慎め」
「なにが手荒いものですか。私は昨日、この日本の小猿めに床の上に叩きつけられたものです。そのとき腰骨をいやというほど打ちつけて、しばらくは息もできないほどでした。その仇をとらなくちゃ、ヨコハマ・ジャックさまの――」
「こら黙れ。この上乱暴すると、飛行島の潜水作業の方へ廻すぞ」
とリット少将がきめつけると、ジャックはたちまち顔色をかえて、
「あっ、そいつばかりは御免です。潜水作業はあっしの性分に合わないんだ。この前十分に懲りましたよ。あんな深いところに推進装置をとりつけるのは――」
「おい、飛行島の秘密をしゃべっちゃならぬ。貴様は何というわからない奴だ」
「ほい、また叱られたか」
ジャックは両手をポケットにいれて、肩をすくめた。
その時あわただしく扉をあけて、スミス中尉が入ってきた。
「おおリット少将。至急、御報告することがあります」
「スミス中尉か。何ごとだ」
「今しがた、飛行島の左舷近くに、昨夜海中にとびこんだところを射殺しました日本のスパイ士官らしい死体が浮かんでいるのを発見いたしまして、引揚げてあります。ごらんになりますか」
「なに、あの川上機関大尉の死体が発見されたというのか」
とリット少将は眼を輝かした。
「そのとおりでございます。それで、いかがいたしましょうか」
「死体が見つからなかったときには、川上の行方をもう一度厳重に探さなければならぬと思って、いまもそれを考えていたのじゃ。万事思う壺で、満足じゃ」
川上機関大尉の死体が発見されたとは、全く一大事であった。
英語を知らない杉田二等水兵は、別におどろきもせず寝ていたが、もしそれを知ることが出来ていたら、どんなに歎いたことであろう。
「おい、スミス中尉。その死体はたしかに川上機関大尉にちがいないかね」
何を考えたか、リット少将が突然思いがけない質問を放った。
「なんとおっしゃいます」
と中尉は自分の耳をうたがうように、少将の方を注目した。
涙、涙、涙
「リット少将。昨夜も御報告申し上げましたように、川上機関大尉を中甲板舷側に追いつめました時、彼は苦しまぎれに、塀を越えて海中にとびこんだのです。それを上からさんざん撃ちまくったのです。さっき東側の舷《ふなばた》近くの海面で発見した死体には、弾丸《たま》が二十何発も命中していましたし、これに間違いありません」
「そうか。弾丸は捜査隊員のもっていた銃から出たものに相違ないか」
「そうであります。うち一発は、すぐ取出せましたので改めてみましたが、たしかにこっちの機関銃の弾丸でありました」
「じゃ、その死体を見ようじゃないか」
リット少将は、スミス中尉に案内させて、舷ちかい甲板の隅に寝かしてある死体を見た。それはほとんど裸に近い東洋人であった。たしかに二十何発の命中弾のあとをかぞえることができる。
「念のため、水兵杉田にこれを見せてみろ。彼がどんな顔をするか、それによって、真偽のほどが確かめられるだろう」
どこまでも考え深いリット少将は、スミス中尉に眼くばせをした。
杉田水兵は、いきなり背の高い患者運搬車にのせられたので面喰った
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