っと懸声して、塀を向こうにとび越えた。と同時にうわーっという叫が下におちていったかと思うと、やがてどぼーんと大きな水音が遥か海面から聞えてきた。
 そのとき追跡隊がおいついて塀によじのぼった。
「あっ、あそこに! とうとうとびこみやがったんだ」
 呼笛が高く吹かれた。人々は集ってきた。泡だつ波紋を目がけて探照灯が何条も照らした。
 その真中に浮かびでた人間の頭。
 だだだーん、ぱぱぱーんとはげしい銃声が波紋の中の人間に集中された。
 海面はとびこむ弾丸のためにしぶきをあげた。やがて人間の頭は、その下に沈んでしまった。
「あっはっはっ、大骨を折らせやがった」
 追跡隊の人々は、面白そうに笑いあった。
 ああ、川上機関大尉は壮途半ばにして遂に南海の藻屑と消え去ってしまったのであろうか。その謎を包んだまま、波紋はどこまでもどこまでもひろがってゆく。
 だが、波紋が消えてしまうころ、その謎もまたとけるであろう。


   無電は飛ぶ


(突然危険迫る。無線機械発見せられた――)
 という悲壮な秘密無線電信を最後として、わが練習艦隊と川上機関大尉との連絡は、ぷつりと切れてしまった。
 月光ひとり明るい南シナ海の夜であった。軍艦須磨明石の二艦は、この驚きをのせたまま、あいかわらず北へ北へと航進を続けていた。
 飛行島に忍びこんでいた川上機関大尉はどうなったか――憂いの色につつまれた二番艦明石の艦長室では、艦長加賀大佐と副長と、それから川上機関大尉の仲よしである長谷部大尉との三人が、黙りこくって、じっと時計の針のうごきを見つめている。
「副長――」
 と、突然加賀大佐が叫んだ。
「はあ。お呼びになりましたか」
「うむ。――どうじゃ、旗艦からの報告がたいへん遅いではないか」
「だいぶん遅うございますな。ちょっと無電室へ様子を見に行ってまいりましょう」
 そういって副長は、籐椅子から腰をあげると、艦長室を出ていった。
 あとには艦長と長谷部大尉の二人きり、しかし二人とも一語も発しようとはしなかった。
 これより先、川上機関大尉の発した例の悲壮なる尻切無電が入ると、加賀大佐は直ちに旗艦須磨の艦隊司令官大羽中将のもとへ知らせたのであった。
 艦隊司令官からは、「すこし考えることがあるから、暫く待っておれ」と返電があった。それからもう二十分あまりの時間がすぎたのに旗艦からは何にもいってこない。
     ×   ×   ×
 だが艦隊司令官は、いたずらに考えこんでいるのではなかった。
 旗艦の上では幕僚会議が開かれた。そして遂に艦隊司令官の決意となった。
 旗艦須磨の無電室は、その次の瞬間から俄かに活溌になった。
 当直の通信兵は、送受信機の前に前屈みとなって、しきりに電鍵をたたきつづけていた。そして耳にかけた受話器の中から聞えてくる返電を、紙の上にすばやく書きとっては、次々に伝令に手渡していた。
 その受信紙の片隅には、どの一枚にも「連合艦隊発」の五文字が赤鉛筆で走り書されてあった。それでみると、須磨は、多分太平洋のどこかにいる連合艦隊の旗艦武蔵と、通信を交わしているものらしかった。
 一たいなにごとにつき、連合艦隊と打合わす必要があったのであろうか。
 そのうちに、この無電連絡は終った。
 旗艦須磨の通信兵は、電鍵から手を放した。しかし彼の耳に懸っている受信器には、しきりに連合艦隊の旗艦武蔵がホ型十三号潜水艦を呼んでいる呼出符号が聞えていた。
 モールス符号はトン、ツー、トン、トン、ツー……と絶間なく虫のような鳴声をたてていた。相手のホ型十三号はどうしているのか、なかなか出てこない。
 そのうちに、違った音色の無電が、微かな応答信号をうちはじめた。
「ホ潜十三、ホ潜十三、……」
 戦艦武蔵が呼んでいた相手がいよいよ現れたのだった。
 そこで連合艦隊の無電が、さらにスピードを加えてまた鳴りだした。こんどは長文の暗号電信であった。ホ型十三号潜水艦は、いまどこの海面に浮きあがっているのであろうか。双方のアンテナから発する無電は、刻々と熱度を加えていった。まるで美しい音楽のようだ。やがてその交信ははたとと絶えた。
 代って、再び練習艦隊旗艦須磨が呼びだされた。
 通信兵は、再び部署について、送信機の電鍵に手をかけた。
「練習艦隊旗艦須磨はここにあり!」
 すると、すぐさま本文が被《かぶ》さってきた。
「連合艦隊は、貴艦の要請によりて、只今ホ型十三号潜水艦に出動を命じたり」
 すわ潜水艦の出動!
 ホ型潜水艦といえば、わが帝国海軍が持つ最優秀の潜水艦だった。連合艦隊は、潜水艦に、そもいかなることを命じたのであろうか。それよりも、練習艦隊司令官大羽中将は何事を連合艦隊宛に頼んだのであろうか。
     ×   ×   ×
 こちらは元の軍艦明石の艦長室である。
 一旦出ていった副長が、電文をかきつけた紙片を手にして、急ぎ帰ってきた。長谷部大尉は、また椅子から立ちあがって、副長に注目した。
「副長、どうした」
 と、艦長加賀大佐は平常に似あわず、せきこんで声をかけた。
「はい、艦長。連合艦隊はわれわれのために潜水艦を出動させました。これがその電文です」
「そうか――どれ」
 加賀大佐は副長の手から紙片をうけとると、その上に忙しく眼を走らせ、うーむとうなった。
「まず、こういうところだろうなあ」
 加賀大佐は通信長を呼出し、ホ型十三号潜水艦との連絡を手落なくとるように命じた。
 ホ型十三号潜水艦は、一たいこれからいかなる行動にうつろうとするのであろうか。


   飛行島の欠陥?


 飛行島の夜は明けはなれた。
 熱帯地方の海は、毎日同じ原色版の絵ハガキを見るような晴天がつづく。今日も朝から、空は紺碧に澄み、海面は油を流したように凪いでぎらぎら輝く。
 飛行島建設団長リット少将は、たいへん早起であった。提督は起きるとすぐ最上甲板の「鋼鉄の宮殿」をすっかりあけはなち、特別に造らせた豪華な専用プールにとびこみ、海豚《いるか》のように見事に泳ぎまわる。それがすむと、一時間ばかり書類を見て、それからやっと軽い朝食をとるのが習慣になっていた。
「いやあ、お早いですな」
 と声をかけながら、白麻の背広にふとった体を包んだ紳士が、甲板の方から入ってきた。それは外ならぬソ連のハバノフ特使であった。
「やあお早う、ハバノフさん。私は煙草が吸いたくなって、それで朝早く眼が覚めるのですよ。眠っている間は、煙草を吸うわけにゆかないですからねえ」
「いや私は、第一腹がへるので、眼が覚めますわい。どっちも意地のきたない話ですね。あっはっはっ。――ときにちょっとここにお邪魔をしていいですか」
 と、ハバノフ特使は傍の籐椅子を指さした。
「さあどうぞ。いまセイロンの紅茶をいいつけましたから、一しょにやりましょう」
 とリット少将は上機嫌である。
 ハバノフ特使は籐椅子をリット少将の方へひきよせると、
「ねえ、リット少将。――」
 と改った口調で、上眼をつかう。
「おお何か御用件でしたか。それは失礼しました。どうぞおっしゃってください」
「――実は、昨日貴官からお話のあった英ソ両国間の協定のことですが、国の方へ相談してみたのです」
「ほほう、それはそれは。お国ではどういう御意見ですかね」
「それがどうも、申し上げにくいが、ちと冴えない返事でしてね。要点をいいますと、日中戦争以後、英国が日本に対して非常に遠慮をするようになったので、あまり頼みにならぬと不満の色が濃いのです」
「なに、日本に対してわが大英帝国が遠慮ぶかくなったという非難があるのですか。それはそう見えるかもしれません。いや、そう見えるように、わざとつとめているのだといった方がいいでしょう。それも相手を油断させるためなんです。ですが、実は、われ等は極東において絶対的優勢の地位に立とうと、戦備に忙しいのです。わが大英帝国は、東洋殊に中国大陸を植民地にするという方針を一歩も緩めてはいない。これまで中国に数億ポンドの大金を出しているのですよ。そのような大金がどうしてそのまま捨てられましょう」
 とリット少将の言葉は、次第に火のように熱してきた。日本人が聞いたら誰でもびっくりするにちがいない恐しい言葉だ。
「駄目です、駄目です。貴官の国の戦備はまだなっていません。本当にそれをやるつもりなら、なぜもっと極東に兵力をあつめないのです」
 とソ連の密使ハバノフ氏は叫ぶ。
 それを聞くとリット少将は、むっとした顔付にになって、
「ハバノフさんこそ何をいいますか。われ等は十分にそれをやっている。だから昨日も説明したではありませんか。いま建設中のこの飛行島などは、世界のどこにもない秘密の大航空母艦である。しかもそれを南シナ海に造っているというのは、何を目標にしているか、よくわかっているではありませんか」
「いやリット少将。貴官はこの飛行島がたいへん御自慢のようだが、今朝わが国の専門家から来た返事によると、どうも頗《すこぶ》るインチキものだということですよ」
「なにインチキだ。この飛行島がインチキだというのですか」
 とリット少将は、怒の色をあらわして、椅子からすっくと立ちあがった。
 そのとき可愛らしい中国服の少女が、紅茶器を銀の盆にのせて、部屋に入ってきた。


   狼対熊


「おお梨花、そこへ置いておけばいいよ」
 と、リット少将は額の汗をふきながら、やさしく中国服の少女にいった。梨花は福建省生れの美しい少女で、少将の大のお気に入りの女給仕だ。
「では、ここに――」
 と、梨花は紅茶器の盆を卓子《テーブル》の上におくと、そのまま客間を出ていった。
「じ、実に怪しからん。この飛行島がインチキとは」
 リット少将の眼がふたたび、三角にとがった。
「私がインチキといったのではない。私の国の専門家がそういったのです」
「なにをインチキというのだ。いいたまえ。私は建設団長として、貴君の説明を要求する」
「では――」とハバノフ氏は大熊のように落着きはらって、
「さしあたり飛行甲板のことですよ」
「飛行甲板がどうしたというんです」
「そう貴官のように怒っては困る。まあ私のいうことをおききなさい。いいですかね。飛行甲板から重爆がとびだすのに、滑走路が短すぎるから、甲板は戦車の無限軌道式になっていて、そいつは飛行機のとびだす方向と逆に動くとかいいましたね」
「そのとおりです」
「いやそれがインチキだというのです。甲板が無限軌道で後方へ動いても、飛行機の翼はそのために前方から空気の圧力を余計に受けるわけではない。だから、とびだしやすくはならないというのです。結局そんなものがあってもなくても同じことだ。インチキだという証明は、これでも十分だというのです。さあどうですか」
「なあんだ、そんなことですか。それは一を知って二を知らぬからのことです。後方に動く無限軌道の甲板は十分役に立ちます。停っている飛行機が、出発《スタート》を始めたからといって、摩擦やエンジンの性能上すぐ全速力を出せるものではありません。ですから無限軌道の上で全速力を出せるまで準備滑走をやるのです。飛行島の外から見ているとそれまでは飛行機が甲板の同じ出発点の位置でプロペラーを廻しているように見えるでしょう。そして全速力に達したところで、無限軌道をぴたりと停めるのです。すると飛行機は猛烈な勢いでもって飛行島の上を滑走して進みます。そして全甲板を走りきるころにはうまく浮きあがるのです。どうです。これでもインチキですか」
「いや、私がインチキだといったわけではないのです。くれぐれも誤解のないように。私にはよくわかりませんから、またそれをいってやりましょう。専門家がまた何か意見をいってくるかもしれません。私としてはこの飛行島がインチキでないことを祈っています。いや、貴官を怒らしたようで恐縮です」
 と、ハバノフ氏は掌をかえしたように、しきりにリット少将の機嫌をとりだしたものである。
「わかってくだされば、私はいいのです」とリット少将も言葉を和らげ、
「とにかくこの飛行島は世界にはじめて現れたも
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