たと困っちまった。
「誰か日本語の分かる者はいないのか。ニッポン、日本だぞ」
 杉田二等水兵のはげしい権幕に恐れてか、中国人ボーイは一人立ち二人立ちして、だんだん杉田の前に集ってきた。そしてぺちゃぺちゃしゃべっては、いぶかしそうな顔をしている。
「おい、どこかへ行って日本語の分かるやつを引張ってこい。一たい、日本語が分からないなんて、けしからんぞ」
 と、きめつけたが、もちろん、通じるわけがない。
 そのうちに、一人のボーイが奥へかけこんだ。
 誰か探しにいったんだろうと思っていると、果して奥から別の人間を引張ってきた。それは胸にエプロンをしめ、片手に肉切庖丁を握った料理人風の男だった。
「おい、お前は日本語が分かるのか」
 かの料理人は、耳に手をあてて杉田の方を見ながら眼をぱちぱちやっていたが、やがてにやにや笑うと、いきなり杉田の手をにぎり、
「ああ――ああ、こにちは」
 杉田は突然「今日は」と挨拶をされて、百万の味方を得たように喜んだ。そして料理人の手をぎゅっと握ってふった。
「ああ――ああ、わたし耳、ためため、大きい声きこえる、小さい声きこえない。わたし耳、ためためあるよ」
 なんだ、この料理人は耳が遠いのか。
 杉田は、やむを得ず、号令をかけるような声で、
「きのうこの店に大きな紙包をあずけていった川上機関大尉は、どこにいられるか知らんか。皆にも聞いてくれ」
「ためため、あなた声、小さい。もっともっと大きい声するよろしいな」
「なんだ。声の大きい方じゃ、艦内でひけをとらぬのに、あれでもまだ小さいというのか」
 杉田二等水兵は、又料理人の耳に口をつけ、割れるような大声で、同じことをくりかえした。
 すると料理人は、はじめて合点合点をしてうなずき、傍ににやにや笑っている中国人ボーイに、なにか早口でたずねる様子だったが、又杉田の方を向いて、
「――川上大尉、誰も知らない。あなた、誰あるか」
「俺か。俺は大日本帝国の水兵で、杉田というんだ」
「すいへい。すきたあるか。ちょとまつよろしい」
 料理人は、またボーイと早口で話し合い、
「すいへい、すきた。なに用あるか。にっぽん軍艦出た。すいへいおる、おかしいあるよ」
「だからいっているじゃないか。川上機関大尉をさがしにひとりでやって来たんだ」
「川上大尉、誰も知らない」
「じゃあ、誰があの荷物をここへあずけていったのか。その人に会わせてくれ」
 耳の遠い料理人は、またボーイと相談をはじめた。時々杉田をじろじろ見る。やがて、料理人は、
「それでは、あの荷物もってきた人に会わせる。その代り、何かくれるよろしいな」
「何かくれろというのか」
 こんなこともあろうかと思って、杉田は腰にさげてきた巾着から、五十銭銀貨を六枚だして、料理人の掌にのせてやった。
 料理人は大よろこびで、それをボーイたちと分けあった。そしてそのうちの一人、やけに背のひょろ高いボーイを指さし、
「張、あんないする。あなた、ついてゆくよろしいな」
「そうか、案内してくれるか。それはありがたい」
 杉田二等水兵は、それをきいて、にわかに元気づいた。これでこそ、この飛行島へ来た甲斐があったというものだ。
 しかし中国人ボーイ、張は、はたして川上機関大尉の服をあずけた主を本当に知っているのであろうか。


   怪しい合宿所


 張という中国人ボーイは、杉田を手招きして、先に立った。
 杉田はその後について店を出た。張は共楽街の大通をすたすたと歩いていった。活動写真館の小屋がある。覗《のぞき》屋台がある。餅みたいなものを焼いて売っている店がある。ぴーぴーじゃんじゃんやかましい楽器を鳴らしている見世物もある。すべて昨日見物に歩いたときと同じ風景だ。その間を非番の各国人が、酒に酔って、ふらふら歩いている。
 一つの街角のようなところで、張は階下につづく階段を指さした。そして先に立ってことことと下りてゆく。
 杉田二等水兵も、それにつづいて急な階段を下って行ったが、下りてみると、そこはごみごみした住宅街といったようなところ。むっと臭気が鼻をつく。労働者の宿泊するところらしい。
「こっちへこっちへ」
 とでもいいたげに、張は指さしては、ずんずん先に立つ。一たいどこへつれてゆくのかしらないが、早く機関大尉の服を預けにきた主にあいたいものだ。その人にきけば、きっと機関大尉の消息が知れるであろう。
 すると張は、一つの扉の前に立ち停った。
「ここだ。いま呼んでみるから待て」
 と、でもいいたげな身ぶりをした。
 荒けずりの荷物箱の板を釘でうちつけたようなお粗末な扉だ。その小屋には、どういうものか、窓があいていない。入口には数字でもって、室の番号が書いてあるだけだ。うすきみがわるい。
 張が扉をことことと叩くと、扉に小さな窓があいた。その小さな窓から、人間の眼が一つのぞいた。張がその眼に向かって、なにか早口でしゃべると、窓はまた元のようにぱたりとしまった。
 しばらく待つうちに、扉がぎいと内側へ開いた。
 張は杉田二等水兵に、さあ入れと手まねで扉のうちを指さした。室のうちは真暗だ。入口に近い板の間に、胴中から壊れたウイスキーの壜が転がっている。そしてぷーんと強い酒の匂いが、杉田の鼻をついた。
(これは油断のならぬ場所だぞ)
 と、杉田は入りかけて躊躇していると、いきなり後からいやというほど前へつきとばされた。張が不意に力いっぱいつきとばしたのだ。
「あっ、――」
 という間もない。杉田はどーんと扉もろとも室内に転げこんだ。
「うーむ!」
 転げこんだ拍子に、杉田は大きな箱のようなものの角で、いやというほど向脛《むこうずね》をうちつけ、どたんと床に倒れた。
「しまった。欺《だま》しやがったな」
 杉田は痛手をこらえよろよろと起きあがると、いま入ってきた入口の扉の方へ突進した。
 扉のところには、さっきのボーイが立っていた。そのボーイの手には、いつの間にかピストルが握られていて、きらりと光った。
「近よれば、ぶっ放すぞ」
 といわんばかりである。
「うーむ、こいつが……」
 杉田二等水兵は、怒心頭《いかりしんとう》に発し、顔を朱盆のように赤くして、中国人ボーイを一撃のもとに――と思ったが、そのとき彼の後で、
「わっはっはっはっ」
 と、破鐘《われがね》のように笑う者があった。
「何者?」
 杉田が、はっとして後をふり向くと、その薄暗い室のまん中に、空箱を椅子にしてふんぞりかえっている髪の赤い大男! 腰から上は申しわけばかりのシャツをまとい、たくましい腕にはでっかい妙な入墨をしている、見るからに悪相で、一癖も二癖もあるような白人だ。
 その横には、これも眼玉の青い唇の真赤な白人の若い女が、ぺたりとくっついていて、前の卓子《テーブル》には、酒壜やコップがごちゃごちゃ並んでいた。
「野郎、おとなしくせんか。あばれると、これだぞ!」
 と、かの入墨の大男は、どこで仕入れてきたのか、流暢なべらんめえ言葉で呶鳴ると、傍《かたわら》から、長い黒いものをとって小脇にかかえた。見れば、それはアメリカでギャングの使う軽機関銃であった。
 杉田は仁王立になって、この白人を睨みつけた。
「おい、日本の水兵、川上という士官が、この飛行島へ入りこんだそうだな。なぜ入りこんだのか、白状しろ。そいつを白状すれば、このヨコハマ・ジャックさまが、手前《てめえ》の一命だけは助けてやらあ。さあ、いえ」
 ヨコハマ・ジャックとは、あだ名なのであろう。横浜にいたごろつきに違いない。
「……」
 杉田二等水兵は、かたく口をむすんで、返事をしようとはしない。彼はいまにして、さっき広珍料理店で川上機関大尉をさがしにきたわけを話したことを悔いた。とうとうこの悪漢どもに、うまく利用されてしまったのだ。
「こんなにいってやるのに、手前は返事をしないな。ようし、いわなきゃ、自分でいいたくなるようにしてやらあ。覚悟しやがれ」
 ジャックは、のっそり腰掛から立ちあがった。そして太い腕をさすりながら、杉田の前に近づいて、上から睨みおろした。仁王さまが人間を睨みつけているような形だった。
「この野郎!」
 と、ジャックは大喝一声、大きな拳固をかため杉田の頤を覘《ねら》ってがーんと猛烈なアッパー・カットを――。
「えーい!」
 同時に鋭い気合が、杉田の口をついて出た。
 懸声もろとも、杉田がけしとんだかと思うと、そうではなく、どたーんと大きな物音がして、酒壜もろとも卓子をひっくりかえしてしまったのはジャックの巨体だった。まるで爆撃機のプロペラーが廻ったように、もんどりうって、その卓子《テーブル》の上に叩きつけられたのだ。
「うーむ」
 と、大男はうなった。それまではよかったけれど、これを見て驚いたのは、室内の乱暴な白人の手下ども五六人だ。やがてわれにかえると親分の一大事とばかり、どっと杉田にとびかかってきた。
 こうなっては仕方がない。杉田も立派な帝国軍人だ。侮辱をうけて黙っていられない。腕に覚の柔道で、とびこんでくるやつを腰車にかけてなげとばし、つづいて拳固をつきだす奴の手を逆にとって背負いなげにと、阿修羅のように力戦奮闘した。が、いくら強いといってもこちらは一人、相手は大勢の命しらずの乱暴者だ。杉田はとうとう大勢に組み伏せられた上、手錠をはめられてしまった。そして傍の鉄の柱に、胴中をぐるぐる巻にされた。
「さあどうだ。よくもひどい目にあわせたな。もう手むかい出来めえ。さあ、こうしておいて、いやでも川上という士官の秘密をしゃべらせ、団長へ売りつけるんだ。はっはっはっ、手前は福の神だよ。福の神が、そんな食いつきそうな顔をするなよ」
 ジャックはにくにくしげにいい放って、いまは自由のきかない杉田二等水兵の顔をぴしりぴしりとひっぱたいた。
 杉田は歯をくいしばってじっと、こらえた。
 無念のなみだがきらりと頬をつたった。


   飛行島の大秘密


 ここ建設工事中の飛行島の最上甲板であった。
 白髪|赭顔《しゃがん》の、飛行島建設団長リット少将と、もう一人、涼しそうなヘルメット帽をかぶって白麻の背広のふとった紳士とが、同じように双眼鏡を眼にあててはるか北の方の水平線を眺めている。そのうちに、リット少将は、双眼鏡から眼を放し、軽く笑って、
「どうです。ハバノフさん。とうとうなにも知らずに帰ってゆきましたよ」
「いやあ、私もひやひやしていたんだが、うまくゆきましたねえ」
 と、ハバノフと呼ばれたヘルメットの紳士も、はればれと笑った。
 二人がいましも見送った北方の水平線には、二条の煙をあげた二隻の軍艦が小さく見える。
 いうまでもなく、わが帝国海軍の練習艦隊、明石と須磨の二艦だった。
 二人の会話には、どう考えてもわが練習艦隊にたいする好意的な意味が発見されなかった。一たいどうしたわけだろう。
「さあ、ハバノフさん。明石、須磨はもう大丈夫ひっかえしてきませんよ。では船室へいって、おちついてお話をしようじゃありませんか」
「そうですね。もう大丈夫でしょうね。どうも私は日本軍人が傍へくると、火のついたダイナマイトに近づいたようで、虫がすかんですよ」
「まあ、こっちへいらっしゃい」
 リット少将は、ハバノフ氏を案内して、その最上甲板に建ててある「鋼鉄の宮殿」とよばれる大きな四角い塔のうちへ入った。
 そこはリット少将をはじめ、主だった英人技師の宿泊所であった。中は、一流のホテルのように、豪華なものだった。
 二人は、赤い絨毯をしきつめた大広間の真中に、籐椅子を向かいあわせて腰を下した。
「いかがですか、ハバノフさん。この飛行島をごらんになった上からは、貴下のお国でも日本に対してすぐさま硬い決心をしてくださるでしょうね」
「そうですねえ、――」
 とハバノフ氏は言葉を濁して、卓上の函から葉巻煙草をとって口にくわえた。
 このハバノフ氏というのは誰あろう。これぞ赤きコミンテルンの国、ソビエト連邦の密使であって、元海軍人民委員長という海軍大臣と軍令部長とを一しょにしたような要職にいた軍人であった。
「ハバノ
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