が二匹の鮭になったようなもので、まるでおとなしいものさ。そこを狙って、こっちは爆弾と砲弾とでもって、どどどどっとやっつける」
「おい大丈夫かね。しかし日本の連合艦隊は、今も南洋付近に頑張っているのじゃないかね。そしてわれわれは当然、生のままの連合艦隊にぶつかるようなことになるんじゃないか」
「大丈夫だとも。今ごろ、敵の連合艦隊は、大騒ぎで北艦隊と南艦隊とに二分され、ウラジボに向かうやつは、重油をふんだんに焚いて、波を蹴たてて北上しているころだろう。北上組は巡洋艦隊で、南洋の辺に残っているのは主力艦隊だろうよ」
「うむ、すると戦艦淡路、隠岐《おき》、佐渡、大島や、航空母艦の赤竜、紫竜、黄竜などというところがわれわれを待っているわけだね。相手の勢力は二分されたといっても、これは相当な強敵だ。わが飛行島戦隊にとっては、烈しすぎる大敵だ。僕は、とても勝利を信ずることができない」
機関士官は、また蒼くなった。
「あっはっはっはっ。貴公にゃ、臆病神がついていて、放れないらしい。そこのところには、こういう作戦があるんだ。いいかね。南洋方面にいる日本の主力艦隊に対しては、わが東洋艦隊が総がかりでもってぶつかることになっているんだ。しかもこちらから積極的に、敵の根拠地を襲撃するんだ。戦闘水面は、おそらくマリアナ海一帯であろう」
「ふーん、わが東洋艦隊は印度やシンガポールや香港を空っぽにして日本の主力艦隊にかからにゃ駄目だ」
「もちろんのことさ。しかしこういう場合を考えて、わが東洋艦隊は約三倍大の勢力に補強されてあるから、心配はない。そうして敵艦隊に戦闘をさせておいて、一方わが飛行島戦隊は、戦闘地域の隙を狙って、東径百四十度の線――というと、だいたい硫黄列島とラサ島との中間だが、そこを狙って北上するんだ。そうなると、われわれは明放しの日本本土の南方海面に侵入できるんだ。そこで早速飛行島から爆撃飛行団を飛ばせて、一挙にトーキョーを葬り去るんだ。なんといういい役どころではないか。われわれ飛行島戦隊なるものは、日本攻略戦の主演俳優みたいなものだ。大いにその光栄を感謝しなけりゃならん」
「ほほう、わが飛行島戦隊は、日本攻略戦の花形俳優にあたるのかね。ああそれはすばらしい幸運をひきあてたものだ。さあ、それならここで一つ、景気よく前祝《まえいわい》として乾杯しょうじゃないか」
「よかろう。さあはじめるぞ。皆、こっちへよって来い」
「よし、集ったぞ」
「では、はじめる。飛行島戦隊の戦士たち、ばんざーい」
「ばんざーい。――この次は、飛行島をヨコハマの岸壁につけたときに、乾杯しようや」
「ああそれがいい。愉快愉快」
士官酒場は、すっかりお祭騒になってしまった。
濡れる二勇士
「おい杉田、どうだ、傷痕は痛むか」
飛行島の縁の下ともいうべき組立鉄骨の間で、声がした。
あたりは真暗で、人の輪郭も見えない。ひゅうひゅうと鉄骨の間をぬってくる烈風の響、ざざざーっと支柱を匐《は》いのぼる激浪の音に、応える人の声はもみ消されて聞えない。
「そんな弱気を出してはいかんじゃないか。いや、俺のことなぞ心配しないでいい」
「でありますが――でありますが、上官の足手まといになる杉田であります。杉田は早く死んでしまいたいのです。私が死ねば、上官は、それこそ何事にもわざわいされずに、思いきって奮闘できるのであります。ああ私は、上官に大迷惑をかけるために、ついてまいったようなものです。ざ、残念この上もありません」
わーっと男泣きに泣く声が、風の間に聞えた。二人の会話は、ちょっと杜絶えたが、
「ああ、もう何もいうな、杉田。川上は、そんなことをなんとも思っちゃいないぞ。敵と闘って、名誉の戦傷を負った貴様じゃないか。普通なら、病院船の軟らかいベッドの上に横たわって、故国の海軍病院に送還される身の上だ。しかしここは敵地だ。いや敵地どころか、敵の懐の中なのだ。可哀そうだが、これ以上、どうしてやりようもない」
「も、もったいないことです。上官、もう沢山です」
「うん、泣くな。俺のいいたいことは、そういう重傷をうけた身でいながら、今もこの潮に洗われている鉄骨の間で頑張っている貴様のおどろくべき忍耐力を褒めてやりたいのだ。おい杉田、貴様ぐらい立派な帝国軍人はないぞ。そしてまた貴様ぐらい上官|思《おもい》の忠勇なる部下はないぞ」
「上官、もう杉田は……」
といって、その後は波浪の砕ける音に消えてしまったようである。
療養まだ半ばにして、汽船ブルー・チャイナ号から海中にとびこんだ杉田二等水兵は、いくたびか波浪にのまれようとした。そのたびに川上機関大尉の逞しい腕が傍からさしのべられ、彼は溺死《できし》から救われたのだ。そしてついに、目ざす飛行島の鉄骨にとりつくことができたのだった。
今では飛行島上には、英人以外の乗組員はただ一人もいなかった。だから彼等二人は、よしや飛行島に泳ぎついたとしても、もし島内でその姿を発見されれば、たちどころに引捉えられなければならなかった。折よく飛行島は出航準備で島内の警戒がゆるんだので、二人の隠れ場所は安全となったが、それは一時のことである。彼等の運命は、依然として風前の灯であった。
だが日東男児は、いかなる危険をも恐れない。いかなる艱難《かんなん》も、よくこれを凌《しの》ぐのである。ことに川上機関大尉には、まだはたしおわらない大任務があった。それは飛行島の偵察だ。いやそればかりではない。彼は一命を賭して、飛行島の爆沈を計画しているのであった。この恐るべき大飛行島を、このまま祖国の近海に近づけては、たまるものではない。二十インチの巨砲群、八十台にあまる重爆機隊、そういうものの狙《ねらい》の前に、一天万乗《いってんばんじょう》の君まします帝都東京をはじめ、祖国の地を曝させてはたいへんである。一命のあらんかぎり、彼は飛行島の爆破を断行する決心だったのである。
杉田二等水兵は、上官の後を慕ってこの飛行島に泳ぎついたが、上官のこの大決心を察していた。彼は上官の腕となり脚となって働こうと思っていた。しかし不幸にも敵弾をうけて、今では平生の十分の一の力もない。自分が生きていたのでは、川上機関大尉が、自由に活動できない。この上は無念ながら、せめて自殺して、大尉の足手まといになることを避けたいと思ったが、早くもそれを悟った川上は、杉田二等水兵をきびしく叱りつけ、そして励ましているのだった。このところ杉田にとっては、生きるに生きられず、死ぬに死なれぬ苦しさであった。
「おい杉田」
川上機関大尉の声だ。
「はい」
「俺はこれから、ちょっと上へのぼって、飛行島の様子をさぐってくる。お前は、短気をおこさず、ここに待っていろ」
「はっ。上官、杉田もぜひおつれください。私とて敵の一人や二人は――」
「いや、まだ襲撃をやるわけではない。いずれ襲撃をやるときは、かならずお前をつれてゆく。それを楽しみに待っておれ。今は偵察にゆくんだ。敵状を知らねば、斬りこみようもないではないか」
と、川上機関大尉は持っていた日本刀の柄を叩いた。
この日本刀は、大尉が一振、杉田が一振もっていた。こんなところで日本刀を手に入れたのは、不思議というほかはないが、実はこれにも神明の加護があったのである。それは川上がブルー・チャイナ号に乗船したときのことだった。彼は飛行島に潜入したときに近づきになった比島の志士カナモナ氏が数本の日本刀を持っているのを見て、無理にねだって、二本を譲りうけたものであった。それは二人の勇士にとって、この上もなき利器であった。
「はっ、では杉田は、ここで部署を守っております」
「よし、しっかり頼んだぞ」
「では、御無事を祈っています」
「うむ、行ってくる。くれぐれも短気をおこしてはならんぞ。――ああそうだ。俺が行ってしまって、力のないお前が、万一激浪にさらわれてはいけない。そういう危険のないように、お前の体を、この鉄骨にしばりつけておいてやろう」
川上機関大尉の心は、どこまでも注意ぶかく、そして傷つける部下の身の上にやさしかった。
小暗い下甲板
川上機関大尉は、半裸体に、日本刀を背中に斜に負い、組立鉄骨をのぼっていった。
鉄骨の表面は、海水にじめじめと濡れていて、リベットに足をかけると、そのままずるずると滑りおちて腕をすりむいたり、足の生爪をはがしたり、登攀《とうはん》はなかなか容易な業ではなかった。それでも三十分あまりの後、彼はとうとう最下層の甲板までたどりついた。
甲板の隅で、川上機関大尉はしばらく息をいれていたが、そのうちに元気をとりかえしたものと見え、その狭い通路を匐うようにしてそろそろと場所をうごきだした。
すると、真正面から、いきなりあらあらしい足音が近づいた。
川上機関大尉は、はっと体を縮めるなり、飛鳥のようにカンバスのうしろにとびこむと、そのかげに平蜘蛛のようにぴったりとはりついた。
やがて彼の眼の前を、長身の水兵が鼻唄まじりで、風のように通りすぎた。
(おお、気づかれずにすんだか。もちっとで鉢合せをして、呼笛でもふかれるところであった)
川上機関大尉は、ほっと胸をなでながら、積みかさねられたカンバスの山のかげから姿を現した。
すると今度は、反対に後方から、別のあらあらしい足音が聞えた。
(あっ、見つかってはたいへん!)
もうカンバスの山にかえる暇はなかったので、思いきって通路を向こうへ、つつーと栗鼠《りす》のように駈けぬけた。
(どこか、隠れるところはないか)
と、そこに見えた横道にとびこむと、これがなんと行きどまりの袋小路だった。
(しまった!)
と思ったが、もうおそい。
足音はいよいよ近づいた。息をのむ間もなく、飛べば二足ほどの向こうの角へ一人の下士官が姿を現した。
(見つかった)
下士官は、川上機関大尉のとびこんだ袋小路へ顔を向けた。そしてあっというなり、たじたじと後へさがったが、すばやく右手を肩にかけたサックに伸ばしたと思うと、とりだした一挺のピストル。
もうおしまいだった。
「えい!」
川上機関大尉の体が前かがみになったと思ったら、右手にさっと閃いた白刃《はくじん》!
ばさりという鈍い物音と、う――むといううなり声とが同時におこった。下士官はピストルをがらりと投げすてると、首のところへ手をもってゆくような仕種《しぐさ》をしたが、そのときはもう甲板の上に、仰向けになって倒れ、呼吸《いき》がたえていた。
じつに見事な腕の冴《さえ》であった。相手の下士官は、ついに一発の弾丸も放たないで、あの世へ旅立ったのだ。
「おお、この服装が欲しかったのだ」
川上機関大尉の狙っていたお土産は、向こうから転がりこんだようなものであった。彼は駈けよるなり、早いところ倒れている下士官の服を脱がしてしまった。そしてすばやく自分の身につけた。傍に転がっている下士官帽も役にたった。彼はすっかり英国海軍の下士官になりすました。百八十|糎《センチ》の長身をもった川上機関大尉に、それはちょうど頃合の制服だった。
(やあどうも、すっかり結構な支度を頂戴してしまった。遺骸に御礼をいって、人に見られないうちに、片づけてしまおう)
大尉は、下士官の遺骸を横抱にかかえ、舷側から海中へ放りこんだ。逆まく波は、その遺骸をのんでちょっとした水煙をたてたが、水音は嵐に消されて、それほど耳にたたなかった。
「おう、どうしたんだ」
突然、うしろから肩を叩かれた。それはまったく思いがけないできごとだった。
その瞬間、川上機関大尉の脳髄は、びりびりと痺れた。とうとう見つかったのか。
「おや、ここに変なものが転がっている。これは日本刀じゃないか。そして、あっ、たいへんな血だ! おい、これは一体どうしたんだ」
とうとう最悪の場合となった。
しかし、あわててはいけない。
「なあに、大したことではないよ」
「なに?」
「黙れ!」
川上機関大尉は、くるりと身をかえすが早いか、相手の脾腹めがけて、得意の当身を一つ、どーんと食わせた。
「うーむ」
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