んひどいことをやったじゃないか」
「は、見ました。全くおどろきました。しかし上官の機敏なる判断には、もっとおどろき入ります。もう十分、あの船の上でぐずぐずしていたら、今ごろは五体ばらばらになるところでした」
「うむ、俺の判断に狂がなかったというよりも、これは日本の神々が、われ等の使命を嘉《よみ》せられて、下したまえる天佑というものだ。おい杉田、貴様が意外に元気で、こんなに泳げるというのも天佑の一つだぞ」
「は、私は船内で上官のお顔を見つけたときは、うれしさのあまりに、大声で泣きたくて困りました。とうとう脱艦以来の目的を達して、川上機関大尉と御一しょに、飛行島攻略に邁進しているんだと思うと、腕が鳴ってたまりません」
「うん、愉快じゃ。しかしこんど飛行島で顔を見られたら、そのときは相手を殺すか、こっちが殺されるかだぞ。なぜといえば、飛行島の上には、東洋人はもうただの一人もいないのだからなあ」
「なに大丈夫です。そのときは日本刀の切味を、うんと見せてやりますよ」
 川上機関大尉は、早くもリット少将の悪企《わるだくみ》を察し、汽船ブルー・チャイナ号出帆の約二十分後、二人は夜の闇を利用してひそかに海中にすべりこみ、この大危難から免れたのである。
 川上、杉田の両勇士は、目ざす飛行島に果して無事泳ぎつくことが出来るだろうか。その夜の南シナ海は、風次第に吹きつのり、波浪は怒りはじめた。杉田二等水兵は、まだ十分に快復しきっていない。心配なことである。


   ついに国交断絶!


 五月十七日。――
 この日こそ、千古にわたって記憶せらるべき重大な日となった。
 東洋一帯を、有史以来の大戦雲が、その真黒な大翼の下につつんでしまった日だ。
 飛行島の朝まだき、飛行甲板の上には、一台の軽旅客機が、今にも飛びだしそうな恰好で、しきりにプロペラーをまわし、エンジン試験をつづけていた。
 この軽旅客機は、実は一昨夜この飛行島にやってきたのだ。飛行機が着島すると、夜だというのにリット提督はわざわざ出迎えた。飛行機の中からは、二人の巨漢が下りてきて、リット提督と、かわるがわるかたい握手をした。それ以来ずっと、この軽旅客機は、今にも飛びだしそうな恰好で、飛行甲板にいるのであった。
 その二人の巨漢は、今なお鋼鉄の宮殿の中において、リット提督やその幕僚と向きあっている。誰の眼も、まるで兎の眼のように赤い。ゆうべからこっち、徹夜でもって相談がすすめられているらしい。したがってその相談の重要性についても大方察しがつくであろう。
 リット提督は、卓上にひろげた大きな世界地図を前にして、傲然《ごうぜん》と椅子の背にもたれている。左手にしっかりと愛用のパイプを握っているが、火はとくの昔に消えていた。よく見ると、広い額の上で、乱れた銀髪がぶるぶると小さく震えているのが分かるだろう。
「さあ、どうされるな。イエスか、ノウか、はっきり御返事がねがいたい」
 提督は、そういって、二人の巨漢に火のような視線を送った。
 この巨漢たちは誰であろう。
 一人は、例のソ連の特命大使ハバノフ。もう一人の巨漢は、その服装で分かるようにソ連武官――くわしくいえば、極東赤旗戦線軍付のガーリン大将であった。
 この両巨漢は、リット提督を前にして、しばらく小声で言葉のやりとりをしていたが、そのうちに両者の意見が一致したらしく、ガーリン大将は、すっくと席から立ち上った。
「わが極東赤旗戦線軍を代表して、本官は今英国全権リット提督閣下に回答するの光栄を有するものです。わが軍は、ここに貴提案を受諾し、只今より二十四時間後において、まず大空軍団の出動からはじまる全軍の日本攻略を決行いたします」
 リット提督は本国政府から、英ソ秘密会談について、とくに英国全権の重い職務を与えられていたのであった。
「私も、ともにお約束します」
 ハバノフ大使も、後から立って、同じことを誓った。
 リット提督は、それをきいて喜色満面、バネ仕掛のように椅子からとびあがって、両巨漢と、いくたびもかたい握手をかわしたのであった。
「ああついに貴国の同意を得て、こんなうれしいことはない。英ソ両国の対日軍事同盟はついに成立したのである。では今より両国は共同の敵に向かって、北方と南方との両方向から進撃を開始しよう」
「しかしリット提督。その軍事同盟の代償については、どうかくれぐれも約束ちがいのないように願いまするぞ」
「いや、それは本国政府より、特に御安心を願うようにということであった。わが英国は、印度の平穏と中国の植民地化さえなしとげれば、それでいいのであって、日本国の小さい島々や朝鮮半島などは、一向問題にしていないのである」
「それなればまことに結構です。それはとにかく、わがソ連と英国とは、もっと早くから手を握るべきであった。なぜなら、わがソ連政府はユダヤ人で組織せられているし、また貴国の政治はユダヤ人の金の力によって支配せられているのであるから、早くいえば、本家の兄と、そして養子にいった弟との関係みたいに切っても切れない血族なのですからねえ」
 この会話でもって察せられるように、英国はついにソ連を仲間にひき入れ、日本の前に武器をもって立ったのであった。
 ことがここまではこぶまでには、英国はずいぶんいろいろの策略をつかったが、殊に横須賀における日本少年の英国水兵殺害事件は、対日戦を起すのに一番都合のよい口実となった。しかしそれはどこまでも口実なのであって、対日戦の根源ははるか日中戦争にあった。いや、それよりももっと前、英国系のユダヤ財閥が、日本追い出しの陰謀を秘めて、中国を植民地化するために四億ポンドという沢山の資本をおろしたときにはじまったというのがほんとうであろう。
 ついにこの日、五月十七日!
 ここにわが帝国は、北と南との両方から、世界一の陸空軍国と、世界一の海空軍国との協同大攻撃をうけることとなった。
 もちろん宣戦布告などのことはなく、英ソ両国の精鋭軍団は、一方的に軍事行動を起したのであった。
 ああ危いかな大日本帝国!
 懐中ひそかに、恐るべき武器を忍ばせ、なにくわぬ顔して近づいてくる仮面の善隣を、はたしてわが帝国は見破ることができるかどうであろうか。
 軽旅客機が、ハバノフ大使とガーリン将軍をのせ、爆音高く朝日匂う大空にまいあがり、いずこともなく姿を消すと、それにつづいて飛行島内には、嚠喨《りゅうりょう》たる喇叭《ラッパ》が、隅から隅までひびきわたった。
 渡洋作戦第九号による出航準備だ!
 いよいよ極東の戦雲は、一陣の疾風にうちのって、動きだしたのである。


   飛行島出動


 飛行島は、俄然活気をおびた。
 まだ収容しつくさなかった爆撃機や戦闘機などが、シンガポールから海を越えて続々と到着し、飛行甲板にまい下りた。中には飛行池に着水する水上機もあった。総出の整備員は、汗だくだくの大童《おおわらわ》となって、新着の飛行機をエレベーターにのせ、それぞれの格納庫へおろした。
 弾薬庫は開かれ、二十インチ砲弾をはじめ数々の砲弾が、それぞれの砲塔へおくりやすいように、改めて並べかえられた。
 甲板や舷側から、戦闘に不用なものは、ことごとく取除かれた。
 室内においても、不用な箱や卓子《テーブル》などが別にせられ、そして甲板から海中へ投げ捨てられた。
 秘密砲塔を隠している仮装|掩蓋《えんがい》は、しばしば電気の力をかりて、取外されたり、また取付けられた。
 共楽街は、大勢の水兵の手により、片端からうち壊され、小屋といわず、道具といわず、映写機のような高価なものまで惜し気もなく海中へ叩きこまれた。
 こうして夕方ちかくには、飛行島の内外は、生まれかわったように軍艦らしくなった。
 海を圧する浮城、飛行島!
 丁度そのとき、この飛行島戦隊に編入せられた巡洋艦、駆逐艦、水雷艇、潜水艦、特務艦などが合わせて四十六隻舳艫をふくんで飛行島のまわりに投錨した。
 リット提督は、得意満面、大した御機嫌で司令塔上から麾下《きか》の艦艇をじっと見わたした。
「ほほう、わが飛行島戦隊の威容も、なかなか相当なものだ。これなら日本の本土強襲は、案外容易に成功するであろう」
 提督は、戦わないうちに、自分の戦隊の勝利をふかく信ずるようになった。
 やがて夜となった。
 一切の出航準備は成った。
 ただ一つ気がかりなことは、昨日にひきつづき風が依然として治らないことだった。
 午後八時、リット提督はついに出航命令を下した。
「錨揚げ!」
 命令一下、電動機は重くるしい唸をあげて太い錨鎖をがらがらとまきあげていった。
 このとき飛行島内のエンジンは、一基また一基、だんだんに起動されていって、その響は飛行島の隅々までもごとごとと伝わっていった。巨大のエンジン群のはげしい息づかいだ。
「前進! 微速!」
 山のような飛行島は、しずかに海面をゆるぎだした。
 麾下の艦艇もまた、順序正しく航行をはじめた。
 駆逐戦隊の横列を先頭に、それにやや後《おく》れて潜水戦隊がつづき、その次に前後左右を軽巡洋戦隊にとりまかれて飛行島の巨体が進み、最後列には特務艦や病院船、給油船が臆病らしく固まり、殿《しんがり》には巡洋艦を旗艦とする別の駆逐戦隊がしっかり護衛していた。
 航空部隊の一部は、全艦隊の外二キロメートルの円周にそい、はるかな高度をとって、ぐるぐる旋回し、夜暗とはいいながら不意打の敵に対する警戒を怠らなかった。
 ああなんという堅い陣形であろう。海面、海底、空中の三方面に対し、いささかも抜目のない厳戒ぶりであった。さすがにこれこそ世界一の海軍国として、古き伝統を誇る英国艦隊の出動ぶりであった。
 風はしきりに吹き募り、暗夜の海面に、波浪は次第に高い。赤や青や黄の艦艇の標識灯さえ、ときには光を遮られ、しばらく見えなくなることさえあった。それは艦首にどっとぶつかる怒濤が、滝のように甲板上に落ちてくるせいだった。
「ほう、外はいよいよしけ[#「しけ」に傍点]模様だな」
「うむ。しかし不連続線だそうだよ。いまにはれるだろう」
 細い艦内通路を、肩をならべて歩いてゆく若い士官の会話だ。
 出航用意からはじまってここまで、まるで火事場のような忙しさの中にきりきり舞をしていた飛行島の乗組員たちは、やっと一息つく暇を見出した。艦内士官酒場へ入ると、そこではしきりにコップのかちあう音がきこえ、葉巻の高い香が匂っていた。
「一たいこれからわが飛行島は、どんな任務につくのかなあ」
 若い機関部の士官が、これはまた頼りない質問を、ある主砲の分隊付をしている同僚に出した。
「なんだ、これからどんな任務につくのかだって、そいつは、いくら機関部だって、ひどい質問だ。分かっているじゃないか、日本の本土を南の方角から強襲するのだ」
「やっぱりそうか。南の方から強襲するのか」
「なあんだ、君にも分かっているんじゃないか」
「そういう話は、機関部でも、もっぱらの噂なんだ。しかしそう簡単に、敵の本土に近づけるかなあ」
 と、たいへん心配そうである。


   極秘の作戦


「ははあ、分かった。君は日本の艦隊がどのように猛烈な抵抗をするか、それを心配しているんだろう」
 と、分隊付の士官は、赤い顔を前につきだした。
「そうさ。大きな声ではいえないが、連盟脱退後の日本艦隊はどこまで強いのか、底力の程度がわからないてえことだぜ」
 機関士官は、だいぶん恐日病にかかっているらしい。
「心配するな。こっちの作戦にもぬかりはないんだ。いいかね、こうなんだ。近くウラジボを根拠地とするソ連艦隊が、北方から日本海を衝こうとする一方、われわれは南から同時に衝く。そうなると日本の艦隊は、いきおい勢力を二分せにゃならんじゃないか。そこが付け目なんだ。日本の艦隊をして、各個撃破の挙に出でしめないのが、そもそも英ソ軍事同盟の一等大きな狙所《ねらいどころ》なのだ」
「ふーむ、うまいことを考えたなあ」
 機関士官は、嬉しそうに、はじめてにやりと笑った。
「それみろ、いくら優勢海軍でも、二分されては、一匹の鮫
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