もっと前に報告が届いているよ。いや、よろこぶなどとはもっての外じゃ。あれは同じ潜水艦でもローズ号だ。舵器をこわして列外に出たところを、味方の飛行機のために空爆されたといって、潜水艦隊は怒っているぞ。出直せ出直せ」
 リット少将は、苦りきって受話器を置いた。するとまた呼出しの明りがついた。
「おお、リット少将だ。なに、警備艦隊司令官か。――うん、爆雷を五十六個放りこんで、どうしたと。――やった、日本の潜水艦をか? 話だけ聞くと、大手柄をたてたようだが、敵の潜水艦が沈んだのなら、海面いっぱいに下から油が浮いてくるのを見たろうな。――なに、それは見えなかった? なにしろ夜のことで、探照灯もあまり役に立たず。――もう、しゃべるのはよせ。子供が司令官になっているわけじゃあるまいし」
 リット少将は憤慨の極、受話器を叩きつけた。
「うーん、今の若い者は、魂が腐っとる」
 といって、傍をふりむくと、呼びもしない分隊長フランクが立っていた。
「あ、貴様は――」
「少将閣下。カワカミが生きている確かな証拠を申し上げにまいりました」
「なんじゃ、カワカミ? カワカミの亡霊にゃわしは用はないわい。生きているものなら、貴様ひっかついで、ここへ連れてこい。――ああこれでもしわしが神経衰弱にならなかったとしたら、それは医学界の一大不思議じゃ」


   非戦闘員の帰還


 途中までは、たいへんうまくいった飛行島の試運転も、一回のおわりのところで、思わぬ邪魔ものにとびだされ、はじめは大機嫌だったリット少将も、おわりには半分気が変なようになってしまった。
 演習の時間表など、めちゃめちゃになってしまった。それでも飛行島は、まず無事に元の錨地へ帰着することができた。錨をがらがらと入れたとたんに、東の空が白みだしたというわけで、実に際どいところで間にあったのだった。
 警備の飛行団も艦隊も、ほっと一息ついた。
 リット少将も、はじめてベッドに入った。
 それから七日の日数がたった。
 不思議と、それはおだやかな日がつづいたのだった。
 リット少将は、その間なにをしていたのであろう。
 彼は「鋼鉄の宮殿」に幕僚をよびあつめ、警戒を厳重にして、会議に余念がなかった。その間、島内の検挙も、手がゆるめられていたようだし、飛行島建設にしたがっていた三千人の技師や労働者たちも、もう仕事がないので、もっぱら共楽街へ入りこんで、底ぬけ遊《あそび》に昼に夜をつぎ、夜に昼をつぎしていた。
 さて七日たったその日のこと。
 飛行島建設にしたがった技師や労働者は、全部甲板にあつめられた。
 リット少将よりお礼の言葉があるという噂だった。
 それは偽りではなかった。
 リット少将は、一段と高い壇上にのぼり、マイクを前にして立った。
「やあ、諸君。飛行島の建設に従事せられたる各国の技術者、および労働者諸君よ」
 と、リット少将は身ぶりよろしく、演説をはじめた。
「諸君の秀でたる技倆と、おどろくべき忍耐とによって、この南シナ海の護神《まもりがみ》は、たいへん立派に出来た。我輩は、世界人類に代って、この大事業をなしとげた諸君に感謝をささげる。――さて仕事もだいたい終ったので、本日はこれより諸君全部に対し、週給の二十倍に相当するボーナスを給与する。これが我輩のなし能うところの最大のお礼である。それが終了した後で、汽船ブルー・チャイナ号を提供する。諸君は皆、このチャイナ号に乗って、それぞれ帰国してもらいたい。汽船は、この飛行島を出ると、まず香港に行き、次にシンガポール、次にコロンボまでゆく。ボーナスをうけとるときに、諸君はどの港で下りるか、それを申し出てもらいたい。汽船の出発は、なるべく早くしたいとおもうが、準備の都合もあり、夜に入るとおもう。いや、どうもながながありがとう」
 リット少将が、いつもに似合わぬ和やかな態度で挨拶をおわると、週給の二十倍のボーナスに興奮した大衆は、口笛をふき、足をふみならし、帽子をふってウラーを唱えた。
 いよいよ仕事はおわったのだ。
 そして今日は、たんまりボーナスをもらって、なつかしい自分の国へ帰れるのだ。
 国に帰れば、妻子がとびついてくるだろう。弟や妹が、御馳走をもって迎えにでてくるだろう。年老いた両親は涙をだしてよろこぶだろう。その眼の前へ、この飛行島で稼ぎためた金をみせてやるのだ。みんな、そのような大金をみたことがないので、気が遠くなるかもしれない。――などと、黒いのも黄いろいのも、褐色なのも、白いのも、それぞれはちきれるような歓喜に酔っぱらってしまった。
 リット少将は、この有様をみて、たいへん満足のようであった。
 ボーナスは、ほんとうに手渡された。
 香港で下してくれという者もあれば、コロンボよりもっと先へまで送ってくれないのですかと、慾ばった質問をする者もあった。
 皆は一旦解散したのち、自分の荷物をまとめると、また飛行島の甲板の所定の位置へ帰ってきた。爆笑の花園みたいである。誰の機嫌もいい。
 そのうちに、海底牢獄につながれていた囚人までが解放されたうえ、これにもやはりそれ相当の慰労金をさずけられ、甲板へさしてにこにこ顔で現れたのには、皆をさらにおどろかせたり、よろこばしたりなどした。
「リット少将てえのは、あんなに話がわかる人だとは、今日の今日まで思ってなかったよ」
「そうよなあ。まったくお前のいうとおりだ。リット少将さまは、話がわかりすぎて、気味がわるいくらいだよ。俺はな、うちの女房に、ダイヤモンドの指環をかってやるつもりだ」
 いやもう、どこの固まりでも、リット少将は福の神さまのように、あがめられていた。
 とうとう夜になった。
 甲板は、真昼のように明るく照明されている。二万四千トンの輸送船ブルー・チャイナ号は、桟橋にぴたりとよこづけになり、皆の乗りこむのを待っている。
 しかし乗船命令は、なかなか出なかった。
 午後八時が九時になり、十時になった。
 そろそろ不平をいう者も出てきた。
 英国軍人以外は皆立ち去らせるので、島内の捜索をさらに厳重にやっていて、それで出発時刻がおくれるんだと、どこから聞きこんだのか、したり顔に説明する者もあった。
 午後十時が、十一時になり、十二時をまわった。
「今夜はもう出発とりやめで、明朝に延期になるんだろう」
 などと噂しているところへ、午前一時になって、突然乗船命令が出た。
 一同は、水兵たちの制するのもきかず、われがちに桟橋へ殺到した。それを一人一人乗船させる。
 三千何百人の乗船には、たいへん手間どった。時刻は午前二時半になった。
 囚人も皆のりこんだ。
 一番後から乗ったのは、白い病衣をまとった東洋人を中心にした四人づれであった。白い病衣は外ならぬ杉田二等水兵の姿であった。傍には、可憐なる梨花と二人の英国人看護婦もつきそっていた。
 ああ皆、船にのって飛行島を出てゆくのだ。ああ意外も意外杉田二等水兵も、これでついに一命を拾ったらしい。まことに意外なるリット少将の慈悲ではある。
 司令塔からは、リット少将が双眼鏡片手ににこにこ笑って、この有様を見ている。


   非道と正義


 フランク大尉が唇をぶるぶるふるわせ、つかつかと少将の傍へよって来た。
「少将閣下。あれほど私が御注意申しあげましたのにもかかわらず、私がカワカミだと申す人物を、あの船の上へ逃がしておしまいになりましたね」
 リット少将は、フランク大尉の方へ顔を向けて、
「もうカワカミのことはくどくいうな。たといこの上カワカミを捕らえ、この飛行島に監禁しておいたところが、邪魔にこそなれ、なんにもならないのだ。お前も知っているとおり、本国からの訓令により、明日はこの飛行島がいよいよ重大任務を帯びて某方面へ出動するのではないか。もうカワカミのことは、忘れようではないか。そして一路、敵国艦隊を撃滅することに、専心するのだ。まあわしのすることを見ているがいい」
 リット少将は、うす気味がわるいほど、上々の機嫌だった。
 この老獪なる建設団長――いや、七日前に本国からの電信により、あらたに極東艦隊飛行島戦隊司令官に任命されたリット少将は、なぜそんなに機嫌がよいのであろう?
 実は、これには深い仔細があったのである。リット司令官の胸中には、戦隊の首脳部のほんの数名にしか知らせてないある策略が宿っていたのである。
 では、その策略というのは?
 大量の非戦闘員を出発させるというのに、わざわざ真夜中をえらんだのは、なぜか。
 監禁囚人はもちろん、大事な俘虜杉田二等水兵や、カワカミの容疑者などを、同じ船にのりこませたのは、なぜか。
 それ等の事柄を、いま飛行島の建設がおわったことと思いあわせて、読者はなにごとかを胸のうちに感じないであろうか。
 なんとなく重苦しい予感!
 いや、もっとはっきりいいあてていい。
 もう一つ、考える材料ができた。それは飛行島を放れて香港へ行くはずの汽船ブルー・チャイナ号が、奇怪にも今それと反対に、真南に航行していることである。
 リット少将が、にやにや笑っている。
 それとは露知らず、さんざん酔払って乗船した帰還団体の誰も彼もは、船がどっちを向いて走っているのか、そんなことは知ろうとしないで、なおも酒壜をかかえて、わあわあ騒いでいた。
 午前三時十五分!
 恐るべき悪魔の翼は、ついに汽船ブルー・チャイナ号をつつんだ。
 もしも非常に敏感な人が船上にいたとしたら、その人は最初、相当おびただしい飛行機の爆音を耳にしたであろう。それは英国空軍に属する警備飛行団が飛行しているのだと思ったであろう。そうだ、まさしくそのとおりであった。
 次にその敏感なる人は、汽船ブルー・チャイナ号の左前方に、ほほ並行の進路を保って、六隻からなる駆逐艦隊の明りが走ってゆくのを見たであろう。そして、それは英国海軍に属する警備駆逐戦隊だと思ったであろう。それもまた、まさしくそのとおりであった。
 空と海とからして、汽船ブルー・チャイナ号は護衛されて安全なる航海をつづけているのだ――と思ったであろう。
 だが次の瞬間、到底信じられないことが突発した。
 甲板上の灯火が、暗い海を船のまわりだけを、ほの明るく照らしていたが、その光の中に、突然|海豚《いるか》の群のようにきらきら光る銀色の魚雷が群をなして船側目がけてとびこんだ――と思ったら、次の瞬間、天地も裂けとぶような大爆発が船内にひびきわたり、汽船は吹きとぶような大衝動をうけた。
「な、なに故の、味方の攻撃か」
 といぶかる暇もなく、こんどは甲板の上へ爆弾の雨!
 どどん、どどん。
 がーん、がーん、がーん。
 たちまち起る地獄変の絵巻――船体は火の嵐に吹きちぎられて、みる間に、どろどろと怒れる波間に吸いこまれてゆく。
 到底筆紙に書きあらわせない暗夜海上の大惨劇であった。
 生存者は幾人あるだろう。おそらく皆無とこたえるのが、当っているだろう。
 汽船ブルー・チャイナ号は、四千人にちかい乗組員と船客もろとも、電光の閃きのようなほんの一瞬時にして、影も形もなくなった。
 それは誰がやったのか?
 やったのは、何者だか分かっている。
 しかし憎むべきは、それを命じた者だ!
 リット戦隊司令官だ!
 リット少将の、うす気味わるい微笑の謎は、ここにはじめて解けたのだ。
「飛行島の秘密は、永遠に完全を護らなければならない」
 彼はそれを神の前でいい放ち、そして実行したのだ。なんという非道なことであろう。
 利益のためには手段を選ばず恥も知らないという、やり方がこれである。
 あわれ、誰も彼も、みな死んでしまった。一々名前をあげることさえ、われわれには忍びないではないか。
 しかし眼を蔽っていてはならない。そのなかに世界の公敵が大手をふって闊歩するのを見おとしてはならない。
 だが、正義は神である。飛行島を出発したときの汽船ブルー・チャイナ号に乗っていた者のなかで、危く命びろいをした者が少くとも二人はあった。
 その二人は、今暗い海上を互に呼びあい、励ましあって泳いでいる。
「どうだ、見たか。ずいぶ
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