気がつかなかったと聞くさえ腹が立つところへ、今また、あれだけ注意を与えておいたのに、機関大尉フランクが、大事な第四エンジン室でピストルを撃って暴れているという。リット少将が司令塔の床を踏みならして怒っているのも無理はない。
「誰でもいい。フランクを取り抑えてこい」
 副官はスミス中尉と顔を見合わせた。
「では私がスミス中尉と一しょにとりしずめてまいりましょう」
「うん、早くゆけ。ぐずぐずしていると、大事なわが飛行島の機関部に、どんな大損傷が起るかもしれん。海軍士官はたくさんあるが、飛行島はかけがえがないのだからな」
「えっ?」副官は、ちょっと自分も一しょに侮辱されたように感じて、むっとしたが、そのままスミス中尉をうながして、下へ急ぎおりていった。
「馬鹿な奴じゃ」
 リット少将は、吐きだすようにいって、展望窓のところへ歩いていった。そこからは、まるで仕掛花火がはじまっているような海上の騒《さわぎ》が見えた。幾十条の探照灯が、網の目のように入まじって、海上を照らし、爆雷の太い水柱がむくむくあがっている。
「け! あそこにも大ぜいの馬鹿者が英国海軍の恥をさらしている」
 リット少将は、拳固をかため、展望窓のところでぶるぶるふるわせた。
     ×   ×   ×
 ところで、第四エンジン室の騒というのは――
 さきほど分隊長フランク大尉は、リット少将のところへ電話をかけて、第四エンジンを日本将校カワカミらしい男が操っているから、試運転を一時中止して、彼を引捕らえたいからと申し出た。
 リット少将は、とんでもないという声色で、自分はさっきから直接伝声管でもって彼と連絡しているが、あれは実に見事な運転ぶりを示している。一たいカワカミなんかに、英国海軍|工廠《こうしょう》が秘密に建造したディーゼル・エンジンの運転ができるはずがないではないか。あれは、自分で名乗をあげていたように、フイリッピン人カラモという依託学者で、ロンドンの英国海軍工廠にあってエンジン製造に従事していた者で、エンジンには相当くわしいからこそ、ああして立派な操作をやっているのだ――と叱りつけた。
 なおもフランクが抗弁したところ、リット少将は大の不機嫌で、カラモは怪しくない、自分が保証する。それよりもお前は分隊長のくせに持場を離れていて、この重大な試運転中いつ呼んでも伝声管の向こうに出てこなかったではないか、普通なら処分するところだが、いまは飛行島の実力試験の最中だから大目にみてやる。早く持場へかえれと、さんざんやっつけられた。
 分隊長フランクが、真青になってエンジン室へ引揚げて来、そして飽くまでカラモの正体をあばいてみせるぞと決意もかたく、ピストル片手にカラモの一挙一動を監視していたことは、すでに知られたところである。
 カラモと名乗っているわが川上機関大尉は、冷やかにエンジンの番をつづけていた。ピストルがどこへ向いているか俺は知らんぞといった調子である。生きるか死ぬるかの問題なんか、飛行島に紛れこんだ時から、もう神仏にあずけてしまってあるのだ。そしてこの場合、やがて起るべきあることを待っていた。
 だだだっと靴音もあらあらしく、ケント兵曹が奥から駈けだしてきた。
「分隊長、たいへんです」
「たいへん? ど、どうした」
「海底牢獄の囚人が脱獄しました」


   川上機関大尉の決心


 海底牢獄というのは、飛行島で働いている者の中で、許しておけないようなことをやった人間を捕《と》らえて、おしこめておく牢獄であった。それは飛行島を水上に浮かばせている脚柱の下についている鉄筋コンクリートの浮函の中に造ってあった。そこは水面よりはるかの下になっているので、海底牢獄の名がついているのだ。当時、その中に放りこまれている囚人は五、六十人あった。多くは建設役人の命令に反抗した中国人や印度人であった。
「え、脱獄したって」
 と分隊長フランクが聞きかえすと、ケント兵曹は、
「そうです。私が倉庫エレベーターで下へおりようとしましたところ、エレベーターの綱条《ロープ》につかまって脱獄囚が下からどやどやと上ってきたのにはおどろきました」
「綱条《ロープ》につかまって上るなんて、そんなことができてたまるか」
「でも、嘘じゃありません。ほら、彼奴等がやってきました。足音がします。あそこをごらんなさい」
 その言葉のしたに、エンジンの奥から、うわーっととびだしてきたのは、印度人の一団であった。奥が暗いので、まるでシャツとズボンが攻めよせてきたように見える。
「あ、とうとうやってきたな」
 先頭の印度人は、監守をなぐり殺したらしい血染の鉄棒をふりかぶって、フランク大尉に肉薄する。
「仇敵、英国人め。圧政にくるしむわが印度同胞のうらみを知れ!」
「な、なにを――」
 だーん!
 フランクはついにピストルの引金をひいた。
 印度人の魂ぎる悲鳴――空をつかんで、鉄板の上に倒れた。
「あ、仲間を殺したな。それ」
 残りの印度人は、鬨《とき》の声をあげて、うわーっととびだしてくる。
 だーん、だーん。
 フランク大尉は、電灯の光に見える敵を夢中で射撃する。
 飛道具をもたぬ印度人は、かわいそうなほど、ばたばた倒れる。気の毒にも、みんなフランク大尉の弾の犠牲になるかと思われた。そのとき――
 がちゃーん。
 電灯が消えた。誰か電灯にスパンナーをなげつけた者がある。またつづいて、電灯はがちゃんと消える。
 室内は暗黒となった。
 エンジンを操作しながら、川上機関大尉の情《なさけ》の早業だったのだ。
 実をいえば、第四エンジン係のゼリー中尉以下がぶっ倒れたのも、川上機関大尉のやったことであった。彼は、万一の用にもと肌身はなさずつけていた、ある無色無臭の毒瓦斯を室内に放ったのであった。
 フランク大尉に、三十六基のエンジンの仕様書をさがして持ってくるようにと、副官の声色を使って電話をかけたのも、これまた川上機関大尉であった。
 それからまた印度人の脱獄も、川上機関大尉が手を貸したのであった。その中には、彼がこの飛行島へ上陸以来、人にかくれていろいろ彼の面倒をみてくれた印度志士コローズ氏もまじっていたのだ。
 なぜ川上機関大尉は、こんなことをやりだしたのか?
 彼は、飛行島というものを、隅から隅まで調べてゆくにしたがって、それが彼の考えていたよりもはるかに恐しい攻撃武器であることが分かったからだ。
 はじめのうちは、構造や性能などがあらまし分かれば、あとは勇敢無比を世界に誇るわが海軍の爆撃機や軍艦でもって、とにかくぶっ潰せるものと思っていた。
 ところが、島内をしらべてゆくと、なかなかそんな生やさしいものではない。いかに勇敢無比なわが海軍の精鋭をもってしても、これは相当の犠牲を出さないでは攻めおとすことができないと分かった。なにしろ二十インチの巨砲である。ものすごい高角砲である。べらぼうに厚い甲板の装甲である。恐しく用心をした二重三重の魚雷防禦網である。これでは何をもっていっても、ちょっと歯がたたないように思われる。なるほど、大英帝国が莫大な費用と全科学力とをかたむけて造っただけの大飛行島である。
 難攻不落の浮城だ。
「これは帝国海軍にとって実に由々しきことだ」
 川上機関大尉は、ひそかに天を仰いで長大息したのであった。
 その上に、気にかかるのは、彼の秘蔵していたペンキ缶に仕かけてある短波無電器がなくなって、今は祖国日本へこの重大な心配を通信するみちがなくなったことである。現に、試運転の夜、ホ型十三号潜水艦が飛行島に近づいて、川上機関大尉あてに、いくたびも呼出信号をかけたが、ついに大尉の応答が得られなくて、艦隊本部へ向け、
「川上機関大尉の応答なし」
 の無電をうたせたほどだった。
 とにかくわが勇士川上機関大尉は、そこで一大決心をかためたのであった。
 それは一たいどんな決心であったろうか。
 曰く――「俺はこの、飛行島を、自分の力でもって占領することにきめた!」
 なんという無謀な、そして大胆な決心であろう。
 飛行島をモーター・ボートとすれば、その舷《ふなばた》を匍う船虫ほどの大きさもない川上機関大尉が、どうして飛行島占領などというでっかい[#「でっかい」に傍点]ことができるものか。
 しかしわが川上機関大尉は、いかなる自信があっての上か、敢然として実行計画をたてた。そしてやっつけたことというのが、上にのべた三つのこと――第四エンジン部員襲撃、フランク分隊長のてんてこ舞、海底牢獄の一部の破壊であった。
 だが飛行島は、あまりにも大きい。はたして豪胆勇士川上の偉業はとげられるであろうか。


   試運転最後の頁


 暗黒中でピストルの撃合が行われているのを見て、駈けつけた副官もスミス中尉も、事の容易でないことをさとった。
 ひきつれていった部下に命じて、エンジン室内をぱっと照らさせてみると、脱獄囚相手に、ピストルの乱射をやっているフランク大尉の姿が見えた。
 戦闘員は、ピストルをかざして、わーっと室内へおどりこんだ。
 はげしい銃声。
 響き鳴る金属音。
 地獄の中のような乱闘と悲鳴。
 いかに印度志士が慓悍であるとはいえ、十分武器をもったこうも大ぜいの兵員にとりかこまれては、どうにもならない。彼等は、無念の唇をかみつつ、いくつかの貴い同胞の死体をそこにのこしたまま、奥ふかく逃げこんでしまった。
 副官は、フランク大尉の傍にすすみより、
「少将閣下は、試運転の最中に君がピストルを乱射しているというので、その不謹慎さをお怒りになっていたが、この場の有様を見ては、君のやったことは無理ではない。いやそれよりも英国士官の模範とすべき君の勇敢さについて、少将閣下は勲章を本国へ請求なさることだろう。よくやった、フランク分隊長!」
 といって、かたい握手を求めた。
 フランクは、脱獄囚のために虐殺されるかと思ったのに、うまく命びろいして、夢心地といったところであった。
 が、しばらくして、はっとわれにかえり、
「あ、そうだ。怪フイリッピン人カラモはどうしたろう」
「怪フイリッピン人? なんだい」
「ほら、お忘れになりましたか。さっき少将閣下に申し出て斥けられたあれです。例の日本将校カワカミが化けているのじゃないかと思う怪しい奴です。ついさっきまで、その辺でエンジンを操作していましたが……」
 と、懐中電灯をエンジン運転台の方に向けた。
 だが、なんのことだ、そこには誰の姿もなかった。見えるのはパイロット・ランプや油圧計や廻転計などの器械ばかりであった。計器の針は、途方もないところへかたむいて、エンジンはいまにも壊れそうな怪しい響をたてていた。
「おや、いないぞ」
 と、首をかしげたフランクは、つづいて受持の第四エンジンの乱調に気づき、さっと顔色をかえ、
「たいへん、エンジンが爆発する!」
 と、運転台へとびあがると、ハンドルをぐっとひねった。それから安全弁をひらくやら、給水パイプのコックをひねるやら大騒ぎをして、やっとエンジンの壊れるのを救った。
 エンジンは、ついにぱったり停ってしまった。
「あいつは、とうとう逃げてしまいました。やっぱり、日本将校カワカミだったのだ……」
 フランク分隊長は、印度人に殴られた腰のあたりを痛そうにさすりながら、副官とスミス中尉にいった。
 副官たちも、あれほど島内を懸賞までつけて探した川上機関大尉が、まさかその下をくぐりぬけて生きているとは信じなかったけれど、分隊長の話を聞けば怪しいふしもあるので、すぐさま非常手配をした。
 だが、川上機関大尉らしい東洋人のその後の行方については、誰もたしかな報告をしてくるものはいなかった。
 一方、飛行島を離れた海面に、警備の飛行隊と艦隊とで追いかけまわしていた日本の潜水艦ホ型十三号はどうしたのであろうか。
 司令塔のリット少将は、金モール燦然たる軍帽をぬいで、傍のコンパスに被せ、さも疲れたらしく腰を籐椅子に埋めて、電話にかかっていた。
「なんじゃ、警備飛行団長? たしかに急降下爆撃で、潜水艦をやっつけたって? そのことなら、
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