は、帆付から何をきかれるのかと、ちょっとはずかしくなった。
「ちょっと伺《うかが》いますが」
 と、帆村は、意外にも、かたい顔を房枝の方に向け、
「あなたは、ミマツ曲馬団の誰かを殺害《さつがい》しようという計画をもっていたのではないですか」
「えっ、なんとおっしゃいます?」
 帆村の問は、房枝をおどろかせたばかりではない。検事はじめ警官たちも、その問にはおどろいてしまった。それは房枝を爆破事件の犯人として疑っているようにも聞える質問だったから。
「じゃあ、もう一度いいます。あなたは、ミマツ曲馬団の誰かを殺害する考えがあったのではないですか」
「まあ、帆村さん、あまりですわ。と、とんでもない」
 房枝は、肩をふるわせて叫んだ。
 帆村は、なぜとつぜん、こんなことをいいだしたのであろうか。ならんでいる警官たちの目が、一せいに帆村の顔にうつる。
「あなたは、そういう考えのもとに、爆発物を、曲馬団のどこかに仕掛けておき、そしてあなたは、自分の体を安全なところへ移すため、丸ノ内へ出掛けていったのではないですか。一人でいくのは工合がわるいから、黒川新団長をさそっていった」
「まあ、待ってください。帆村さん。あたくしが、そんな人間に見えまして、ざんねんですわ」
 房枝は、すすり泣きをはじめた。しかし帆村は、一向動じないかたい表情で、
「だから、バラオバラコの脅迫状も、実は、あなたが自分で作ったものであると、いえないこともない。あなたが安全な場所へ出かける口実を作るため、自分で脅迫状を出したのではないのですか」
「あ、あんまりです。あんまりです」
 と、房枝は、とうとう泣きくずれてしまった。
 それを見かねたものか、検事は、
「おい帆村君。その点は、われわれももちろん考えてみたが、この娘は、それほどの悪人ではなさそうだ。われわれもそのことについてはうたがっていないのだから、それでいいではないか」
「はい、それではどうぞ」
 帆村は、かるくおじきをして、後へ下った。
 房枝は、くやしくて仕方がなかった。帆村探偵は、りっぱな青年だと思っていたのに、なんというひどいことをいう人であろう。あろうことかあるまいことか、自分を殺人犯だとうたがうなんて、そんな仕打があるであろうかと、日頃の好意が、すっかり消しとんでしまった。
 帆村は、ただ沈痛《ちんつう》な顔をしている。彼の胸の中には、他人にいえない何かのなやみがひそんでいるもののようであった。

   出迎人《でむかえにん》

 房枝は、その夜は、警察署の保護室ですごした。
 その翌日となって、房枝は、警察署を出ていいことになった。そのとき、ミマツ曲馬団の生き残り組の中に入っていたスミ枝も、一しょに出ることを許された。
 スミ枝は、署の外に出ると、房枝のそばにすがりつかんばかりにして、一時もはなれようとはしなかった。
「房枝さん、どうぞ、あたしを残していってしまわないでよ、ねえ」
「大丈夫よ。これから、一しょに働き口をさがしましょうよ」
「ほんとう? うれしいわ、あたし」
 と、スミ枝は、またつよく房枝の腕《うで》にすがりついて、
「ああ房枝さん。あたしの持っているこの包の中にね、あなたの持物も、すこしばかり入っているのよ」
「あら、そう」
「うちの曲馬団の向かいに、大きな工場があるでしょう」
「ええ、あるわ」
「あそこの工場の中へ、曲馬団の衣裳や道具なんかが、ばらばらと落ちたんですって、あたしあの翌朝、浅草《あさくさ》の小母《おば》さんところを早く出て、曲馬団へかけつけたんだけれど、工場の前でうろうろしていると、工場の守衛さんが、あたしのことをおぼえていて、こっちに、お前のところのものがたくさん落ちてきたよといって見せてくれたのよ。話をきいて、びっくりしたけれど、あたし、欲ばりだもので、早速その品物を見せてもらって、自分のものを選《よ》って持ってきたのよ。ついでに、房枝さんのものも持ってきたわ」
「あら、スミ枝さんは親切ね」
「そういわれると、あたしはずかしいわ。だって、正直にいうと、房枝さんも死んでしまったろうから、房枝さんの形見をもらうつもりで、持ってきたんだわ。ごめんなさいね」
「形見だって、ほほほほ。本当に、もうすこしで、形見になるところだったわねえ」
「ごめんなさい。あとで見せるわね。あの、いつかの奥様みたいな方が持ってきた手箱《てばこ》もあるのよ」
「あら、そう、あのよせぎれ細工《ざいく》の手箱が」
 房枝は、道子夫人からいただいた手箱が焼け残っていたと聞いて、とたんに、なつかしく、夫人のことが思い出された。
(ああ、あの奥様はあたしが死んでしまったと思っていられるかもしれない、安心をおさせ申すために、おたずねしなければならないけれど、つい、お所をうかがっておかなかったので、こういうときに困ってしまうわ)
 と、ざんねんに思った。
 それから、房枝は、忘れていた道子夫人のことを考えつづけはじめたが、とたんに、じゃまがはいった。
「おお、房枝さん」
 いきなり、横町からとびだしてきた者があった。
「あら」
 房枝は、おどろきの声を発したが、そのままスミ枝の手をとって、急ぎ走りぬけようとした。
「房枝さん、お待ちなさい」
 よびとめたのは、ほかでもない、帆村荘六だったのである。
 房枝は、どなりつけたいような、むかむかする胸をおさえて足早に歩いた。
「おお、房枝さん」
 こんどは、別な声が房枝をよびとめた。なまりはあるが、カナリヤのようにきれいに澄《す》んだ声だった。それはニーナだった。そばには、ワイコフ医師もいた。
「あら、ニーナさん」
「あたくし、待っていました。黒川さん、あなたに会いたがっています。すぐ来てください」
「あら、そうですか。どうしたのでしょう、容態でもわるくなったんじゃありません?」
「ええ、そうです、そうです。黒川さん、至急、あなたに会いたがっています。それからね、房枝さん。あたくし、あなたのために、しんせつなことを考えました」
「親切なことって」
「あなたを、あたしのところで、よい給料で働いてもらおうと思います。仕事は、むずかしくありません」
「そうですか。でも、あたし、この方と一しょに働こうって、約束したばかりなんですのよ」
 といって、房枝はそばでけげんな顔をしているスミ枝を指した。
「おお、こちらのうつくしい娘さんですか。うつくしい女の人、たいへんよろしいんです。房枝さんと一しょに働いていただきましょう。その仕事、たいへんいい仕事です。くわしいこと、あとで話します。自動車が待っていますから早くのってください」
 房枝とスミ枝が、顔を見合わせて、どうしようかと考えているうちに、ニーナは、自分の思ったことを、どんどんやった。道ばたに待っている自動車のところへ来ると、ワイコフに扉《ドア》をひらかせ、二人をおしこむようにして、自動車にのせてしまった。
「あら、ちょっと房枝さん。すてきな自動車ね」
 スミ枝は、もう自動車に気をうばわれてしまっている。
 房枝は、走りだした自動車の窓外に、目を走らせた。電柱のそばに帆村が立って、じっと房枝の方を見おくっていた。
「ほほほ、房枝さんをおこらせた探偵さん、くいつきそうな顔していますね」
 ニーナは、どこで知ったか、そういって、愉快げに笑った。ワイコフの操縦する自動車は、町の辻をまがって、国道の方へすべりこんでいった。
 自動車が見えなくなってしまうと、帆村探偵は、たばこをとりだして火をつけた。
「房枝さん、あんたは、とうとう本気でおこってしまったようだね。はははは」
 と、彼は口の中で、つぶやくようにいった。なぜか彼の顔からは、近頃のあのいたましいかげが急に取れ、その目は希望にかがやいていた。

   花の慰問隊《いもんたい》

 それから一週間ほどしてのことだったが、都下の新聞やラジオのニュースによって、
「増産運動《ぞうさんうんどう》・花の慰問隊」
 という風がわりな慰問隊が結成せられたことが伝えられ、国民をたいへんに感激させた。
 その「花の慰問隊」というのは、うつくしい少女たちの集りで、そのうつくしい少女が、これはまた更にうつくしい花束をもって、東京にあるたくさんの生産工場その他を訪問し、朝から晩まで、機械と共働きをしている男女職工さんたちをなぐさめようというのであった。この「花の慰問隊」の訪問をうけた工場では、そこで働いている職工さんたちが、どんなに喜ぶかしれない。その結果、仕事の方もどんどんはかがいって、かならずいつもよりは、たくさんの品物ができることであろう。つまり花の慰問隊は、増産運動までをやろうというのであった。
 この「花の慰問隊」結成のことは、ニュースがひろがっただけでも、たいへんなよい反響があった。
 各新聞紙は、争うようにして、花の慰問団の写真をのせた。
 そのときカメラの焦点は、つねに一人の明朗な、はつらつたる美少女に合わされていた。その少女こそ、ほかならぬ房枝であったのである。
 花の慰問隊の少女たちは、はじめのうちは、数十名にすぎなかった。そして一日に、三、四箇所の工場をまわるにすぎなかったが、新聞や、ラジオでこのことが伝わると、日毎に参加の隊員がふえてきて、一週間たつかたたないうちに、隊員の少女たちは、三百余名という多数となった。
 房枝は、いつとなしに、花の慰問隊長にあげられていた。
 ニーナは、房枝の後援者であった。いや、もっとはっきりいうと、はじめから、この花の慰問隊をつくるのに力を入れていたのであった。しかしニーナのことは、どの新聞にも出なかった。それは全くふしぎなくらいであった。
 だが、その理由は、ニーナと房枝との間に、かたい約束があったからである。即ち、慰問隊の結成は、すべて房枝がいい出したことにしておくことと、それからもう一つ、花の慰問隊のことを聞いて、ある富豪《ふごう》が、名前をかくしてかなりたくさんな金を、慰問隊のために寄附したこと、この二つのことを、ニーナは房枝にまもるように約束したのであった。その実、この寄附金は、すべてニーナのふところから出たのであった。といっても、ニーナのお小遣《こづかい》から出たのではなくて、もっとえらい筋から出ているのであった。今後も、入用なだけの金は、いくらでも房枝に渡されることに、ニーナとの話がついていた。
 次の日曜日が、花の慰問隊の大会ときまった。これこそ表面はいかにもうつくしいが、一度その内幕をのぞくと、そこにはターネフ一派の実におそるべき陰謀がいままさに行われようとしているのであった。それは、どんな大事件をもたらすのであろうか。ターネフが「もはや荒療治のほかなし」と放言したが、その荒療治の日は、いよいよ近くに迫ったのであった。房枝は、そんなこととは、夢にも思っていない。ニーナたちをうたがうどころではない、ニーナのかくれた美挙《びきょ》にすっかり感激し、ニーナをすっかり信じかつうやまっているのであるからまことに困ったものであった。
 帆村探偵は、今なにをしているのであろうか。
 そしてついに、その日が来た。花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束や、おそろしい爆薬を秘めた花籠で飾られる日が来たのであった。

   あやしき見張《みはり》

 いよいよ今日の日曜日は、花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束、いや、おそろしい爆薬を秘めた花籠でもって飾られるのだ!
 その早朝のこと、例の城南《じょうなん》の警察署へ、一台の帆自動車《ほろじどうしゃ》がすべりこんだ。
 運転台にのっていた警官が、すばやく外へ下りて、自動車の扉《ドア》をあけると、中から、度のきつい近眼鏡をかけた紳士がひらりととび下り、階段をあがって、さっと警察署の中に姿を消した。
「おう、田所《たどころ》検事だ。いよいよ御入来だな」
 そういったのは、署の前の、煙草店から出てきたあやしい黒眼鏡の男だった。
 彼はそういうと、横を向いて、道路の傍《かたわら》で故障になった自動車をなおしている修繕工らしい長髪の男に目くばせした。
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