こうから駈《か》けてきて、その足のわるい青年に、こえをかけた。曾呂利本馬という妙な名が、その青年の芸名《げいめい》だった。
「なあに、大丈夫」
 と、曾呂利青年は、うなずき、
「ねえ、房ちゃん、いつもいうとおり、僕なんかにかまわないがいい」
 そういって、彼は、あぶなっかしい足どりで、食堂の入口をまたいだのだった。
 この気の毒な曾呂利青年を、房枝がなにかと世話をしてやると、そのたびに、トラ十が、目をむいて、口ぎたなく叱《しか》りつけた。
(おい房公。お前、手を出すな。その曾呂利本馬てえ野郎は、正式の団員じゃないぞ。メキシコのどぶ川の中で、あっぷあっぷしていた奴を、おせっかいの団長が、えりくびとって引上げてやったのさ。それからこっち、いつの間にやら、ミマツ曲馬団のすみっこで、こそこそうごめいている奴さ。とんちきな芸名までもらいやがって、歯のない牝馬《めうま》のうえにのっかったと思うと、もうあれ、あのとおり、自分の足を、ひんまげてしまった。ざまあみろというんだ。正式の団員でもない野郎の世話なんかすると、このおれさまが、だまっちゃいないぞ!)
 と、今日も、朝っぱらから、トラ十は、船室で、
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