せてくださーい」
和船は、いったん帆村の方に、一直線に近づくと見えたが、そばまで来ると、急に、針路をかえた。
「おーい、たのむ。のせてくださーい」
和船は、逃げるわけでもなく、用心ぶかく、帆村のまわりをぐるぐるまわりだした。
帆村は、しきりに手をあげて、和船をのがすまいと、呼んでいるうちに、彼は船のうえにのっている人物をみて、「おや、あれは、トラ十のようだが」と首をひねった。
しばらくすると、それは帆村の思ったとおり、トラ十にちがいないことがわかった。トラ十は、ついに船を帆村のところへ持ってきたのである。
「なアんだ、お前は曾呂利本馬《そろりほんま》じゃねえか」
と、トラ十は、けげんな顔で、船のうえから、帆村を見下ろした。
「そうだ、曾呂利だ。こんなところで、仲間にあおうとは思いがけなかった。おねがいだ。その船にのせてくれよ」
と、帆村は、たのみこんだ。トラ十は、まだ幸《さいわ》いにも、帆村の身分を知らず、ミマツ曲馬団の曾呂利青年と思っているらしい。
「ふん、助けてくれか。そうだな、お前なら、助けないわけにもいくまい。しかし、ことわっとくが、この船じゃ、おれは船長なんだぞ。万事おれさまの命令に従うなら、むかし仲間だったよしみに、ちっとばかりのせてやらあ」
トラ十は、もったいぶっていった。
怪《あや》しい紙切《かみきれ》
「やあ、ありがとう。トラ十兄い、恩にきるぜ」と、帆村がいえば、
「ふん、お前までが、トラ十トラ十といいやがる。これからは丁野船長《ていのせんちょう》とよべ。そういわなきゃ、おれはお前に、船から下りてもらうぜ」
「いや、わるかった。船長、どうか一つたのむ。たすけてくれ」
「ふん、じゃあ、のれ」
トラ十に、いばりかえられながら、帆村探偵は、やっと和船のうえの人となった。
「曾呂利よ。お前は、よっぽど運がいい若者だ」
と、トラ十はエンジンのところにすわりこんで、ひやかすようにいった。
「トラ十、いや丁野船長。お前、よくまあ、こんなりっぱな船を手に入れたもんだなあ。いったいどこで、手に入れたんだい」
帆村探偵は、服のしずくをおとしながら、そういうと、
「な、なんだって」
と、トラ十は、急にこわい目つきになり、
「そ、そんなことは、お前らの知ったことか。よけいな口をきくな」
と、帆村を叱《しか》りつけた。
それからしばらく、二人はだまりこんでしまった。
帆村が、じっとみていると、トラ十は、霧の中の海を、また北にむけて舵《かじ》をとっているのであった。それは、朝日の位置からして、方角がちゃんとわかった。
そのトラ十は、ときどき、霧の中をとおして、日の光を仰ぎつつ、胃袋のあたりを、ジャケツのうえからおさえるのであった。なにか彼は気にしていることがあるらしい。
「おい、曾呂利よ」
「へーい」
「へーい」というへんじが、トラ十の気に入った。
「お前、艫《とも》の方をむいて船がとおらないかみていてくれ。おれが、よしというまで、こっちを向いちゃならねえぞ。いいか」
「へーい。しょうちしました」
帆村探偵は、いいつけられたとおり、艫の方を向いた。
トラ十は、それをみるより、にわかにそわそわしだした。彼は、細長い腕を、ジャケツの中にさしこんだ。やがて手にとりだしたのは、くしゃくしゃになった青い封筒であった。
それは、師父《しふ》ターネフからうばった、重要書類|入《いり》の袋であった。
トラ十は、帆村の方を注意ぶかく睨《にら》んだ。
「やい、やい、やい。いいつけたとおり、艫の方へまっ直《すぐ》に向いていねえか。こっちを向いたら面《つら》を叩《たた》きわるぞ」
「へーい」
なにをいわれても、帆村は、へーいであった。トラ十はそこでやっと安心のていで、片手をつかって青い封筒をやぶった。中には、数枚の紙切がはいっていた。トラ十は、しきりにその中をのぞきこんでいたが、
(おやッ!)という表情。
取出した紙切を、一枚一枚あらためてみたが、それは、ことごとく白紙《はくし》であった。なんにも書いてなかった。白紙の重要書類というのがあるであろうか。
「ちえ、うまうま、きゃつのため、一ぱいくわされたか!」
トラ十は、くやしさのあまり、つい、ことばに出していった。
「どうしました、船長さん」
帆村は、うしろをふりかえった。
トラ十は、封筒と白紙とを重ねて、べりべりッと破った。そして、海中へなげこもうとしたが、急に気がかわって、破ったやつを、ふたたびジャケツの下におしこんだ。そのトラ十は、帆村に、なぜこっちを向いたのかと、叱りつけはしなかった。
「うーん、あの野郎……」
トラ十は、よほどくやしいとみえ、ひとりで獣《けもの》のようにうなっている。
帆村は、実は、さっきから、トラ十のすることを、すっかり見
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