等運転士をはじめ、どなたもみとめますねえ」
 そういわれて、一等運転士は、他の船員たちの方をふりかえった。誰か、青年紳士のことばに反対する人があるかと思ったからだ。しかし、誰も彼も、青年紳士のしっかりした言葉に息をのまれて、ただ、互いに顔を見あわせているばかりだ。
「このことは、皆さん、異議がないようですね。窓わくのここのところがいぶっていれば、どういうことが分かるか。結論を先にいいますと、ピストルをうった犯人は、背が非常に高いということです。ピストルをうつときには、このいぶったところが、ほぼ犯人の肩の高さになるのですから、ほら、ここが肩だとすると、私よりも十センチ以上も高いたいへん背の高い人物だということがわかる。いかがですな」
 と、かの青年紳士は、一同を見まわした。
「な、なるほど」と、叫んだ者もあった。
「この房枝嬢は、ごらんのとおり、日本人としても、背の高い方ではない。だから、房枝嬢がやったのではないことが分かりましょう。房枝さん、ここへ来て、ピストルをこのいぶったところへつけ、射撃のしせいをやってみてください」
 房枝は、いわれるまま、ピストルをも一度にぎって、そのとおり試みたが、ピストルは目よりもずっと高いところにある。
「どうです、皆さん。これでは、室内の人物を狙《ねら》いうつことはできません。弾は天井へあたるだけです」
「なるほど、これは明らかな証明だ。いや、よくわかりました。この女の方がやったのではないことだけは、はっきりしました」
 と、一等運転士は、わるびれもせず、自分の考えのあやまりだったことをわびて、房枝のうたがいをといた。
 房枝は、やっと、ほっとした。
「で、あなたは、一体どなたですか」
 と、一等運転士は、せきこんで、青年紳士に尋ねた。
「私? 私は、ピストルに狙われた本人ですよ。ミマツ曲馬団で曾呂利本馬《そろりほんま》と名のっていましたが、実はこういうものなんです」
 と、一等運転士に、そっと身分証明書を見せた。
 それには、探偵|帆村荘六《ほむらそうろく》の身分が、はっきりしるされてあったので、一等運転士は、あっとばかりおどろいてしまった。

   帆村《ほむら》は誇《ほこ》らず

 名探偵帆村荘六は、曾呂利本馬の仮面をとりさって、ここに、すっきりした姿を、雷洋丸上にあらわしたのであった。
 一等運転士は、さっそく、このおどろくべきことを報告するために、船長室へもどった。船長はどこへいったかそこには見えなかったので、彼は船橋《せんきょう》の方へ船長をさがしにいった。
 水夫たちは、なにがなにやら、はっきりわからないが、この青年紳士の、あざやかな腕前にすっかり感心したのであった。そして、一等運転士から命じられたとおり、今はかえって、帆村荘六の身辺をまもって立つという変り方であった。
 房枝は、早くも、一切のことをさとってしまった。ことに、一等運転士が、身分証明書を見たとき、「ほ、帆村荘六!」と、叫んだのを聞いてしまったのだ。
(やっぱり、そうであったか。名探偵帆村荘六に、どこか似ていると思ったら、似ているはずだ、その本人なんだもの)
 房枝は、思わず、曾呂利本馬、ではない帆村荘六のそばにかけよったが、うれしいやら、ちょっときまりがわるいやらで、
「帆村さん。どうもすみません。あたしを、救ってくだすって」
 といっただけで、あとは口がきけなかった。
 が、とにかく、よかった。いつも人にいじめられてばかりいた曾呂利本馬! 病身《びょうしん》らしい青白い顔の曾呂利本馬! 脚をけがして、繃帯をまいている気の毒な曾呂利本馬! 房枝がいつもかわいそうで仕方のなかったその曾呂利が、ここで一変して、アラビヤ馬のような精悍《せいかん》な青年探偵帆村荘六になったのである。もうこうなったうえは、彼のため、房枝は胸をいためることはいらなくなったのである。房枝の身も心もかるくなった。
「おや、僕の本名をよびましたね。化けの皮がはがれては、もう仕方がありませんね。とにかく、いろいろと話がありますが、いつも房枝さんに、かばってもらったことについて、たんとお礼をいいますよ」
「あたしこそ、今日は救っていただいて、すみませんわ」
「なあに、あれくらいのことがなんですか。いつも房枝さんに、かばってもらった御恩《ごおん》がえしをするのは、これからだと思っています。僕は、いそがしいからだですから、間もなく房枝さんの傍《そば》をはなれるようになるかもしれませんが、僕の力が入用のときは、いつでも、何なりといってきてください」
 と、帆村荘六は、房枝の手に、一枚の名刺をにぎらせたのであった。
 房枝が、その名刺をみると、彼が丸ノ内に探偵事務所をもっていることが分かった。東京に不案内の彼女であったから、分からないことは、これから何でもかで
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