にも他の国から入れて、いくぶんは補充がつく。しかし腕のいい技師や職工は、そんなわけにいかない。だから両方やっつけるのが一番いいのだ」
 ターネフはひとりで悦《えつ》に入っている。実におそろしい破壊計画であった。こういう計画をたてる世界|骸骨化《がいこつか》クラブの大司令は、鬼か魔か。
「それから、例の極東薬品工業株式会社の爆発は、念入りにやってくれよ。彦田博士も一緒にやっつけてしまわねばならないが、博士はこの頃いつも工場に泊っているそうだから、多分うまくいくだろう。あの優秀な博士は、どうしても生かしておくことは出来ない」
 ターネフのいうことは、どこからどこまでも、日本にとって一大事のことばかりであった。いや、日本だけではない。東洋、いや全世界の文明力を破壊し、世界人類の幸福をぶちこわすおそろしい陰謀なんだ。この陰謀の巣の地下室は、どこにあるのかと思うと、これが意外にも意外、例のうつくしい花壇の真下にあるのであった。
 時間の歩《あゆ》みのおそろしさよ。
 未曾有《みぞう》の大事件は、刻々《こくこく》近づきつつある。
 帆村探偵は、どこにいるのか。トラ十はどこへ逃げたのか。
 ここに、ただ一つふしぎなるは、例の美しき花園に水を撒《ま》く庭番が、いつになく帽子を深々とかぶり、そしていつになく忠実に花の間にうずまって、仕事に精を出していることであった。

   夫人のなげき

 花の慰問隊は、一せいに日比谷公園から、進行を開始した。ターネフ首領邸《しゅりょうてい》から、ここへ運ばれてきてあった数千のうつくしい花束と花籠とは、少女たちの胸に抱かれ、飾りたてられたトラックの上にのせられ、そこから全市の各工場地帯に向かって出発したのであった。房枝の組は、城南方面であった。
 この方面には、十台のトラックがつづいた。どの工場でも、工員たちから、ものすごい歓迎をうけた。
「まあ、きれいな花籠だこと」
「こんなに沢山もらっていいんですか。これはどうも、すみませんですなあ」
「いいえ。皆さんの御奮闘《ごふんとう》に対して、ほんのわずかの贈物なんですの。それを、たいへん喜んでいただいて、あたくしたち花の慰問隊一同、こんなうれしいことはございませんわ」
 こんな会話のやりとりが、どこへいっても、工員たちと房枝たちとの間にとりかわされた。美少女たちの頬は、トラックの上で、すっかり紅潮して、花にもましてうつくしく見えた。
 彦田博士の極東薬品株式会社の前でも、この花と少女のトラックは止まった。そして、一番見ごとな花籠が贈られた。
 社長の彦田博士は現れなかったが、副社長以下の幹部が、門前に総出となって、花の慰問隊を出迎えた。
 房枝たちが、その花籠を贈呈《ぞうてい》している途中で、会社の玄関から、一人の上品な夫人が現れた。その夫人こそ、彦田博士の夫人道子であったが、夫人は、目のさめるような大花籠にしばらく気をうばわれ、たたずんでいるうちに、さっと驚きの色が浮かんだ。それは、思いがけない房枝の姿を見つけたからであった。
「まあ、あなたは房枝さんでしょう。まあまあ、房枝さんでしたわね。よくきてくだすったのね。こんなところでお目にかかれるなんて」
 夫人は、房枝のそばへ駈けよって、うれしさのあまり、ついに声が出なくなったほどであった。
「奥様は、どうして、こんなところに」
 挨拶がすんでから、房枝が、ふしぎそうにたずねた。
「ああ、そのことですの。実は、この工場は、私の主人が建てて、社長をしていますのよ」
「御主人?」
「そうですの。彦田と申します」
「あ、彦田博士! まあ、そうでしたか。すると奥様は、彦田博士の御夫人でいらっしゃつたのですねえ。まあ、目と鼻にいましたのに、すこしも気がつきませんでしたわ。こんないい工場、そしてあんなにりっぱな御主人! 奥様は日本一御幸福ですわねえ」
「そうでもありませんわ、第一、私たち二人きりで子供がありませんもの。こんな不幸なことはありませんわ。まあとにかく、皆さんこっちへお入りになって、しばらく、休んでいってくださいまし。お茶の用意をしてございますから」
 道子夫人は、そういって、房枝たちを工場の応接室へ案内した。そこには、心づくしのお菓子と茶が並べられてあった。
 房枝は、その厚意に感激しながら、夫人のそばで茶を御馳走になった。
「房枝さん。いつも私が、お話したいと思いますが[#「いつも私が、お話したいと思いますが」はママ]、むかし、主人との間には、一人のかわいい女の子がいましたのよ」
「そのようなお話を伺いました。で、そのお嬢さまは、どうなすったのでございます」
「おはずかしい身の上ばなしになりますが、その当時、研究狂といわれた主人と私はその日の食べものにも困り、そのうえ私が病気になってしまい、一家はどん底の暗黒にお
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