かり忘れていたが、さぞ今ごろは、彼らはさわぎだして、警察へいったりしていることだろう。警察へいっても、房枝たちのいどころがわかるわけがない。房枝は、すぐにかえる決心をした。
ニーナは、屋内《おくない》へいそぐ房枝の腕をかかえて、しきりに朝食をとっていけとすすめる。
広間へ房枝が上ったとき、彼女は、
「あらっ」
といった。それは[#「それは」は底本では「それに」]、師父ターネフが、彼女を見ると、あわてて奥へ姿を消したからであった。そのときのターネフは、一向牧師らしからぬ服装をしていたからであるかもしれない。ニッカーをはいていて、まるでゴルフにでもいくような姿だった。靴は、泥にまみれていたようにも思われる。それにしても、まさかあわてて奥へ逃げこむこともなかろうものを。
ニーナは、房枝をむりやりに食堂へひっぱっていった。その食堂には[#「その食堂には」はママ]、映画でよく見るのと同じく、華麗ですがすがしい広間で、芝居の舞台に使うような椅子や卓子《テーブル》がならんでいた。
房枝は、むりやりに、一つの椅子に腰をかけさせられてしまった。
ニーナは、ちょっとといって、いったんかけた席を立って奥へひっこんだが、間もなく急ぎ足で現れた。手には、日本の新聞を手にしている。
「おお房枝さん。あたくし、あなたの帰るのをとめて、いいことをしました」
「え。まあ、どうして」
房枝は、ニーナにそういわれてひどく胸さわぎがした。
「この新聞、ごらんください。たいへんです」
「えっ、たいへんとは、どうしたんでしょう」
房枝は、ニーナの手にした新聞を、おそるおそるのぞきこんだ。
「この記事、ごらんなさい。けさミマツ曲馬団、火災をおこして焼けてしまいました」
「まあ」
房枝は、夢を見ているのではないかと、あやしんだ。
だが、手にとった新聞には、まちがいなくミマツ曲馬団が今暁《こんぎょう》二時、一大音響とともに火を出して、すっかり焼けてしまったことと、そして団員と思われる二十数名の犠牲者が、その焼跡から発見されたことが、写真まではいって報道されているのであった。
「な、なんということでしょう」
その写真には、炎々《えんえん》たる焔《ほのお》に包まれた、ミマツ曲馬団の天幕《テント》がうつっていた。夢ではないのだ。なんという不運なミマツ曲馬団であろうか。一体、この火事の原因は何であろうか。
新聞記事には“原因は目下取調中であるが、ガソリン樽《たる》が引火爆発したのではないかとの説もある”[#「説もある”」は底本では「説もある。」]
(ガソリンの樽――そんなものはない。ガソリン樽の引火なんて、そんなことはうそだ!)
と、房枝は、はやくも、記事のあてにならないことを見やぶった。
では、一体どうしたのであろうか。
爆発するものなんか、おいてなかったはずである。しかも団員が、それがために二十数名も死んでしまうなんて、そんなひどい爆発力をもったものはないはず。
(だが、ひょっとしたら、あれではないかしら)
房枝の胸は、それを考えついたとき、まるで早鐘《はやがね》のように鳴りだした。
ああ、あの花籠だ! あれこそ爆薬入りの花籠ではなかったか? おそろしかった雷洋丸事件の当時のことが、今更にありありと思いだされた。房枝は、そばにニーナ嬢が立っていることも忘れて、
「ああ、きっとあれだ!」と、こぶしを握って叫んだ。
ああ、惨事《さんじ》の後《あと》
房枝は、ニーナたちのとめるのをふりきって邸を出た。それは一刻もはやく、城南《じょうなん》の惨事のあとへいって、団員たちの様子を見たいためだった。
房枝が、停留場の方へかけだしていくあとから、ニーナが追ってきた。
「もしもし房枝さん。あたくし、あなたを自動車で送ってさしあげます。自動車で、スピードを出すのが一等早く、向こうへつきます」
それから、二十数分後に、城南の曲馬団の惨事のある附近まできた。
「ニーナ嬢、すぐかえりますか」
と、自動車を運転してきたワイコフ医師がいった。
「いいえ、もうすこし、ここにいます。あたくし、房枝さんのこと、心配です」
「では、ここに自動車をおいておくのはまずいから、例のホテルへ車をまわしておきますよ」
ワイコフ医師は、そういって、急いで、車をまわして立ち去った。
房枝は、惨事の小屋跡へかけよった。
「こらこら、はいっちゃいかん」
警官が、房枝の前に、立ちふさがった。
ニーナが、房枝をかばうようにうしろから抱きとめた。
しかし警官の肩越しに、惨事の跡がよく見えた。一夜のうちに、こうもかわるものであろうか。目をおおいたい惨状であった。天幕の柱が燃えおちて、ひどく傾いている。天幕の燃えのこりが、泥にそまって、地上に散らばっている。火事は全焼とまではいかず
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