察から帰されることになった。残された喜多公はお由の死んだ夜の行動について、何んと思ったか一言も口を利か無かったのだ。その時の吉蔵の供述《きょうじゅつ》はこうである。
「あっしは十時に店を閉めて、お由が留守だから久し振りで玉《たま》の井《い》へ行って見る気になりました。今戸から橋場《はしば》をぬけて白鬚橋《しらひげばし》を渡ったんです。けれど何うも気がすすまないんで、一通りひやかしてしまうと、二時頃には家へ帰って寝てしまいました。その翌朝《よくちょう》、何んの気なしに聞いていると、乾分の一人が昨夜《ゆうべ》喜多を玉の井で見かけたって噂を小耳にはさんだんで、お由が殺されていると言う報《しら》せを聞いたのは、それから間も無くでございました」
では、何故喜多公はその夜の行動を明らかに説明しなかったか? 土岐技手が其の夜国太郎に漏《もら》した言葉では、喜多公こと田中技手補は確《たしか》にその頃は変電所に勤務中ではなかったのか?
然し二三日後、喜多公がやっと口を開いた時には、こんな意外な陳述《ちんじゅつ》がされていた。
「実は、あっしは姐御、詰りお由さんに想いを掛けていたのです。で、幾度も気
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