元来無口な人で、患者が自分の病気について深入りした質問を発するのが大嫌いのように見えた。
「なんでもいい。とにかくこのとおり元気になって、退院できるのだから」と、彼は諦《あきら》め顔《がお》にいって、「さあ、いよいよ明日から、自分の好きなところへ行って、好きなことができるんだぞ。うれしいなあ。さて、明日病院の門を出たら、第一番になにをしようかなあ」


   謎の手帖


 彼は、黒木博士の世話で、目黒区にある黄風荘《こうふうそう》というアパートに入った。
 彼は、親には早く死にわかれ、兄弟もなければ妻子《さいし》もなく、天涯孤独《てんがいこどく》の身の上だった。財産だけは、親譲《おやゆず》りで相当のものが残されていた。毎月の末になると、某信託会社《ぼうしんたくかいしゃ》から使者が来て、規定どおり五百円の金をおいてゆくのだった。
 入院費や手術費とは別に、多額の金が、その信託会社から支払われたそうである。だから黒木博士も病院も、彼の面倒を十二分にみることができたのである。
 黄風荘の彼の借りている部屋は、三間もある広々とした上等のところだった。
 見覚えのある彼の持ち物や調度が、室内に
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