す。それにちがいありません」
博士はひどくせきこんで、なるべく早く宮川を納得《なっとく》させようとしている。
このとき宮川はいった。
「博士。私はちかごろになって気がついたんですが、いろいろな記憶を失っているんです。どうも気持がわるくてなりません。博士、どうぞ教えてください。あの黄風荘《こうふうそう》というアパートにいた前、私はどこに住んでいたのでしょうか。どうか、その前住居《ぜんじゅうきょ》を教えてください」
博士は、首を大きく左右にふって、
「ねえ宮川さん。あんたはつまらんことを気にしていけないですよ。脳の手術はもうすんだが、まだ養生期《ようじょうき》だということを忘れてはいけないです。もうすこし落付くと、きっと記憶は元のように戻ってきます。それまでは、辛かろうが、一つしんぼうするのですな」
矢部の愛人
宮川の生活は、それ以来さらに退屈を加えたようであった。
或る日、例の青年矢部が金をもらいにやってきたとき、彼はいつになく、手をとらんばかりにして矢部を室内に招《しょう》じ入《い》れた。
「よく来たね。矢部君。きょうは君に八十円ばかり用達《ようたし》をしてもい
前へ
次へ
全31ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング