えた。
 この訊問《じんもん》が終ったあとで、係官の間に、こんな会話が行われるのを聞いた。
「ふみ子の首の万創膏《ばんそうこう》をとって見たが、穴が相当深くあいていた。沃度丁幾《ヨジウム・チンキ》をつけてあるが、おできのあとともすこしちがうような気がするんだが、大学の鑑定事項の中へ、穴ぼこが意味する病名を指摘するように書き加えて置いて呉れ給え」
「不思議ですな、前の春江の場合にも、やっぱり首のところに万創膏が小さく貼ってあったじゃありませんか?」
「なに、それは本当か。――ウーンすると、ことによると犯行に関係ある穴ぼこかも知れない。だがそうなるとあの万創膏は犯人が貼付《ちょうふ》したことになるわけだ。さあ、失敗《しま》った。あの万創膏を捨ててしまった。あれを顕微鏡にかければ、たとえ犯人が手袋をはめてあれを貼りつけたものとしても、ゴムがペタペタしているために、手袋の繊維をすくなくとも数十本は喰《く》わえこんでいる筈だ、それから手懸《てがか》りが出るかも知れなかったのだ。莫迦《ばか》なことをしてしまった」係長のなげきは、なかなか一と通りではないようにみえた。
 もう一つの面白い事実は、ふみ子の死んだという日のお午下《ひるさが》りに、岡安巳太郎が、ヒョックリとカフェの扉《ドア》をおして入ってきたことだ。警視庁では、相続いて起った殺人事件に証拠材料があまりに貧弱で、考えようによっては、犯人の容易ならぬ周到《しゅうとう》ぶりが浮んでみえるようなので、なにか手懸りを得るまでは、このカフェ・ネオンに営業を休んではならぬと言い渡してあった。そしてふみ子の死体は、別荘の方で葬儀《そうぎ》万端《ばんたん》を扱うこととし、カフェ・ネオンはいつものように昼間から、桃色の薄暗い電灯が点《とも》っていたのである。なにも知らぬ岡安は、はりこんでいる刑事の間を、すれすれにくぐりぬけてきたことも知らずに、いつもの定席《じょうせき》に腰を下した。すると奥から鈴江があたふたと出て来るなり岡安の前へペタンと坐って、「オーさん、大変よ。きいても大きな声をだしちゃいやあよ。今暁方《けさがた》、また、ふうちゃんが殺されちゃったの。ええ、三階でね、もうせんのと同じ手で……。だもんで、うち[#「うち」に傍点]の外も(と、あたりに気をくばりながら特に声をひそめて)中にも刑事が張りこんでいるわ、あんた、変な声なんか出さないでちょうだいね」とやさしく睨《にら》んだ。一体、鈴江という女は、春ちゃんの死後そのいいひと[#「いいひと」に傍点]だった岡安と馬鹿に仲よくなったようだ。この女は、半玉《はんぎょく》みたいな外観を呈しているかと思うと、年増女の言うような口をきくことがあった。恐らく顔や身体の割には、ずいぶん年齢《とし》をとっているのじゃないかと思われた。今のところ、岡安も春ちゃんのことは、夢のように忘れちまったらしく、鈴江と肝胆相照《かんたんあいてら》している様子は、側《はた》から見ていて此のような社会の出来ごととしても余り気持のよいことじゃなかったのである。
「すうちゃん。けさ、ふうちゃんが殺された時間は、いつ頃だったの」
「さあ、よくはわからないけど、二時と三時との間だという話よ。どうしてサ」
「じゃ二時二十分――たしかに、あれだ」と岡安は急に眼を大きく見開いたまま、ふるえる細い手を額《ひたい》の上へ持って行った。「すうちゃん、このカフェは呪《のろ》われているんだよ、君も早くほかへ棲《すみ》かえをするといい。僕は見たんだ。たしかに此の眼で見たんだ、しかも時刻は正《まさ》に二時二十分――丁度《ちょうど》ふみちゃんが殺された時間だ」
「オーさん。あんた知ってんの、言ってごらんなさい。言ってよ、なにもかも、さ早く」
「いや、怖ろしいことだ。君、このカフェ・ネオンの三階に懸《か》かっている電気看板は、ただの電気看板じゃないんだぜ。あいつは生きてる! 本当だ、生きてる。あの電気看板には人間の魂がのりうつっているのに違いないんだ。きっと、あいつ[#「あいつ」に傍点]だ」
「なにを寝言《ねごと》みたいなことを言ってんのよ。早くおきかせなさいな、けさがた、あんたの見たということを……もしかしたら、オーさんは、けさがた此処《ここ》の家へ……」
「あの電気看板は、早く壊《こわ》してしまうがいいぞ。おい、すうちゃん、あの電気看板はいつも桃色の線でカフェ・ネオンという文字を画《えが》いている。あれは普通の仁丹《じんたん》広告塔のように、点《つ》いたり消えたり出来ない式のネオン・サインなのだ。そしてあの電気看板は毎晩、あのようにして点けっぱなしになっている。僕んち[#「んち」に傍点]はここから十三丁も離れているが、高台《たかだい》に在るせいか、家の屋上からあのネオン・サインがよく見える。それは朱色《しゅ
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