し二人の現状不在証拠法《げんじょうふざいしょうこほう》はすこし根拠が薄弱である。というのが、圭さんの方は当時、鰥夫暮《やもめぐら》しで、二人のよく睡る子供と一緒に睡っていたというし、吉公の方は一時就寝、十時起床で、その間、寝ていたには相違《そうい》ないが、それを証明するに途《みち》のない独《ひと》り者《もの》だった。女たちも調べられたが、皆々昼間の疲れで熟睡したと申立てるばかりで、春ちゃんが殺された前後についての陳述《ちんじゅつ》に、これぞと思う有力な事実が判明しなかった。ただふみ子という皆の中では一番年の多い女給が申立てたところによると、店がひけてから三丁ほど先に在るカフェ・ネオンの別荘(というと体裁《ていさい》がいいが、その実、このカフェの持主の喜多村次郎《きたむらじろう》の邸宅《ていたく》にして同時に五人ばかりの女給が宿泊するように出来ている家で、実は彼女等の特殊な取引が行われるために存在する家だともいう)へ着物のことで行き、その用事がすんでカフェへ帰って寝たのが一時半だった。そのときに春江はじめ四人の女給はもう寝ていたが春江の寝すがたが莫迦《ばか》に細っそりしているので不思議に思い、側《そば》によってよく改めて見ると、春江の身体は無く寝衣《ねまき》や枕が身体の代りに入っていたと述べた。これは警視庁にとって唯一の参考材料となった。春江はどこかへ行って一時半には寝床にいなかった。春江はその時刻、どこでなにをしていたろう。
 春江の客や情人《じょうじん》の探索が、虱《しらみ》つぶしに調べられて行った。岡安巳太郎や、岩田の京ぼん[#「ぼん」に傍点]も、調べられた一人だった。これも自宅に於て睡眠中だったそうで、格別材料になるようなものが発見せられなかった。事件は文字どおりに、迷宮《めいきゅう》へ陥《おちい》って行ったのである。
 春江の初《しょ》七|日《か》が来た。その夜、カフェ・ネオンの三階に於て、またまた惨劇が演ぜられた。不幸な籤《くじ》を引きあてたのはふみ子という例の年増《としま》女給だった。殺害状況は、前の春ちゃんの惨殺《ざんさつ》の時のと、まるで写真にとったように同じ状況を再演した。強《し》いて相違の個所を挙げるならば、こんなことになる。
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一 同室に就寝していた女給は、前回と同じ顔触れの鈴江、お千代、とし子の三人と外《ほか》に清子、かおるの二人の新顔《しんがお》が加わっていた。
二 被害者ふみ子の身体には暴行の跡が発見されなかった。
三 被害者ふみ子は、春江の場合の如く右手で右の乳房を握ってはいず、右手は正しく伸ばされていた。
四 被害者ふみ子の寝床は、春江の場合に於けるが如く、表向きの窓際にはなく、それと九十度だけ右廻りに廻った壁ぎわに寝ていた。
(因《ちなみ》に、春江の位置に寝ていたのは、鈴江であった)
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 この外の点は、皆おなじ事で、不思譲なことに、殺害の時間も、短刀の大きさも、致命傷の位置も同じで、ただ創痕《きずあと》の深さが、すこし深いように報告されていた。
 第二の惨劇の日につづく一両日の間に、僕の耳に入った特殊事項について二三のことを述べて置こう。
 なに、君はこの事件に、どんな役目をしていたのだか言えというのかい。それは判りきっているじゃないか。どうせ終りまで聞けば、判るにきまっていることなのさ。僕が誰だって、この物語の進行には一向|差支《さしつか》えないわけじゃないか。
 鈴江が、捜査係長に訊《たず》ねられた一事《いちじ》がある。それは第二の犠牲者たるふみ子の肩のところに貼ってある万創膏《ばんそうこう》について生前《せいぜん》ふみ子が、おできが出来たとか、傷が出来たとか言っていなかったかという質問である。鈴江は知らないと答えた。同じ質問が次にお千代に発せられた。お千代は細い引き眉毛《まゆげ》をしかめながら何か思い出そうとしているようだったが「ふうちゃんの首のところには、おできも傷もなかったようですわ、あの日のおひるっころ、ふうちゃんと蛇骨湯《じゃこつゆ》へ一緒に入ったんですがそのときお互様《たがいさま》に、洗《なが》しっくらをしたんですのよ。わたしはふうちゃんの首のところに小さい黒子《ほくろ》があるのを見付けたものですから、ちょいとおイタをしてやれと思ってふうちゃんの頸《くび》んとこをギュウギュウこすってやったんです。ふうちゃんは、あんたいたいわよ、血が出るじゃないのといいましたから、でもこの小《ちい》ちゃい黒子が、どうしてもとれやしないのよと言って笑ったんですの、そのときによく注意していたと思いますが、別に傷もおできも見えなかった、ような気がしますけれど……」と陳述《ちんじゅつ》した。清子、かおる、とし子の三人も知らないと、順々に答
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