だ。ただ行くときと、帰るときに、目隠しをされるというだけのことさ。手間賃《てまちん》は一日七円だ。普通の倍だぜ」
「だって、いくら吉治さんが怪我でゆけないとしても、全然新顔の私が行ったんじゃ、先方で入れないでしょう」
「うん、そのことだが――」と五郎造は幾分苦しそうに眼玉を白黒させていたが、
「なあに、生命《いのち》を助けてくれたお前さんのことだあね、先方が信用するように、わしの親類とかなんとかいっとくよ。何しろ職人の数が揃わないことには、前もってちゃんと決っている工事がそのように進まないことになるから、わしはうんと叱られた上、大変な罰金をとられることになっているんだ。だからお前さんがいってくれりゃ、吉治の分も、わしの分も、二重の生命の恩人となるわけだよ。ね、いいだろう。一つうんと承知をしてくれよ」
正木正太と名乗る半纏着の男は、ようやくのことで五郎造の薦《すす》めを応諾《おうだく》した。そしてシンプソン病院を辞去《じきょ》したのであるが、彼は寒夜《かんや》の星を仰《あお》ぎながら、誰にいうともなく、次のようなことを呟《つぶや》いたのだった。
「どうも古くさい狂言《きょうげん》だ。だが、古いものは古いほど安心して使える、といわれるが、なるほど尤《もっと》もな話だなあ」
忠魂塔
その当時、極東には国際問題をめぐって、ただならぬ暗雲が立ちこめていた。
中国大陸には、大きな戦争が続いていたし、その戦争に捲《ま》きこまれていないいくつかの大国も、てんでに武装戦備を整えて、いつでも戦雲渦巻くその中心へ向って進撃できるように、すっかり準備は出来上っていた。
従ってわが東京における諸外国大使の動きも非常に活溌であって、或る物識《ものし》りの故老の言葉を借りると、欧洲大戦当時、ロンドンにおける外交戦の多彩活況も、これには遠くおよばないそうである。
中でも、国民の注目を一番強く集めていたのは、老獪《ろうかい》なる外交ぶりをもって聞える某大国であった。
日中戦争が始まって間もなく、既にもうこの某大国の動向が、国民の注目を惹《ひ》いたものであるが、その当時はどっちかというと、中国の方に相当積極的な同情を示していた。ところがその後、わが日本軍が各地に輝かしい戦績をおさめ、極東のことに関しては日本の同意なしには何一つやれないような事態となったと知るや、某大国はいちはやく態度を豹変《ひょうへん》し、内面はともかくも表面的には中国に対する同情をひっこめ、そしてひたすら日本の御機嫌をとりむすぶように変った。それはまるで小皺《こじわ》のよった年増女のサーヴィスのように、気味のわるいものだった。
その年の秋が冬に変ろうという十一月の候、例の某大国は日本国民の前にびっくりするような大きな贈物をするというニュースを披露《ひろう》した。それはかつて欧洲大戦の砌《みぎり》、遥々《はるばる》欧洲の戦場に参戦して不幸にも陣歿したわが義勇兵たちのため建立《こんりゅう》してあった忠魂塔と、同じ形同じ大きさの記念塔をもう一つ作って、わが国に贈ろうという企《くわだ》てであった。
正直なところ、わが国民は某大国のこの好意に面喰《めんくら》った。何につけ彼《か》につけ日本の邪魔ばかりをしている憎い奴だと思っていた某大国から、この由緒《ゆいしょ》ある途方もない大きな贈物をおくられて、愕《おどろ》かぬ者があろうか。
その忠魂塔は東京市に建てられることになった。そのために市の吏員は、敷地を公園にもとめて探しまわった結果、S公園内に建てるということに決った。そして大急ぎでもって御影石《みかげいし》の台石《だいいし》を作ることになった。
東京市内では、この忠魂塔のことでよるとさわると話の花が咲くのであった。
「あれで見ると、某大国もやっぱり日本に敬意をもっていないわけじゃないんだね」
「うん、僕も平生《へいぜい》すこし悪口をいいすぎたよ。あの記念塔は写真で見たが、高さが五十メートルもあるというから、とてもでっかいものだよ。塔下の一番太いところの直径が二メートル近くもあるそうだからね」
「ほほう、そうか。たいへんな物だね。そんな大きなものをどんな風にして日本まで持ってくるつもりだろうか」
「さあ。もちろん塔の途中からいくつかに小さく折って持ってきて、こっちで、接《つ》ぎあわすんだろうよ。そのままじゃ、とても船にも載《の》せられないし、陸へあげても列車にも積めないし、町を引張《ひっぱ》りまわすことも出来やしないからね」
そんな話が、あっちでもこっちでも取り交《かわ》されているうちに、更に国民を愕かせるニュースが入ってきた。
それは例の忠魂記念塔を、某大国の一等巡洋艦がわざわざ積んで、日本まで廻航してくるという報道であった。
「本国政府は、この機に際し、親愛なる日
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