無くてはならぬ発火器の鍵を、服の或る部分にしまいこんだりして万端《ばんたん》の手配を終ってしまったのであった。
さあ、もうこれでいい。なにが来ても、おどろくことはない。
パイ軍曹はピート一等兵の肩車にのって戦車の蓋《ふた》を中から、しきりにとんとんと叩いて、外部と連絡をとっていたが、やがて、
「うわーッ、こいつは、たいへんだ」
と叫んで、おどりあがった。
「あっ、軍曹どの。そんなに、あばれちゃあぶない」
といううちに、二人は折り重なって、床のうえに、ひっくりかえった。
「おお、痛い。ピート一等兵。早く、扉をあけろ。外には、我が軍が、待っているそうだ。早くしろ」
「わが軍が……。ああ痛い。腰骨が、折れてしまったようです。軍曹どの。あなたにおねがいします。自分には、出来ません」
「わしに出来るなら、きさまに頼みやせん」
パイ軍曹は、渋面をつくっている。
「じゃあ、僕があけよう」
沖島は、そういって、天蓋《てんがい》のハンドルに手をかけて、力一杯ぐるぐるとまわした。
すると、さっと、白い光が、外からさしこんできた。それとともに、新しい空気が流れこんだ。サイダーのように、うまい空気であった。
「おお生きていたか」
外から、アメリカ訛《なま》りの英語がきこえた。
武勇伝
地底戦車中から、はいだして、今、三人は、氷上に整列している。
前には、天幕《テント》が、四つ五つ張られてある。あたりは、一面のひろびろとした氷原であった。
「一番から、官姓名を名のれ」
三人の前には、一団の防寒服を身にまとった軍人が、立ち並んで、三人をじっと睨《にら》んでいる。その中の一人が、このように号令をかけた。
「陸軍戦車軍曹ジョン・パイ」
「陸軍戦車一等兵アール・ピート」
「……」
一同の視線が、三人目の沖島のうえに、集中された。
「おい、なぜ、黙っとる。早く官姓名を名のらんか」
「……」
「おい、お前は聞えないのか」
「こいつは」
と、パイ軍曹が、いおうとするのを、沖島は、皆までいわせず、
「地底戦車長、黄いろい幽霊」
「なに、もう一度、いってみろ」
「この地底戦車長の黄いろい幽霊だ」
「黄いろい幽霊! ふざけるな」
すると、パイ軍曹が、さっと前へ出て来て、沖島をするどく指し、
「こいつは、中国人――いや、日本人の密偵にちがいありません。この戦車の中に、しのびこんでいたので、自分が捕虜《ほりょ》となしたものであります」
「え、日本人? そいつは、たいへんだ。それ、取りおさえろ」
「別に、逃げかくれはせん。逃げたって、この氷原を、どこへ逃げられるだろうか。アメリカ兵は、思いの外あわて者が多い」
「なに! かまわん、しばれ」
「いや、待て!」
前に進んだ一団の中で、どうやら一番えらそうに見える人物が、こえをかけた。
「は」
「その、黄いろい幽霊がいうとおり、こんなところで、逃げだしても、食糧がないから、生命がないことが分っている。だから、ことさら取りおさえる必要はない」
「しかし、閣下……」
「なに、かまわん。余《よ》に、思うところがある。そのままにしておけ」
その人物は、悠々としていた。
パイ軍曹は、けげんな顔だ。
彼は、そっと、号令をかけた将校のところへ近づいて、たずねた。
「みなさんがたは、南極派遣軍だということは、さっき戦車の天蓋を叩いて信号したときに、承知しましたが、あそこにいられるえらい方は、一体だれですか」
「あの方か。あの方を知らんか。リント少将閣下だ」
「えっ、リント少将閣下」
「そうさ、南極派遣軍の司令官だ」
「ええっ、すると、ここはリント少将のいられる基地だったんですね」
「ふん、そんなことが、今になって分ったか」
パイ軍曹は、叱られている。
リント少将は、沖島速夫の前へ歩みより、
「黄いろい幽霊君。パイ軍曹のいうことに間違いはないか」
と、しずかなことばで、たずねた。しかし少将の眼は、鷹《たか》の眼のように、光っていた。
「閣下。すこし話がちがうようです。正直者のピート一等兵に、おたずね下さい」
と、沖島は、ピートを指《ゆびさ》した。
「それでは、ピート一等兵。どうじゃ」
ピート一等兵は、さっきパイ軍曹が喋《しゃべ》っているときから、しきりに拳《こぶし》をかためたり口をもぐもぐさせて、いらだっていたが、
「はい、リント大将閣下」
と、リント少将を大将にしてしまい、
「正直なところを申上げますと、すみませんが、パイ軍曹どののいうことは、すべて嘘《うそ》っ八《ぱち》でありまして、ソノ……」
「嘘か。それで、どうした」
「ソノ、つまりこの地底戦車が、遭難船の船底をぬけおちまして、海底ふかく沈没しましたときから、自分は敢然、先頭に立って、この戦車を操縦しつづけたのであります。ぜひともこの大困難を克服しまして、この貴重なる地底戦車を閣下のおられるところまで、持ってこなければならんと大決心しまして、パイ軍曹どのと、この幽霊どのをはげましながら、ついにかくのとおり閣下のまえまで乗りつけることに成功しましたわけで、その勇敢なる行動については吾《わ》れながら……」
と、ピート一等兵は、はなはだ正直でないことをべらべら喋りだして、止めようもない。
投獄《とうごく》
リント少将は、さすがに、南極へ派遣されるほどの名将だけあって、早くも、わけを察した。
少将は、幕僚の参謀たちをふりかえり、
「どうだ、事情は、のみこめたろう。要するに、パイ軍曹とピート一等兵とは、この地底戦車の中にとじこめられ、蒼《あお》くなっていた。そのとき、戦車の中にかくれて、密航していたこの黄いろい幽霊と名のる男が、二人をはげまして、ともかくも、地底戦車を、ここまで、のりあげてきたのだ。そうではないか」
参謀たちも、このリント少将のことばに、うなずいた。
少将は、なおも、ことばをついで、
「地底戦車は、一台のこらず、海底にしずんでしまったことと思っていたが、こうして一台でも助かったのは、わがアメリカ陸軍のため、よろこばしいことだ。われわれは、この一台を、できるだけうまく使って南極におけるわれわれの仕事を、やりとげなければならない」
参謀たちは、また大きくうなずいた。
「ところで、この黄いろい幽霊の始末だがどうしたものであろう」
参謀たちは、顔を見合せたが、
「軍司令官閣下。こいつは、地底戦車の秘密を知った奴ですから、今すぐに、銃殺してしまうべきであります」
「自分も、同じことを考えます。こいつは日本のスパイに、ちがいありませんから、殺してしまうのが、よろしい。このまま、生かしておくと、またどんなことをするかもしれません。日本人という奴は、大胆なことをやるですからなあ」
みんな、沖島を早く銃殺せよというのだ。
少将は、そこで顔を、沖島の方へむけなおして、大胆不敵な彼の面を、しばらくじっとみつめていたが、
「おい、黄いろい幽霊。本官が、日本の将校なら、君の勇敢な行動を大いにほめてやるところだが、余はアメリカの軍司令官だから、そうはいかんぞ。只今から、君は、監房につながれることになった。もうあきらめて、おとなしくしているように」
沖島速夫に、ついに、きびしい刑罰が、きまったのであった。しかし彼は、べつに顔色をかえるでもなし、にこにこして、リント少将のことばを、きいていた。
それから沖島は衛兵にまもられて、監房につれていかれた。
監房は、氷の中にあった。つまり、氷を下へ掘って、氷の地下室が出来ている。そこに、氷の監房がつくられてあった。
監房の扉は、木でこしらえてあった。のぞき窓も、やはり木で、くみたててあった。氷と木材との合作《がっさく》になる監房であった。
沖島速夫は、このふしぎな監房の中に、押しこめられたのであった。
なかは、いたって、せまい、やっと、二メートル平方ぐらいであった。
空気ぬき兼《けん》明《あか》りとりの天窓が、天井に空いていた。
この監房は、ふしぎに寒くない。氷の中にとじこめられているのだから、冷蔵庫の中に入っているようなもので、さぞ寒かろうと思ったのに、かえって温い感じがしたのである。
沖島は、缶詰をいれてきたらしい箱のうえに、腰をおろした。彼はべつに悲しんでいる様子もなかった。
「さあ、ここですこしねむるかな」
彼は、腰をかけたままいねむりをはじめた。どこまで大胆な男であろう。
しばらくねむった。そのうちに、彼をよぶものがあった。
「おい、黄いろい幽霊!」
はて――と、眼をさますと、窓のところに二つの顔が、沖島の方をのぞいていた。
一つは、衛兵の顔、もう一つの顔は、ピート一等兵の大きな顔であった。
「おい、コーヒーをもってきてやったよ」
ピートがいった。
友情
コーヒーをもってきてやった――と、ピート一等兵はいった。そして窓のところから、うまそうな湯気《ゆげ》のたつコーヒーの器《うつわ》が見えた。
沖島は、腰かけから立って、窓のところへいった。
「コーヒーを、もってきてくれたのか。どうも、すまんなあ」
「すまんことはないよ。わしは、ここだけの話だが、お前に、感謝しているよ……」
「おい、ピート一等兵。ことばをつつしめ」
と、衛兵が、よこで、こわい顔をした。
「だまっていろ、お前には、わからないことだ」
とピートは、衛兵につっかかった。
「そのわけは、お前がいなければわしは、地底戦車の中で、腹ぺこの揚句《あげく》、ひぼしになって死んでしまったことだろう。お前のおかげで、こうして、氷の上にも出られるし今も、たらふくビフテキを御馳走《ごちそう》になったりして、まるで夢をみているような気がするのだ、これは、一杯のコーヒーだけれど、やっとごま化して、持ってきたのだよ。さあ、のんでくれ」
「や、ありがとう」
「ピート一等兵、待て。衛兵たるおれが、承知できないぞ。そういうことは、禁じられている」
衛兵が、苦情をいった。軍規上、それにちがいないのである。
「お前にゃ、わからんといっているのだ。お前、気をきかせて、ちょっと、向うをむいていろ。コーヒーをのむ間、その辺を散歩してこい」
そのへんを散歩してこいといっても、せまい氷の廊下が、ほんのちょっぴりついているだけである。散歩なんかできない。
「おい、衛兵。わしの腕の太いところをよく見てくれ」
ピート一等兵は、肘《ひじ》をはり、衛兵にのしかかるように、もたれかかった。
「ピート、分っているよ。いいから、おれが向うをむいている間に、早いところ、囚人にコーヒーをのませろ」
そういって、衛兵は、向うをむいた。
「ほう、やっと、気をきかせやがった。はじめから、そうすれば、世話はなかったんだ。ほら、黄いろい幽霊、コーヒーだぞ」
コーヒーのコップは、ようやく、窓の間から沖島の手にわたされた。
「やあ、どうも、すまん」
「わしとお前との仲だ。そう、いちいち礼をいうには、あたらない。さあ、これだ。これをとれ」
コーヒーだけかと思っていたら、ピート一等兵は、毛皮の外套《がいとう》の下から、ビフテキを紙につつんだやつを、すばやく沖島に手渡した。
「すまん」
「こら、なにもいうな。――ほら!」
「えっ」
酒の壜《びん》が一本。
沖島の眼が、涙にうるんだ。ピート一等兵のこのおもいがけない友情が、たいへんうれしかった。
酒壜を、うけとろうとしているとき、そこへとびこんできたのはパイ軍曹であった。
「おい、なにをしとるかッ!」
軍曹は、大喝一声、窓のところへ、手をつっこんで、酒壜をおさえた。
沖島と軍曹とが、一本の壜をつかんで、ひっぱりっこである。
「こら、放せ。こんなものを、やっちゃ、いかん。放さんか、うーん」
沖島は、だまっていた。そして壜を、ぐいぐい手もとにひっぱった。
「あっ、うーん」
パイ軍曹は、汗をかいている。沖島は、平気な顔で、その壜を、もぎとった。大力無双の沖島であった。
「いや、どうもありがとう」
復仇《ふっきゅう》
そこへ、衛兵がかけつけてきたから、ま
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