みえなかったから、よかったものの、もし海底に、だれかすんでいる者があって、いま地底戦車が、断崖《だんがい》から、まっさかさまになって、墜落したそのものすごい光景をみていたとしたら、その人は、きっときもをつぶしたにちがいない。地底戦車は、石塊《せっかい》のように、ころげおちたのであった。あの高い断崖から下へおちて、戦車がこわれなかったことが、じつにふしぎというほかない。
 それもそのはず、ドイツとともに、世界に一、二を争う工業国アメリカが、そのすぐれた技術でつくりあげた極秘の地底戦車であった。その丈夫なことといったら、おそろしいほどだ。
 それはいいが、地底戦車の中の三人は、一体、どうなったであろうか。
 戦車の中は、電灯が消えて、それこそ、真の闇であった。
 なんの音も、きこえない。
 三人とも、あたまを、どこかかたいかべか、器械にぶっつけ、脳みそを出して、死んでしまったのであろうか。
 いや、そうでもなかった。三人の心臓は、いずれもかすかではあるが、それぞれうごいていたのである。が、三人とも、死骸のようになって、うごかない。自分がいま、どこにいるか、それさえ分らない。三人とも、気がとおくなってしまったのだ。
 だが、これっきり、三人とも、死んでしまうではなさそうだ。今に、一人一人、われにかえって、起きあがるだろう。しかし、それから先、どうして生きられるか、そいつは分らない。
 だれが、先に、気がつくか。――これは、たいへん重要な問題だった。
 もし、黄いろい幽霊が先に息をふきかえして気がつけば――幽霊が、息をふきかえすというのも、へんであるが――すべて、戦車が墜落する前のとおりであろう。すなわち彼は、とにかくパイ軍曹とピート一等兵をたすけおこして、それから後は、また機関銃をひねくりまわして、彼の好む方角へ前進するであろう。
 だが、これと反対に、パイ軍曹が、先に気がつけば、彼は、ピート一等兵を靴の先でけとばして、眼をさまさせ、そして二人で力をあわせて、黄いろい幽霊をしばりあげ、ひどいしっぺいがえしをするだろう。幽霊をはだかにして、天井から吊《つ》り下げることぐらいは、命令しそうなパイ軍曹だった。これは、さっきまで勝者であった黄いろい幽霊にとって、まことに気の毒な場合であった。
 もう一つの場合が、残っている。それは、ピート一等兵が、まっ先にわれにかえる場合である。大きなからだとは反対に、たいへん気のよわい彼は、一体どうするであろうか。この場合ばかりは、全く見当がつかない。
 幸か不幸か、事実は、最後にのべた場合をとったのである。ピート一等兵が、うーんと呻《うな》って手足をのばし、われにかえったのであった。さあ、どんなことになるやら?


   脳みそだ!


 ピート一等兵は、しばらく、ひきつづき、呻った。
「うーん。ああッ」
 それから、またしばらくして、
「ううーん、ああッ」
 こんな風に、五、六回やっているうちに、彼の鼻が、小犬のそれのように、くんくんと鳴りだした。
「ああッ、ああッ、あーあ。はて、おれは、さっきまで、一体なにしていたのかなあ。おや、これは妙だ。へんな匂《にお》いがする」
 ピート一等兵は、鼻をくんくん鳴らしつづけた、鼻から先に、われにかえったピート一等兵だった。
「やっぱり、そうだ。このうまそうな匂いは、林檎《りんご》の匂いだ。おれは、林檎畑に迷いこんだのかなあ。くんくんくん」
 しばらくすると、彼は、ふと気がついて、両眼をひらいた。が、まっくらであった。
「おや、まっくらだ。はて、おれは、こんなにまっくらな林檎畑があることを、きいたことがないぞ」
 そのうちに、彼は、しくしく泣きだした。
「うん、わかったわかった。ここは、冥途《めいど》なんだ。死後の世界なんだ。だから、こんなに、まっくらなんだ。かねて冥途は、くらいところだときいたが、林檎畑まで、まっくらだとは、おどろいたもんだ。しかし、はてな、おれはなぜ、死んでしまったのかな」
 彼は、うでぐみをして、考えだした――つもりであった。それはそんな気がしたばかりで、ほんとは、うでぐみもなんにもしないで、やはり死人同様、長くなってのびていたのだ。
「そうだ、おもいだしたぞ。地底戦車が、ぐらっと横にかたむいたんだ。それで、おれはおどろいて、ハンドルに、しがみついたはずだ。すると、とたんにからだがすーっとぬけだして、いやというほど、ごつんと、あたまをぶっつけてしまった。それっきり、気をうしなってしまったのだ。致命傷は、あたまだったはず……」
 そのとき、ピート一等兵の手は、ようやくうごきだすようになった。彼は、右手をのばしておそるおそる、じぶんのあたまにもっていった。
 ぐしゃり!
 ぐしゃりとしたものが、指の先にふれた。
「あっ、いけねえ。脳みそに、さわっちゃった。おれのあたまは、頭蓋骨《ずがいこつ》がこわれて、ぐしゃぐしゃになっているぞ。あ、あさましや……」
 ピート一等兵は、いきなり赤ん坊のようにわあわあ泣きだした。泣きながら、彼は、脳みそで、べとべとになったじぶんの手を、鼻さきにもっていった。とたんに、非常なおどろきにあって、泣きやんだ。
「あら、あやしやな。おれの脳みそは、林檎の匂いがするぞォ!」


   ああ十五個!


「いや、これで、よく分ったよ」
 彼ピート一等兵は、あんがい、おちついたこえで、ひとりごとをいった。
「むかしから、しんるいの奴や友だちがおれをつかまえて、お前は、どうも脳がどうかしていて、あたまが、はたらかない。お前の脳みそは、どうかしているんじゃないかと、よくいわれたもんだが――」
 と、そこで彼は、大きなため息をついて、
「でも、まさか、おれの脳みそが、林檎でできているとは、気がつかなかったね」
 もし、そばで、パイ軍曹が、ピート一等兵のひとりごとをきいていたとしたら、彼は軍曹から、耳ががーんとするほど、叱りとばされたことであろう。いまパイ軍曹は、叱りとばすどころではなく、人事不省《じんじふせい》におちいっていたのは、ピート一等兵のため、はなはだ幸運であった。
「おれは、へそのおを切ってから、こんなにおどろいたことは、はじめてだぞ。しかし、このように脳みそが、はみだしてしまっては、おどろいたって、もうおそい。えい、しようがない。こうなれば、やけくそだ。じぶんの脳みそを、なめちまえ」
 ひどい奴があったものである。ピート一等兵は、指さきについたものを、口のところへもっていって、舌でぺろぺろなめはじめた。
「やあ、こりゃうまい。いやあ、すてきに、うまいぞ。おれの脳みそは、まるで、おしつぶされた林檎みたいだ」
 といったが、林檎の味がするのも道理である。ピート一等兵は、林檎の袋の中に、頭をつっこんでいたのである。彼は、じぶんの脳みそとばかりおもって、じつは、じぶんのあたまの下におしつぶした林檎を、指さきにとって、一生けんめい、うまいうまいと、なめていたのである。そのことは、やがて彼も、気がついた。なぜならば、指をなめたあとで、手をあたまのところへもっていくうちに、まだつぶれない林檎に手がふれた。
「おやッ、こんなところに、おれの脳みその塊《かたまり》が、落っこってらあ」
 脳みその塊ではない。ほんものの林檎であった。彼はもうその区別などは、どうでもよかった。彼は、やたらに、林檎を喰った。つぎからつぎへと、手をのばして、林檎を、丸かじりして、腹の中におさめた。
 合計十五個の林檎を食べおわったときには、さすがの彼も、ほんとのことを悟っていた。これは林檎であって、脳みそではない。なぜなれば、大きな林檎が十五個もはいるような脳なんて、きいたことがないからである。そんな大きな頭の人間だったら、じぶんのあたまには、とても陸軍制式の鉄帽が、すっぽりはいるわけがない。
 わけは、さっぱり分らないが、彼は、たくさんの林檎を食べたことをはっきり知った。そして、元気になった。そこで、ふらふらと立ち上った。二三歩あるいたとき、爪《つま》さきで、なにかかたいものを、けとばした。
「あ、いたッ!」
 とたんに、ぱっと、車内に電灯がついた。スイッチかなんかを、けとばしたものらしい。彼はおどろいて急に明るくなった車内を見まわした。
「あ、あ、あ、あッ!」
 ピート一等兵は、再度のおどろきにぶつかった。おどろくべき車内の光景!
 戦車は、天井と床とが、全くあべこべになっている。
 操縦席が、天井からぶら下っているかとおもえば、電灯が足許《あしもと》についているというさわぎだった。
 それよりも、おどろいたのは、上官パイ軍曹の姿だった。彼は、天井から、塩びきの鮭《さけ》のように、さかさまになってぶら下って気絶している。一方の足が操縦席にはさまり、そのまま、ぶら下っているのだ。お世辞《せじ》にも、勇しい恰好《かっこう》だとはいえない。
 ピート一等兵は、顔をむけかえて、もう一人の人物、黄いろい幽霊の居場所を、さがしもとめた。
 ところが、黄いろい幽霊は、どこへいったものか、見つからない。
「おやおや幽霊め、とうとう妖怪変化《ようかいへんげ》の正体をあらわして、逃げてしまったかな」
 そういって、ピート一等兵が、ひとりごとをいったとき、彼の足許に一本の手がころがっているのを発見した。電灯の反対でさっきは、よくみえなかったのだ。
「うあッ、こんなところに、だれが腕をおとしていったんだろう?」
 といったとき、その腕が、急に、ぐーっと、うごきだした。怪また怪!


   廻《まわ》れ右《みぎ》!


「ひゃッ!」
 ピート一等兵は、その場に、とびあがった。元来、幽霊が大きらいのピート一等兵だったから、おどろくのも、むりではなかった。
 だが、あまりおどろきすぎて、前後の見さかいもなくとびあがったものだから、大男の彼はいやというほど、頭を器械の角でぶっつけて、うーんと眼をまわして、その場にのびてしまった。どこまでも、世話のやけるピート一等兵だった。
 ぐーっとのびた一本の腕が、やがて床――ではなかった、下になった天井をおさえた。その腕のうえに、肩が生《は》え、それから、頭が生えた。黄いろい幽霊の頭であった。
 そこには、黄いろい幽霊が倒れていたのに、そそっかしいピート一等兵は、彼の一本の腕だけ見たのである。
「しまった」
 彼は、そう叫んで、とび起きた。そして、そこに落ちていた機関銃をひろった。すぐさま、彼は銃をかまえて、あたりを見廻した。
「なあんだ、皆、まだ、伸びていたのか」
 パイ軍曹は、塩びきの鮭のように、ぶら下っていたし、ピート一等兵は放りだされた大根《だいこん》のように倒れていた。
 黄いろい幽霊は、しばらく両人をながめていたが、やがて、うなずくと、まず、パイ軍曹を抱き下ろして、活を入れてやった。
「うーん」
 パイ軍曹は、やっと気がついたが、黄いろい幽霊を見ても、もうとびかかってくる元気がなかった。
 黄いろい幽霊は、次に、ピート一等兵を、介抱《かいほう》してやった。ピートは、気がつくと、きょろきょろあたりを見まわしたが、
「あれッ、どうしたのだろう。いつの間にやら、こんども生きかえって、おれが助けられるなんて、さっきのは、あれは夢だったかしらん」
 と、けげんな顔。
「どうだ、パイ軍曹にピート一等兵。もう、いい加減に、こりたであろう。反抗するのもいいが、このうえ反抗すると、こんどは、いよいよ生命《いのち》をもらっちまうぞ。ここで、どっちにするか、はっきり返事をしろ」
 黄いろい幽霊は、おごそかなこえでいった。
 パイ軍曹とピート一等兵とは、顔を見合せた。そして、おたがいに、うなずきあった。
(どうだ、こううるさくては、かなわんから、降参してしまおうじゃないか。せめて、われわれが地上に出られるまで……)
(へい、大賛成です!)
 二人は、そんな風に、早いところ、眼と眼とで、相談をしてしまった。
「ええ、黄いろい幽霊どのに申上げます。以後両人は、貴殿《きでん》を、絶対に上官だと思い、服従いたします。その代り、貴殿のお力をもちまして、どうか
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