、するがままに、まかせた。
黄いろい幽霊は、二人のうしろへまわって、ポケットの中をさぐった。お金をとられるか、時計でも持っていくのかと思ったのに、黄いろい幽霊は、そんなものはとらないで、二人のポケットから、大型のナイフをぬきだした。それから、パイ軍曹が腰におびていたピストルも、うばってしまった。
「さあ、もう、ようござんすよ。手をおろしてください。からだをうごかしても、かまいません」
黄いろい幽霊は、満足そうにいった。
パイ軍曹は、面をふくらませながら、
「君は一体、何者だ。幽霊じゃないだろう」
と、かすれたこえでいった。
「幽霊という名は、あなたがたが、僕につけてくだすったんですよ。あなたがたは、僕が床にころがした林檎を拾って、たべてしまったじゃありませんか」
「ああ、あの林檎は、君の林檎だったのか。なぜ、林檎をもって、こんなところへ入っていたのか」
「それは、あなたがたが、どうでも勝手に考えてください」
と、黄いろい幽霊は答えない。
「じゃあ、もう用がすんだのだろうから、君は、戦車から出ていってくれ」
「あははは。パイ軍曹あなたは、もうこの戦車の中では、命令権がないのですよ。これからは、僕が命令しますからねえ」
黄いろい幽霊は、からからと笑うのだった。
幽霊指揮官
「こっちを向きたまえ」
と、黄いろい幽霊は、おちつきはらった声で命令した。
パイ軍曹とピート一等兵は、おずおずと廻れ右をして、黄いろい幽霊の方に向いた。
(あっ、こいつは、まさしく東洋人だ。中国人じゃないかなあ。いや、エスキモー人かも知れない。いやいや、こんな大胆なことをやるのは、日本人より外にない)
これは、パイ軍曹の腹の中であった。
ピート一等兵の方は、そんなおちついたことを考えるひまがない。
(はあて、この幽霊め、おれたちと、あまりかわらない服装をしているぞ。防寒服を着た幽霊は、はじめてみたよ)
と、ピート一等兵はがたがたふるえている。
「さあ、これからは、私――黄いろい幽霊が、この地底戦車の指揮をとる。それについて不服な者があるなら、一歩前へ出なさい」
誰も出ない。そうであろう。黄いろい幽霊は、そういいながら、わきの下にかかえている機関銃の銃口を、二人の方へ、かわるがわる向けているのだ。不服があるといったら、すぐにも発砲しそうである。誰が一歩前に出るものか、それは自殺するようなものだから……。
「よし、わかった」
と、黄いろい幽霊は、おごそかに、いった。
「お前たち二人とも、わしが指揮をとることに不服はないのだな。それでは、ただちに命令する。二人とも、操縦席につけ!」
「うへッ」
パイ軍曹とピート一等兵とは、仕方なしに操縦席についた。
「前進せよ。針路は南東だ」
パイ軍曹は、いわれたとおり、戦車を南東へ向けて、出発させた。
エンジンは、ごうごうと音を発し戦車の中には、つよい反響が起った。
「おい、パイ軍曹。針路を、ちゃんと正しくなおせ。お前は、命令をきかないつもりか。きかないつもりなら、ここでお弁当代りに銃弾を五、六発、君の背中にお見舞い申そうか」
「いや、いや、いや、いや」
パイ軍曹は、急にハンドルを切って、黄いろい幽霊のいうとおり、地底戦車の針路を南東に向きをかえた。
「黄いろい幽霊閣下、只今我々は、ちゃんと南東に向け、前進中であります。でありますからして、銃弾をわしの背中にくらわせることは、御無用にねがいたいもので……」
と、うしろを向いて、おろおろごえで哀訴《あいそ》した。
「うしろを向いてはならん。それでは前進方向が、くるってくるではないか」
と、黄いろい幽霊は、パイ軍曹を、しかりとばした。
そのそばでは、ピート一等兵が、予備のハンドルを握って、ぶるぶるふるえている。
(おれは、ああいう風《ふう》に、ぽんぽん叱りつける幽霊の話を、きいたことがないぞ。南極地方には、かわった幽霊が出ると、豆本《まめほん》かなんかに、書いておいてくれればよかったのに……)
と、ピートは、どこまでも、彼を幽霊だと思っている様子だった。
一体、この黄いろい幽霊は、どこから来たのだろうか。もちろん、本当の幽霊ではない。
その謎は、この黄いろい幽霊が、戦車の隅に大きな袋の中に一ぱいつめた食料品をかくしていることによって、とかれるようだ。あの生々しい林檎は、この黄いろい幽霊が、わざと、床のうえにころがしたものであった。――彼は、密航者だった。
だが、なんと風がわりな密航者よ。わざわざ、南極地方へいく地底戦車の中にしのび入るなんて、ただ者ではない。彼は、一体なにをするつもりか。それはおいおいとわかってくるであろう。
秘密は御存知《ごぞんじ》
「おい、パイ軍曹。もっと地底戦車のスピードをあげろ」
黄いろい幽霊は、おごそかに命令をした。
「は。もうこれ以上、出ませんです」
「うそをつけ」
と、黄いろい幽霊は、言下に、パイ軍曹をしかりつけた。
「おい、スピードのことは、ちゃんとわかっているのだぞ。極秘《ごくひ》の陸軍試験月報によれば、地底戦車は、地中では最高三十五キロ、海底では、百五十キロまで出ると発表されているぞ」
「えっ、それまで知っているのですか。――では仕方がない。――ほら、スピード・メーターをみてください。いま、三十三キロまで出ていますよ。もうストップです」
「ごま化しては、いかん。それは地中スピードだ。しかるに、わが戦車は、いま海底を伝って前進しているのではないか。ほら、その計器をみろ。岩や土をそぎとる高速|穿孔《せんこう》車輪が、すこしもまわっていないではないか。ほら、こっちのスイッチが、ひらかれたままになっている。ごま化すのは、いいかげんにしろ」
「うへッ」
黄いろい幽霊が、おそろしく地底戦車のことをよく知っているので、さすがのパイ軍曹も、とうとうかぶとをぬいでしまった。
「わかりました。おっしゃるとおりいくらでもスピードをあげます。しかし幽霊閣下は、この戦車を、一体どこへお向けになろうというのですか」
「目的地か。そんなことは、聞かないでも分っていそうなものではないか。ほら、その地図のうえの、ここだ!」
と、黄いろい幽霊は、操縦席の前にかかっている南極地方の地図のうえを、機関銃の先で指さした。そこには、絶望の岬《みさき》と、妙な地名が書きこんであった。
「えっ、ここですか。ここは絶望の岬ですよ。いくらなんでも、こればかりは、おことわりいたします」
と、パイ軍曹は、顔色をかえた。
そうでもあろう、この絶望の岬というのは、この前、十九名からなるノールウェイの南極探険隊の一行が、岬へ上陸したのはいいが、そのまま険悪な天候にとじこめられてしまって、半年間も立往生し、ついに全員が、恨みをのんで、死んでしまった魔の場所であった。パイ軍曹が、顔色をかえるのも、無理ではなかった。
「いや、行くのだ。行くのがいやなら、すぐこの戦車から下りたまえ」
どこで聞いていたか、黄いろい幽霊は、パイ軍曹の口ぶりをまねして下りろといった。
「下りるのが、いやなら、銃弾をくらうかね」
軍曹が、だまっていると、となりに座っているピート一等兵は、しんぱいして、口をひらいた。
「軍曹どの。その幽霊のいうことを聞いた方がいいですよ。幽霊なんてものは、むちゃくちゃなことをいいだすものですからね、それにさからうと、よくありませんよ。自分の村では、幽霊にさからった者がいて、いつの間にか全身の血が、一滴のこらず、自分のからだからなくなってしまったのですよ。軍曹どの、だから、さからってはいかんです。もしそうなったら自分は、幽霊と、さしむかえで暮すことになるわけで、こりゃ、やりきれませんよ」
だが、軍曹は、なにもいわなかった。そのとき彼の眼は、急にあやしい光をおびたが、とたんに、彼は、
「ヤッ!」
と、さけんで、自分の肩ごしに、前へ出ている機銃の銃身を、ぐっとつかんだ。
「さあ、つかんだぞ。力くらべなら、幽霊なんかに負けるものか。こいつさえ、幽霊の手からこっちへとってしまえばいいのだ。おい、ピート一等兵、お前も下りてきて、手つだえ!」
うごかぬ筈《はず》
黄いろい幽霊が手にもっていた機銃で、操縦席の前にさがっている南極の地図を指したために、そばにいたパイ軍曹は、黄いろい幽霊のゆだんを見すまして、機銃をぐっとつかんだのである。力くらべならば、彼はすこぶる自信があった。
「おい、ピート一等兵。早く、力を貸せ。その幽霊の足を、横に払え!」
だが、ピート一等兵は、蛇《へび》ににらまれた蛙《かえる》のように、すくんでしまっている。
「ぐ、軍曹どの。じ、自分は、もういけません。……」
「こら、上官を見殺しにする気か。よおしこの機銃を、こっちへうばいとったら、第一番にこの幽霊をたおし、その次には、き、貴様《きさま》の胸もとに、銃弾で貴様の頭文字をかいてやるぞ! うーん」
パイ軍曹は、顔をまっ赤にして、うんうん呻《うな》りながら、機銃をうばいとろうと一生けんめいである。
ところが、黄いろい幽霊はさっきから、一語も発しない。そしてパイ軍曹をしかりつけるまでもなく、軍曹のしたいままに、放ってあるのだ。一|挺《ちょう》の機関銃は、二人の手につかまれたまま、じっとうごかない。
「こら、幽霊。そこをはなせ。はなさないと、き、貴様を……」
「ほッほッほッほッ。パイ軍曹、君の腕の力は、たったそれだけか」
「な、なにを。うーん」
じつは、パイ軍曹は、さっきからまるで万力《まんりき》にはさんだようにうごかない機銃について、少々こまっていたところであった。
「さあ、パイ軍曹。君に、これがとれるものなら、もっと倍くらいの力を出したまえ」
「な、なにを。うーん」
パイ軍曹は、うんとがんばって、死にものぐるいの力を出して、機銃を前にひっぱったが、機銃はあいかわらず、巌《いわお》のようにびくともしない。軍曹の額《ひたい》からは、ぼたぼたと、大粒の油あせが、たれる。
「力自慢で、わしが負けるなんて、そ、そんなはずはないのだが……」
幽霊は、わざとらしい咳払《せきばら》いをして、
「戦車の中には、食料品が不足だというのに、無駄に、力を出していいのかね」
「えっ」
この戦車の中には、食料品の貯《たくわ》えがないことは、はじめからしっていた軍曹だった。だから、黄いろい幽霊のことばは、パイ軍曹の腹へ、大砲のごとく、こたえた。彼はとたんに機銃から、ぱっと手をはなした。
「それで、もともとだ」
と、黄いろい幽霊は、いった。
パイ軍曹は、なんだか急に、眼の前がくらくなったように感じた。それは、空腹のところへあまり力を出しすぎたためだ。
「君でなくとも、だれがやってみても、この機銃を人力で取りはずすことはできないよ。このとおり、大きな金具で、はさまれているのだからなあ。ほッほッほッ」
黄いろい幽霊は、おかしさにたえられないという風に、大笑いをしたが、軍曹が、うしろをふりかえってみると、機銃のお尻のところが、掩蓋《えんがい》固定の締め金具の間に、うまく挟《はさ》まれていたのである。それでは、軍曹は、堅い鋼鉄と相撲をとるような、とても勝つ見込みのない力くらべを、していたことになる。
「ああッ」
パイ軍曹は、あきれかえって、自分がいやになった。とたんに、からだが綿のように、ふにゃふにゃになったように感じた。
「ほッほッほッ。戦車隊員ともあろうものが、そんな不注意で、御用がつとまるとおもうか」
黄いろい幽霊は、一本するどく、軍曹をきめつけたが、そのときどうしたわけか、地底戦車は、急にかたむきはじめたとおもう間もなく、あっといううちに、大きくでんぐりかえりをうち、とたんに車内の電灯が、すーっと消えてしまった。三人は、それぞれ、南瓜《かぼちゃ》のかごをひっくりかえしたように、ごろごろと投げだされた。さあ、一体、何事が起ったのであろう。
三つの場合
海底は、まっくらであった。
だから、なにごとが起っても、皆目みえなかった。
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