縦|上手《じょうず》だった。戦車は、はじめ、ひどく傾いていたが、まもなく、ちゃんと水平になおって、気もちがよくなった。
 ぎーン、ぴし、ぴし、ぴしッ。
 地底戦車の前にとりつけてある硬い廻転|螺旋刃《らせんじん》が、きりきりとまわり、土か氷か岩石かはしらぬが、どんどんくだいて、戦車を前進させているようであった。
 距離積算計というメーターが、だんだんと大きな数字を、あらわしていった。たしかに前進しているのであった。
 こうやって、気もちよく前進していくと、戦車は地上を走っているように思われるのであった。たいへん具合がよろしい。
「停《と》め!」
 パイ軍曹が、号令を下した。
 ピート一等兵は、あわてて、レバーをひいて、ギアをはずした。そして、足踏み式の、給油バルブを閉めつけた。地底戦車は、ぎぎーッと、とまった。
「どうしたのでありますか、軍曹どの」
「うん、ちょっと、外をのぞいてみようと思うのだ」
「ああ、そうですか。多分、海底の氷の塊《かたまり》の中でしょう」
「そうかもしれないなあ」
 パイ軍曹は、展望鏡を、戦車の上から出すために、ハンドルをまわした。
 ハンドルは、なかなかまわらなかった。
「硬いものが、おさえつけているらしい」
 それでも、展望鏡は、頭だけを少し出しているようであった。軍曹は、そこで、車外に、赤外線灯をとぼした。そして、展望鏡でのぞいてみた。赤外線をあてて、展望鏡をちょっとかえると、まっくらなところでも、はっきり見えるのだった。地底戦車には、なくてはならない展望鏡だった。
「おや、これは、土の中だ」
 と、パイ軍曹は、叫んだ。展望鏡の中にうつったものは、たしかに、小さい石を交《まじ》えた水成岩とも土ともつかないあつい層であった。
「えっ。土の中ですか」
「そうだ。われわれは、もうすでに、陸にぶつかっているのだ。これをどんどん進んでいくとうまくいけば、やがて、わが南極派遣隊の駐屯《ちゅうとん》しているところへ出られるかもしれないぞ」
「そうですか。そいつはいい。うまくいくと、これは、たすかりますね」
「うん、とにかく、もっと前進をしてみよう、前進!」
 パイ軍曹のかおにも、生色《せいしょく》が、よみがえってきた。地底戦車は、ふたたび、轟々と音をたてて、前進をはじめた。
「針路、真南!」
 キーン、ぴし、ぴし、ぴしッ。
 地底戦車は、ときどき空《から》まわりをしながら、それでも、だんだん前進していった。
「よし、この分では、相当見込みがあるぞ」
 パイ軍曹は、にんまりと笑った。
 下をみると、ピート一等兵が、汗ばみながら、しきりにハンドルをとっている。電熱器のおかげか、それとも地底深いせいか、車内は、かなりに温い。そのとき、パイ軍曹の眼は、とつぜん、あやしいものの姿を、とらえた。
「おや、林檎だ。さっきの林檎が、あんなところに落ちていた」
 林檎は、ごろごろと転げながら、軍曹の席に近づいた。軍曹は、身をおどらせて、下に下りると、その林檎を手にとった。たしかにほんとの林檎だ。すてきな香りがする。掌《てのひら》の中に、ひんやりとした感じがつたわる。そのとき、林檎を手にとってみていたパイ軍曹は、
「おや、これはへんだよ。歯型がない!」
 と、小首をかしげた。なぜ、こうして、いくつも、林檎が、ころころ転げだしてくるのだろうか。


   林檎の始まり


「ピート一等兵。エンジンをとめろ。そしてこっちへ下りてこい」
 と、パイ軍曹は、鼻の下に、鉛筆ですじをひいたような細いひげを、ぴくりとうごかして、さけんだ。
「さあ」
 大男のピート一等兵は、地底戦車のエンジンをぴたりととめ、よっこらさと、座席から下りてきた。
「軍曹どの。もう、自分に対し、勲章《くんしょう》でも、下さるのですか」
「ばかをいえ。もし、このままうまく地上にでられることがあったら、お前を銃殺するよう、上官に申請してやる」
「じょ、冗談を……」
「いや、ほんとだ。貴様は、じつに、けしからん奴だぞ。この地底戦車内において、指揮官たるおれの眼をごま化し、貴重なる食料品を無断で食べてしまうなどということが、許せると思うか」
「はあ、――」
 ピート一等兵は、眼を白黒している。さては、パイ軍曹、自分が林檎をしっけいしたことを感づいたな。
「軍曹どの。自分は、幽霊の林檎なんか、たべないであります」
 そんなことが知れたら、たいへんである。ほんとに、銃殺されるかもしれない。食い物のうらみというのは、おそろしいから……。
「なにィ。まだ白を切っているか。よォし、では、さっきの林檎は、食べないことにしておこう」
 パイ軍曹は、眼をぎょろりと光らせ、にやりと笑い、
「気をつけ!」
 ピート一等兵は、気をつけをする。
「一歩前へ! 口を大きくひらけ!」
「ええッ」
 仕方がない。ピート一等兵は、天井の方をむいて、口を大きくひらいた。
「こら、もっと下を向いて、口をあけろ」
「下へ向けないであります。さっきから首の骨が、どうかなったのであります。幽霊のことを、あまり心配したせいであろうと思います」
「つべこべ、喋るな。命令どおりすればよいのだ。――もっと下へむけ。それから、号令とともに、大きく、息をはきだせ。さあ、はじめる。お一イ」
 ピート一等兵は、泣きだしそうな顔をしている。
「はあッ」
 と、申しわけみたいに、小さい息をはく。
「こら、そんな息のつき方では、だめだ。まるで、お姫様が吐息をついているようじゃないか。もっと大きく息を、はきだせ。こういう風に。お一イ、はあ※[#感嘆符二つ、1−8−75] 二イッ、息をはあ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
 軍曹は、いじわるい笑いをうかべて、ピート一等兵のよわっている顔をみあげた。
「軍曹どの。もう、たくさんであります。あれは、自分のしらないうちに、林檎が胃袋の中へ、とびこんだのであります」
 大男のピート一等兵が、べそをかいているところは、なかなかおもしろい。
 軍曹は、やっと、思いのとおりにいって、気がせいせいした。
「そうか、無断でそういうことをやったことに対しては、いずれあとで処罰する」
 と、パイ軍曹は、そり身になって、
「ところで、おれは、もう一つ、こういうものを持っているんだ」
 と、かくしていた林檎を、ピートの眼の前に、ぬっとだした。
「やッ! まだ、あったのですか」
 ピートは、おどろきのこえをあげた。そして、彼は林檎の方へ、手をのばした。軍曹は、すばやく林檎をひっこめると、その手を、いやというほど殴《なぐ》りとばした。


   意外な声


「軍曹どのは、その林檎を、ひとりで、召しあがるつもりなんでしょう」
「そうだ。さっきの林檎は、お前がくってしまった。こんどは、おれに食べる権利があるのだ」
「半分ください」
「いや、やるものか」
 そんなことをいっているうちに、パイ軍曹の胃袋が、もう待ちきれなくなってしまった。この、どこからでてきたか、わけのわからない幽霊林檎の素性《すじょう》をしらべることの方が、先にかたづけなければならないことだったが、こうして手にもち、いい匂いをかぎ、うつくしい林檎のはだをみていると、そんなことは、もう、後まわしだ。はやくがぶりと喰いつかないでは、いられなくなった。
 パイ軍曹は、目をつぶり、大きな口をひらき、林檎をがぶりとやろうとした。これをみていたピート一等兵も、もう、たまらなくなった。
「あ、軍曹どの。お待ちなさい」
「なんだ、なぜ、とめる」
「その林檎は、どうも、たいへんあやしいですよ。さっき、自分がたべたとき、へんな味だと思いましたが、ああ、あいた、あいた、あいたたたッ」
 ピート一等兵は、とつぜん顔をしかめ、自分の腹をおさえて、くるしみだした。
「おい、どうしたピート。しっかりしろ」
「あ、あいた、ああいたい。軍曹どの、その林檎を食べてはいけません。その林檎の中には、毒が入っています。うわーッ、いたい」
 ピート一等兵が、しきりにくるしがるので、パイ軍曹は、心配になった。
「毒がはいっているって? ほんとかなあ」
「ほんとです。毒のある林檎であります。軍曹どの、自分はもうさっきの林檎の毒にあたってとても助かりません。ですから、そのついでに、軍曹どののもっておられる林檎も、自分が食べてしまいましょう。そうでないと、自分が死んだのち、軍曹どのが、この林檎を召し上るようなことになると、軍曹どのもまた一命を……」
「だまれ、ピート一等兵。貴様は、林檎がほしいものだから、そんなうそをついているんだな。ふふん、その手には、のるものか。これをみろ!」
 というが早いか、パイ軍曹は、もっていた林檎に、がぶりとかぶりついた。
「あっ、軍曹どの、それはひどい」
 ピート一等兵は、パイ軍曹に、とびついた。軍曹は、林檎をとられまいとする。そうして二人は、組みあったまま、床にどうと転がってしまった。たった一つの林檎のことで、地底戦車の中に、しばらく格闘がつづいた。まことにあさましいことだったが、二人の空腹は、それほど、もうたえられなくなっていたのだ。
 上になり下になり、二人が組みうちをしているうちに、かんじんの林檎が、軍曹の手をはなれて、ころころと床のうえに転がった。
「あっ、しまった」
 パイ軍曹は、手をのばして、それをおさえようとする。ピート一等兵は、そうさせまいとする。二人の身体は、からみあって、林檎のあとを追う。いつしか二人は、戦車の隅っこに、しきりに頭をぶちつけあっていた。
「こら、手を出すな」
「いや、自分も食べたいのです」
 二人の争いは、いつおわるとも、わからなく見えたが、そのとき、何者ともしれず、二人の方に向って、大ごえで、よびかけたものがあった。
「お二人とも、手をあげてもらいましょう。手をあげなきゃ、この機関銃の引金を引きますよ」
 おもいがけない人間のこえだ。
(あっ、あの幽霊か?)
 二人は、とたんに顔の色をうしない、こえのしたうしろをふりかえってみると……。


   安全条件


「まあまあ、そんなこわい顔をしないで、おとなしくしてください。お二人とも、僕に反抗しなければ、べつだん、この機関銃の引金を引こうとも思いませんよ」
 どこからあらわれたのか、二人のうしろに立っているのは、顔の黄いろい若い東洋人だった。
「貴様、どこの何奴《どいつ》か」
「僕の顔をみれば、大よそ見当はつくでしょうがな」
 と、かの若い東洋人は、なおもゆだんなく、機関銃の銃口を、パイ軍曹と、ピート一等兵の方へ向けながら、
「僕の名前ですか。これをお二人さんは、ききたいとおっしゃるのですか。さあ、何といったら、一等わかりやすいでしょうね。そうですなあ、まあ、僕の名前は、黄いろい幽霊といっておきましょう」
 二人は、幽霊ということばを聞くと、ぞっとして、首をちぢめた。
「黄いろい幽霊が、こんな戦車の中に、なに用があるのか」
 パイ軍曹は、やっと、これだけのこえを出した。
「用事は、いろいろありますがね、まず第一は、お二人さんが召し上った林檎の代金を、こっちへもらいたいのですよ」
「林檎の代金、すると、あの林檎は、君の……」
「そうです。僕が持ってきた林檎です。さあ金を払ってくれますか。おやすくしておきますよ」
 黄いろい幽霊は、くそおちつきにおちついている。
「金なんか、ない。たとい、あっても誰が払うものか」
 パイ軍曹が、断然いいきると、黄いろい幽霊のもっている機関銃の銃口が、パイ軍曹の鼻さきへ、ぬーっと、のびてきた。
「お払いになった方が、おためですよ。お金がなければ、他の品物でもよろしゅうございますが……。ぐずぐずしないでください。では、只今、いただきに、うかがいましょう」
 黄いろい幽霊は、パイ軍曹とピート一等兵のそばへ、そろそろと、よってきた。二人は、びっくりして、後じさりした。
「おうごきに、ならないように、引金をひけば、なにもかも、それまでですよ。よろしゅうございますか」
 機関銃の引金をひかれては、たまらない。二人は、もううごくことをあきらめ、黄いろい幽霊の
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