、それに違いない」
「それじゃ、わしたちは、もう海の上を見ることかできなくなったんですか」
「もう、よせ。貴様がくだらんことをいうから、くだらんことを思い出す」
「いや、くだらんことではないです。わしは、この戦車が、われわれの棺桶《かんおけ》であることを、どうかして、早く信じ、なお且《か》つ、ついでに、この棺桶を一歩外へ出た附近の地理を、なるべく、頭の中に入れておこうと思って、懸命に努力しているところです」
「もういい。戦車の外のことなんて、もうどうでもいい」
「じゃあ、この棺桶は、じつにすばらしいですなあ。オール鋼鉄製の棺桶ですぞ。棺桶てえやつは、たいていお一人さん用に出来ていますが、軍曹どの、われわれのこの棺桶は、ぜいたくにも、お二人さん用に出来上っていますぜ」
「おい、しばらく、黙っとれ。おれは、なにがなにやら、わけがわからなくなった」
パイ軍曹は、座席のうえに、うつ伏して、両腕で、自分の頭を抱えてしまった。
それを見て、ピート一等兵も、なにやら、心細くなって、自然に口に蓋《ふた》をした。
ざあざあと、気味のわるい音が、この戦車の壁の外でする。ごーん、ごーんと、鉄板を叩くような音も、聞える。
と、とつぜん、どどどどーんと、四連発の大砲を、あわてて撃ちだしたときのように、おそろしい響きが伝わってきた。――と、思ったとき、そのとき遅く、二人の乗っていた戦車は、ぐらぐらとうごきだした。
「おい、たいへんだ」
「足が、ひとりでに、上へ向いていくぞ」
戦車はまるでフットボールを山の上から落したときのように、天井と床とが、互いちがいに下になり上になりして、弾《はず》みながら、落下していくのが、二人にも、やっとわかった。
(どうなるのであろう? これも、カールトン中尉の遺骸《いがい》を、外に置き忘れてきたためか!)
二人は、もう、生きた心もなかった。
静かな海
はげしいいきおいで、何千メートルという深い海底へおちていく地底戦車の中で、パイ軍曹とピート一等兵とは車内を、ころげまわったり、ぶつかったりして、たいへんな目にあった。床だと思っていると、それが、ぐらっとうごくと、天井になったり、そうかと思うと、天井が、横たおしになって、かべになったり、二人は身のおきどころもなかった。いや、身のおきどころがないなどという生《なま》やさしいことではなく、からだとからだが、いやというほどぶつかり、そうかと思うと、鉄壁に、がーんと叩きつけられ、戦車が海底にやっと達したときには、とうとう二人とも気をうしなってしまった。
だが、この地底戦車は、よほどしっかりできているものと見え、万事異常はなく、車内の電灯も、ちゃんと点《つ》いていて、エンジンのうえに、長くなって倒《たお》れているパイ軍曹とピート一等兵の二人を、気の毒そうに照らしていた。
ここで、二人が、そのまま息をひきとってしまえば、もう『地底戦車の怪人』も、ここでおしまいになるはずである。これから後が、なかなか長くて面白い冒険談となるのである。だから、読者諸君は、パイ軍曹とピート一等兵とがたいへん好都合にも、間もなく息をふきかえしたことに気がつかれるだろう。
これは、二人にとって、どれくらい後のことだったか、さっぱり分らない。どっちが、先に気がついたのか、それも、はっきりしないが、とにかく二人は、
「うーむ」
「あ、いたッ」
と、別々に呻《うな》りながら、手足を、そろそろとうごかしはじめた。だが、四肢《しし》はくたくたになり、首の骨はぐらぐらになっているので、気の方は一足おさきに、相当しゃんとしながら、からだはいうことをきかないのであった。
「うーん、あ、たたたたッ」
「とめ、とめ、とめ、とめてくれたか」
と、うわごとのようなことを、二人は、とめどもなく喋《しゃべ》りちらす。二人が、傾斜した車内に、半身を起してあぐらをかくまでには、十七、八分もかかった。
「おい、ピート一等兵、だらしがないぞ」
パイ軍曹は、自分のことは棚《たな》にあげて、兵を叱りつけた。
「はい、軍曹どのが、あれから今まで、一度も号令をかけてくださらないものでありますから自分もつい休めをしていたのであります」
「なにをいうか。頭に大きな瘤《こぶ》をこしらえて休めもないじゃないか」
「いや、これも、軍曹にならったわけでありますが、さすがに上官の瘤は、自分の瘤よりも、一まわりずつ大きいのでありますな」
「ばかをいえ」
こう、へらず口が、どんどん出るようでは軍曹も一等兵も、瘤こそ作ったが、まず元気はもとにもどったものと思われる。
「おい、ピート、水が飲みたいが、水を持ってこい」
「はい、どこから、持ってきますか」
「……」
軍曹は、へんじをするすべを知らなかった。ここは、どうやら深い海底のように思われる。扉をあければ、ふんだんに水はありながら、その水は飲めないときている。全く、いじのわるいものである。いや、そんなことよりも、海底におちながら、外部から、海水も侵入せず、空気もくさくならないのが、なにより天の助けと、ありがたく思わなければならない。考えていくと、こうして、二人とも助かっていることが、だんだんふしぎで、そしておそろしくなってくるのだった。
「パイ軍曹どの。一体自分は、只今《ただいま》、生きているのでありますか、それとも死んでしまったのでありましょうか」
「なにッ。死んだ奴《やつ》が、そんなに上手に口がきけるか。また、おれの声が、きこえたりするものか。ばかなことも、やすみやすみいえ」
と、叱ったものの、軍曹は、ピート一等兵が、とつぜんへんなことをいいだしたので、気味がわるくて仕方がなかった。
「はあ、やっぱり、只今は生きているのでありますか。なるほど」
「只今も、なるほどもないよ。ちと、しっかりしなきゃいけない。びっくりするのも、無理ではないけれど……」
「いや、軍曹どの。自分は、たしかに一度死んだんです。それから再度、生きかえったのです、たしかに、或る期間、死んでいました」
「そんな、へんなことをいうものじゃないよ。死んだ奴が、どうして生きかえるものか」
「いや、そうではありません。軍曹どの。なぜ、そんなことをいうかと申しますと、さっき自分は死んでいる間に、幽霊を見かけました。幽霊が見えたんです。そのへんを、すーっと歩いていましたよ」
幽霊《ゆうれい》
「おどかすなよ」
と、パイ軍曹は、鉛筆ですじをつけたような細い口髭《くちひげ》をうごかして、いった。
「いえ。ほんとです。軍曹どのとは、全くちがった服装をしていました。幽霊の足音が、ことんことん床を鳴らしたのを、聞いたようですよ」
「ふーん」
パイ軍曹の顔が、なぜか、さっとかわった。そしてピート一等兵を、じっと睨《にら》み据《す》えていたが、やがて口をひらき、
「その幽霊なら、さっき、わしも、ちょっと見たよ」
と、こんどは軍曹が、へんなことをいいだした。
「はあ、軍曹どのも、見たでありますか。じゃあ、夢じゃなくて、本物の幽霊が、この戦車の中に現れたんですね。ううッ」
と、大男のピート一等兵は、肩をすぼめた。戦車の中に、幽霊が現れるなんて、途方《とほう》もない話だ。相当、戦場ではたらいてきた戦車なら、そのとき戦死した勇士の幽霊が、出てくるかもしれない。だが、これは新しく出来たばかりの戦車なのである。戦争に出たことは、一度もない。その戦車に、幽霊が出てくるなんて、へんなことだ。
「あははは」
と、パイ軍曹が、とつぜん笑い出した。
「軍曹どの、なにが、おかしいのですか」
「あははは」
軍曹の声は、戦車の壁に反射して、妙に、ううーんと後をひいた。ピート一等兵は、肩のうえに、手をかけながら眼を丸くした。
「おい、ピート一等兵。幽霊が出るなんて、嘘《うそ》だよ」
「はあ、嘘ですか」
「つまり、これは生理的の現象だ。いいかね。おれたち二人は、さっきから、同じように頭をがんがんとうったじゃないか。だから、同じように、頭がへんになって、同じように幽霊みたいなものの姿が、見えたというわけだよ」
「ははン、同じように頭がへんになって、同じような幽霊の姿が、頭の中にうかび出たというわけですか。なるほど、そうかもしれませんなあ。軍曹どのと自分とは、前から、双生児のように、なんでも気が合うのですから、そういう場合に、二人の頭の中に、別々に出てくる幽霊が同じ姿をしていても、かくべつふしぎでないわけですなあ。なるほど、ああなるほど」
「お前のように、臆病《おくびょう》で、びくびくしていると、西瓜《すいか》が、機雷に見えたりするのだ。しっかりしろ。あははは」
パイ軍曹は、笑った。だが、その笑いごえは、あまり朗《ほがら》かであるというわけにはいかず、どっちかというと、とってつけたような笑いごえだった。
それでも、ピート一等兵は、やっと、おちついたようであった。
「なあに、自分は、たいていの物にはおどろきませんが、幽霊ばかりは、にが手なんですよ。あのひきずるような足音、そして地の底から呼んでいるようなあのうつろなこえ、あいつは、まっぴら御免《ごめん》ですよ」
そういいながら、彼はポケットをさぐって、煙草《たばこ》をさがした。だが、煙草は、なかった。
「あれ、煙草がない。しまった、船へ、おいてきた。軍曹どのは、お持ちですか」
「なんだい、煙草か。うん、煙草なら、ここにあるが、まさか、この戦車の中じゃ、油があるから、危くてすえないよ」
「ははあ、なるほど」
と、ピートは、うらめしそうだ。
「あっ、たいへんだ。軍曹どの」
「なんだ、おどかすない」
「たいへんですよ、これは。煙草のないのはいいが、一体これからのわれわれの食事はどうなるんでしょうか」
「うん、そのことには、よわっているんだ。しかし、一体われわれは、いつまで生きているかということの方が、先の問題だよ。まあ、どうせ、無い命なんだから、それまでは、朗かにやろうぜ」
「朗かにやれといっても、食うものがなくちゃ、朗かにやれませんぜ」
「ぜいたくいうな。とにかく、この戦車は、深い深い海底へおちこんでいるんだから、救援隊は来っこなしさ。ただ、こうして死をまつばかりだよ」
「いやだなあ。どうせ、乗るんだったら、戦車よりも、破れボートの方がよかった」
「なぜ?」
「だって、ボートにのってりゃ、仰向《あおむ》けば、天から降ってくる雪を、口の中にいれることができるし、たまにゃ、近くの流氷の上に白熊がのっているかもしれませんから、銃をぶっぱなして、白熊の肉にありつけるかもしれない」
「やめろ、そんなうまそうな話は! よけいに腹が減って、よだれが出るばかりだ」
と、パイ軍曹は、腹を立てた。
林檎《りんご》
傾いた戦車の中に、電灯だけは、ぜいたくにも煌々《こうこう》と照っている。
ピート一等兵は、大きな図体《ずうたい》を、小さく縮めながら、失心したようになって、床を見つめている。
(ああ、なんとかして、もう一度、パンというものをむしゃむしゃ食べてみたい。娑婆《しゃば》には、むかしビフテキなんてえ、うまいものがあったなあ)
そんなことを考えているうちに、ピート一等兵は、おやという表情で、鼻をひくひくさせた。
(おや、なんか食べ物の匂《にお》いがする!)
彼は、くすんくすんと、鼻をならした。
すると、とつぜん、まるで、お伽噺《とぎばなし》のようなことが起った。それは、傾いた戦車の鉄板の床の上を、林檎《りんご》のような形をしたものが、ころころと、ピート一等兵の足許《あしもと》へ、ころげてきたのであった。
彼は、太い指で、いくども、眼をこすった。
(あれえ、おれの眼は、どうかしているぞ。あまり食べ物のことを考えつづけたため、とうとうおれの頭はへんになって、有りもしない林檎が目の前に見えるのじゃないか)
眼を、ぱちぱちしてみたが、たしかに彼の足許には、林檎がおちている。
彼は、いくたびか手をのばそうと思いつつ、いやいや手をだすまいと、はやる心をおさえた。なぜなら、手を林檎の
前へ
次へ
全12ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング