く、こっちへ来い!」
中尉の言葉は途中で切られた。
隊員は、傾いた甲板をすべりながら、われがちに、ボートの方へ走っていった。
「おちつけ! そのうちに、救助隊が、きっとやってくるぞ!」
吹雪の中に、中尉の声は、ともすれば、うち消された。
そのうちに、不幸な事がおこった。
それは、とつぜん、船内から爆発が起ったことであった。ボイラーの中に冷い海水がとびこんだため、爆発が起ったらしい。
船は、どーんと、はげしくゆれながら、そのたびに傾斜度《けいしゃど》が加わった。
ピート一等兵は、パイ軍曹とともに、最後に部屋をでた。彼等二人は、一度部屋を出かけたが、外は吹雪と知って、直ちに引きかえして、防寒服《ぼうかんふく》を出しにかかったのであった。日頃の訓練が、この非常時に、役に立ったのであった。
「パイ軍曹どの。なかなか壮観でありますな」
「なにィ、おい、お前は、くそおちつきに、おちついているじゃないか。われわれは、ここで死ぬかもしれないんだぞ」
「一度死ねば、二度と死にませんよ。ゆるゆるとこの千載一遇《せんざいいちぐう》の壮観を見物しておくのですな」
「ふん、お前と話をしていると、わしは、コーヒーでもわかしてのみたくなるよ」
そういうパイ軍曹も、あわてている方ではなかった。
沈没《ちんぼつ》迫る
アーク号の甲板は、刻々に傾斜を増していく。もうこの船は、あと五分と、もたないで、海面下に姿を没してしまうであろうと思われた。そのうえ、意地わるく、大吹雪は、いよいよ猛烈にふきつのって、甲板を、右往左往する人々の呼吸を止めんばかり――。
「おい、ボートはもう一ぱいだ。おれたちは、はいれやしない。ど、どうなるんだろうか」
「うん、仕方がない。艫《とも》の方へいって、さがしてみろ。わりこめる席があるかもしれない」
「だめだだめだ。舳《へさき》の方をさがせ。艫の方はボートごと、ひっくりかえって、たいへんなさわぎだ」
人々は、なんとかして、ボートの中に、空《あ》いた場所をみつけて、一命を助かりたいものだと、まるで喧嘩《けんか》のようなさわぎであった。
パイ軍曹は、唇のうえに鉛筆で引いたようなほそい口髭《くちひげ》をひねりながら、大兵のピート一等兵を見上げ、
「おい、ピート。ボートはもう駄目らしい。お前は、あの冷い南氷洋で競泳する覚悟ができているかね」
「わしは、競泳には、自信がねえです。誰よりも一等あとで、海水につかることに、はらをきめました」
「一等あとで海水につかるって、一体どうするんだ」
「いや、なに、一等背の高い檣《ほばしら》のうえへ、のぼっちゃうてえわけでさ」
「ばかをいえ。それだから、お前のような陸兵は、役に立たねえというんだ。陸に生《は》えている林檎《りんご》の樹とはちがうぞ。船がどんどん傾いてしまうのだから、一等背の高い檣てえのが、一向《いっこう》当てにならないのさ」
「そうですかい。なるほど、甲板が、いやにお滑《すべ》り台におあつらえ向きになってきましたねえ。ところで、軍曹どの。あなたは、これから一体どうなさるおつもりなんで……」
「今に、リント少将の飛行船かなんかがこの上へとんで来て、エレベーターかなんかを、この甲板におろすだろうと思うんだ。そいつをこうして、待っていようてえわけだ」
「あっはっはっはっ。軍曹どの。ここは、寄席《よせ》の舞台のうえじゃあ、ありませんよ」
二人の勇士は、死を覚悟していると見え、とんでもないばかばかしい口を、ききあっていた。
そのときであった。
二人の立っているところから、そう遠くない後方で、とつぜん、どどーンと小爆発がおこって、船の構造物が、がらがらと、はげしい音をたてて崩れた。
「ほう、なかなか景気をそえているじゃないか」
と、パイ軍曹が、へらず口を叩けば、
「わしは、子供のときから、賑《にぎや》かな方が好きです。讃美歌なんかに送られて天国へいくなんて、わしの性分《しょうぶん》にあわねえ。もっと、どかんどかんと、爆発すると、ようがすなあ」
と、ピート一等兵はやりかえして、太い指で、鼻を下から、こすりあげる。
二人は、そのまま放《ほう》っておけば、いつまでも地獄の門をくぐるときまで、その調子で、へらず口を叩き合っていたことだろう。――が、幸か不幸か、そこへ邪魔《じゃま》ものがとびこんできた。頭を割られて、顔半面まっ赤に血を染めた将校が、二人の前へよろめきながら現れたのであった。二人は、その将校の顔を見るより早く、声を合せて、叫んだ。
「あっ、隊長だ!」
「あ、カールトン中尉どのだ」
二人は、その傍《そば》へとんでいった。
中尉の遺言《ゆいごん》
「隊長どの、しっかり!」
「カールトン中尉! 傷は、かすり傷ですよゥ!」
二人は、一生けんめい、重傷の隊長を、元気づけた。
中尉は、間もなく気がついたものらしく、眼をかっと開いた。
「おお、パイに、ピートか。おれは……おれは、もう。……」
「おれはもう――おれはもう帰還されますか?」
「こら、ピート一等兵、だまれ。隊長どのは、これから遺産のことについて述べられるのだ。しずかにしろ」
「こら、二人とも。お前たちは、こここの場にのぞんで、恐怖のあまり、気、気がちがったな」
パイとピートは、顔をみあわせて、うなずいた。もう何も喋《しゃべ》るまいぞという信号だった。この期《ご》にのぞんで、これ以上、隊長に気をつかわせることは、よくないと気がついたからである。
中尉は、二人に脇の下を抱《かか》えられながら、はあはあと、苦しそうな息をした。しかし、さすがは軍人であった。その苦しい息の下からも、二人を相手にすることは忘れなかった。
「おい、両人。おれを抱えて、三番|船艙《せんそう》へつれていけ。そ、そして、おれのズボンの、左のポケットに、は、はいっている鍵で……その鍵で、扉をあけるんだ」
パイ軍曹とピート一等兵は、また顔をみあわせて、うなずいた。
「こら、両人とも、そこにいないのか」
二人は、おどろいた。
「はい、いるであります」
「ちゃんと、いるであります」
中尉は、眼をとじたまま、うちうなずき、
「そ、そんなら、よし! そこで、三番船艙の中にはいって……はいって、その、そこにある戦車の中に、おれを乗せてくれ。おお、お前たちも乗れ」
「えっ、三番船艙に、戦車があるんですか」
「そうだ。お、お前たちの、お眼にかかったことのない恰好《かっこう》をした新型の、せ、戦車だ。さあ、は、早く、わしをつれていけ」
「隊長どのは、その戦車に乗られて、どうなさるのでありますか」
「わ、わが輩《はい》は、せ、折角《せっかく》ここまで持ってきた戦車に、生前、一度は、の、乗ってみたいのだ。そ、その地底戦車というやつに……」
「地底戦車?」
「そ、そうだ。地底戦車だ。リント少将は、そ、その地底戦車をつかって、南極の地底をさぐる――さぐる計画を、たてられているのだ。は、早くしろ。船が、もう、沈む」
「は、はい!」
パイ軍曹と、ピート一等兵とは、顔を見合せた。二人の顔は、今までのいずれの場合よりも真剣になっていた。死を覚悟して、死の前に、他の何物への執着もすて去った二人であったが、いまこうして、中尉の紫色になった唇の間から、無名突撃隊の秘密についてのべられてみると、彼等二人は、本来の任務に奮《ふる》い立たないでは、いられなくなった。
「おい、ピート、急ぎ、進め!」
「合点《がってん》です。お一チ、二イ」
「三ン、四イ」
二人は、中尉を両方から抱きあげつつ、もはや歩行するのも容易でない傾斜甲板のうえを、器用にとんとんと走って、階段口から、下におりていった。
幸いなことに、三番船艙は、まだ浸水をまぬかれていた。
扉を、鍵であけた。
扉は開いた。大きな布カバーを取り去ると、下から現れたのは、怪奇な恰好をした重戦車!
地底戦車というのは、これか?
扉《とびら》
「おい、ピート、早くしろ」
「えっ」
「ほら、お前の足もとを見ろ。下から、海水がぶくぶく湧《わ》いてきたじゃないか」
「あっ、もういけませんなあ」
「おい、戦車の扉を開け」
「待ってください。すぐあけます」
「おい、早くしないと、隊長どの、折角の希望が水の泡になる」
「えっ、もう泡をふきだしたのか」
「ちがうちがう。早く、戦車をあけろ」
「やあ、もう大丈夫。さあ、あきますぞ!」
うーんと、大力のピート一等兵が、両腕に力をこめてハンドルをねじると、戦車の扉は、ついにぐーと、大きく開いた。
「あきました、あきました、軍曹どの」
「ばか。もう間にあわないや」
「えっ。どうしました」
「中尉どのは、昇天された。“生前に、一度でいいから、折角ここまで持ってきた地底戦車に乗ってみたい”といわれたのに、お前が戦車の扉をあけるのに手間どっているもんだから、ほら、もうこのとおり、天使になってしまわれた。ああ、さぞかし無念でしょう。中尉どの、これ一重《ひとえ》に、平生《へいぜい》ピート一等兵が、訓練に精神をうちこまなかったせいです」
「ねえ、軍曹どの。こうなりゃ、気は心でさあ。中尉どのは、息を引取られたかはしらないけれど、一度、この戦車の中へ入れて、座席につかせてあげては、どうでしょう」
「この野郎。中尉どのに、申しわけないと気にして、いやに中尉どのにサービスするじゃないか」
「軍曹どの、早く。ぐずぐずしていると、戦車の中に、海水が入ります。中の器械が、濡《ぬ》れてしまいますぜ」
ピート一等兵が注意を発したので、パイ軍曹は、ぎくりとした。
「おい、早くしろ。浸水させちゃ駄目だ。お前から、先へ入れ」
軍曹は、ピートの尻をうしろから、どんとつきあげた。ピートは、ばね仕掛《じかけ》の人形のように戦車の中に飛びのったが、そのときまたどどーん、どどーんと、相ついで小爆発が起って、船体がぐらぐらと、動揺した。
「あっ、軍曹どの。早く、こっちへ入って、戦車の扉をしめてください。いよいよ、これは浸水、まぬがれ難《がた》しです」
「そうか。あっ、ほんとだ。それ、そこから海水が流れこんでいたじゃないか、靴をぬいで、どんどんかいだせ」
「軍曹どの、扉を!」
「おお、そうだ。扉を閉めるぞ!」
パイ軍曹は、力一杯、戦車の扉をばたんと閉じた。
とたんに、戦車内には、電灯が、ぱっと点《つ》いた。自動式の点灯器がついていたのである。二人は、うれしそうに、あたりを見廻《みまわ》していたが、そのうちに二人の視線が、ぱっと合った。そのとき二人は、べつべつに、同じことを思い出した。
「おい、ピート一等兵。カールトン中尉どのの姿が、見えないじゃないか」
「そうです、軍曹どの。いま、私が申上げようと思ったところです。あなたは、なぜ、中尉を外に置いたまま、その扉をお閉めになったんですか」
「ふーん、失敗《しま》った。おれが悪いというよりも、貴様《きさま》が、たいへんな声を出して、扉を閉めろ閉めろと、さわぎたてるもんだから、とうとうこんなことになったんだ」
「あっ、そうでありましたか。じゃあ、わしがすぐいって、お連れしてまいりましょう」
ピート一等兵は、奥からのこのこと出てきて、戦車の扉のハンドルをまわそうとしたから、パイ軍曹はおどろいて、ピートの手に噛《か》みついた。
落下速度
「ああ痛い。軍曹どのに申上げます。軍曹どのは、狂犬病に罹《かか》られました」
と、ピート一等兵は大粒の涙をはらいおとしながら、叫んだ。
「なにを、このばか者! この扉をあけて、どうしようというのか。この扉をあければ、たちまち海水が、どっと流れこんでくるじゃないか」
「えっ、そんなことはありません。どっと、流れこんでくるなんて、そんな……」
「さっきとはちがうぞ。あれからかなり時刻がたっている。おいピート。この戦車は、もう海面下に沈んでしまった頃だぞ」
パイ軍曹は、そう叫んで、自分でも、真青《まっさお》な顔になった。
「ええっ、本当ですか、軍曹どの。この戦車は、ついに、海面下に没しましたか」
「大丈夫
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