いない」
 私はもう坐《すわ》っても立っても居られなかった。それはミチ子をめぐる彼と私との暗闘《あんとう》が最後的場面へ抛《ほう》り出されたのだ。断然《だんぜん》たる敵意であった。砲弾のような悪意だった。
「はッはッはッ」と辻永は軽く笑った。「まア落着いたがいいだろう。あの酒は僕が飲ませたわけではなく、もともと君の前にミチ子が持ってきたのを、君がとりあげて飲み乾しただけのものじゃないか。僕がなにを知るものかネ。唯《ただ》、地獄街道の道案内を聞かせてやっただけじゃないか。最後の注意をするが、もうソロソロ催《もよお》してくるから、助かりたかったら……」
 と、そこまで云ったとき、辻永は襲《おそ》われた様《よう》に声を嚥《の》んでガッと眼を剥《む》いた。そして椅子からピンと立ち上ったが、痛そうな顔をして腰をかがめて下腹をおさえ、急いで手洗室の方へ駈け出した。
「戸をあけてくれ。あけてくれ」
「貴方《あなた》、ちょっとお待ちなすって」とその日は月曜だというのに珍らしくいつものように出ていた主人が駭《おどろ》いて駈けつけた。「唯今お客さまがお使いになっていますから、しばらく、しばらくお待ち下さい
前へ 次へ
全26ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング