、その原因物と被害物体との距離にかなりの相違があったため、その結果である損傷程度に著しい相違を生じた――こう考えてはどうだろうか。つまりゼムリヤ号事件のときはその怪力源が相当遠くにあった。しかし駆逐艦D十五号の場合はずっと近くにあった。そう考えることはいけないだろうか」
 水戸の説は大胆極まるものであった。そうしてここに論ぜられたもの以外にも多くの欠点を有していた。しかし彼は敢えて同一原因説を唱え、そして一見無理と思われる解釈を試みたのだった。なぜ彼はそんな無理を強行するのであろうか。
「君の説は興味深い」
 ワーナー博士が突然口を開いたので、その周囲に集まっていた人々は愕いた。まさかそんな讃辞が博士より聞けようとは期待していなかったからである。だが水戸はひとり、恥《はずか》しそうに静かに微笑した。
「博士は水戸の説に賛成なさるんですか」
 ホーテンスは訊《き》いた。
「まだ賛成はしておらぬ」と博士は明らかに否定し「だが今の水戸の説により、わしは一つのヒントによって、わしは最近の機会に一つの冒険を決行するよ」
「冒険ですって」
 ホーテンスを始め皆は愕いた。水戸も愕いた一人だった。
「そうだ、冒険だ、わしは準備の出来次第、その冒険を決行するつもりだ、何しろプログラムに全然なかったことを、水戸君から得たヒントで行くんだから、少々手数がかかる」
「先生その冒険というのは、どんなことですか」
 ドレゴが沈黙を破って、前へ乗出した。[#「。」は底本では「、」42−下段−6]
「左様《さよう》、その冒険というのは外でもない、わしは、今後の事情がそれを許すなら、潜水服を着て、あの海底地震帯へ下りてみようと思う」
「えっ、海底へ博士が御自身であの潜水服を着て下りられるというんですか」
 水戸が顔を赤くして叫んだ。
「それは乱暴ですね、先生やめて下さい」
 助手たちが口を揃えて反対した。もしも博士がそんなことを本当に実行し海底を歩いているとき、第三の怪事件が起こったらどうなるであろうか。とんでもないことだ。
 だが博士は思い停るとはいわなかった。
「それが近道だと思うからだ。海底へ下りてみれば何もかも分かるかも知れない」
「しかし先生、そんな危険なことをどうしてなさるのですか」
「危険は、海上にいても出会うだろう。海底が危険なら、それと同様に海上もまた危険だよ。……とにかくわしは近いうちにそれを決行することとして計画を樹《た》ててみる。職員以外にも希望者があれば同行を許可するから、あとで僕のところへ申出で給え」
 博士はそういうと、パイプを口に咥《くわ》えて、この観測室を出ていった。
 後には喧噪《けんそう》が残った。思いがけないワーナー団長の冒険計画についての是々非々の討論が活発に展開していった。賛成者はもちろん少数だった。
「なによりもまず生命の危険率が頗る大きいことを考えなくてはね、仮りにかの怪奇なる怪力源問題がなかったとしても大西洋の海底を人間が潜水服でのこのこ歩くなんて前代未聞の冒険だよ」
「やっぱり歩一歩と地味な観測を続けるのがいいのではないか。それが一番の近道ではないだろうか」
「いや、団長は人類の幸福のため自分の尊い生命を犠牲にしておられるのだ。その崇高な決意に対し、われわれもまた団長と同一精神に燃え、世界人類の幸福のために大西洋の海底を歩くべきだ」
 この結論は容易に一つの穴に流れ込むことはなかった。その間に調査団船とその護衛艦隊は恐怖の異常地震帯を離れること五〇キロの海域に脱出を終わったところで、各艦船は舷と舷をよくつけ合って纜《ともづな》を締め、その夜を大警戒裡にそこで明かすこととなった。

  D十五号遺品

 その夜のうちに、大急行で潜水の準備がなされた。取揃えられた深海用の潜水服は二十着であった。しかし実際に使用せられるものは十一着で、残りは予備としてサンキス号内に留め置かれる。
 その外、海中標識灯や海中信号器に通信機、それから昇降機などの大きな機械類も手落ちなく点検され用意された。
 また海底調査隊員十一名が持って行く品物も集められた。それは諸々の観測器具を始めとし食糧、飲料、工具、通信器、照明灯などの外にダイナマイトと水中鏡も加えられ、これらがずらりと並べられたところは、仲々ものものしかった。
 海底調査隊員十一名の顔ぶれは、隊長ワーナー博士を始め、外《ほか》に、観測者が五名、護衛の士官が二名、それから三名の記者であった。ホーテンスは勿論のこと、ドレゴと水戸が加わることになっていた。
 記者三名を除く隊員八名は、ワーナー博士の部屋で海図を囲んで深更に至るも打合せを継続し、いつまで経っても誰も出て来なかった。
 サロンでは、三名の記者を中に、壮行を激励する酒宴が賑やかに展開していた。
「ぜひ僕のために、大西洋の海底土産というやつを持って帰ってもらいたいね」
 と鼻の頭を真赤に染めた酔払いの船員がホーテンスへねだった。
「海底土産だって。へえっ、一体何が欲しいのかね」
 ホーテンスもすっかり酩酊《めいてい》して、とろんとした眼をしていた。
「何でもいいよ、しかしなるべく豪華なところを願いたいもんだよ。金貨が一杯入っている袋とか、金剛石紅玉青玉がざらざら出てくる古風な箱だとか、そういうものなら僕は悪くないと思うね」
「それは誰だって悪くないよ。君の欲の深いのには呆《あき》れたもんだ」
「そんなら貴様も海底へ出張すればいいじゃないか」
 と、同僚がまぜかえした。
「いや、僕は駄目だ。船員というものは船を離れると駄目なんだ。あんな芋虫の化物のような潜水服を着て、のこのこ海底を歩くなんてぇことは、われわれ船員の柄じゃない」
「うまくいってるぜ。しかし僕たちがこれから下りて行く海底はそんなものは見付からないだろう。お目に懸れるのは、骸骨に、腐った鉄材、それに深海魚ぐらいのところだろうよ」
「いや、必ず持って来てやるよ、はははは」
 談笑が、煙草の煙とアルコールの強い匂いで飽和したサロンの空気をかきまわす。
 水戸もドレゴも、その渦巻の中に顔を見せていたが、給仕が入って来てドレゴに何か紙片を渡した。ドレゴはそれを受取ると、はっとした様子で立上るとサロンを出ていった。
 ドレゴが再びサロンへ戻って来たのは、それから三十分ほど後のことだった。水戸は逸早《いちはや》く彼を認めた。そして彼が非常に興奮していることも、同時に見て取った。
「どうしたんだ、ドレゴ」
 水戸は彼が元の席についたとき、低い声で訊《き》いた。
「うん……後で話すよ」
 ドレゴはそう応えて、苦しそうに顔を歪《ゆが》めた。水戸はそれ以外彼を追求しなかった。今この友人を更に苦しめてはならないと思ったからだ。
 宴が果てたのは、それから一時間後のことであった。時計は午後十一時を廻っていた。酩酊はしていたが、さすがにホーテンスはサロンを出るとすぐワーナー博士たちの打合せ会議が済んだかどうかを訊いた。会議は少し前に終わっていた。ホーテンスは、水戸とドレゴを呼んで博士の部屋を叩いた。
「ようやく準備は完了したよ」
 と博士は満足らしく微笑した。
「その後、事件について何か判明したことはありませんか」とのホーテンスの質問に対し、博士は「あるよ」といいながら机上の書類を取上げ、
「D十五号の遺留品を、僚艦が現場附近において収容した。その品目がここに書出してある。ゆっくり見給え」
 とホーテンスたちへ会釈《えしゃく》した。
「それについて何か特別の注意すべき材料がありましたか」
 水戸が訊《たず》ねた。
「遺留品は、その表にあるように、殆ど原形を停めないまでに破壊されている。その二三のものを電子顕微鏡下において調べたが破壊面は非常な微粒子――コロイド程度にまで粉砕されている。火薬などによる普通の破壊事件では見られない現象だ」
「なぜそんなに破壊面が粉末化しているのでしょうか」
「それは今のところ不可解だ」
「その破壊面附近に、ウラニウムなどの放射性物質がついていませんでしたか」
「今までのところ、それを検出し得ない。多分付着していないのであろうと思う」
「それはおかしいですね」
 とホーテンスが横合いから口を挟《はさ》んだ。
「すると、D十五号は原子爆弾によって破壊されたのではないといい切っていいわけですか」
「まだ、そこまではいい切れないが、とにかくこれまでに知られたウラニウム爆弾でないといえる可能性が多分にある」
「どうもそれはおかしい。原子爆弾でなくて如何なるものがあんなひどい破壊を生ぜしめるでしょうか。いや、これは素人考えに墮していますかな」
 博士は黙ってホーテンスに対していたが、それから暫くして口を開いた。
「だからわしは、明日海底へ下りることに決心したわけだ」
 ホーテンスは目をぱちくりしたが、すぐ気づいて肯いた。
「なるほど、そうでしたね……いや、僕は今までなんだか原子爆弾の幽霊だけに取憑《とりつか》れていたようだぞ、はて、これはどうしたことだ」

  大海底に着く

 その翌朝、ドレゴは水戸に附き添われて、ワーナー博士の許へ行った。ドレゴは都合により、今日の海底探検に同行することを辞退したいこと、それから彼は出来るだけ早くこの調査団から離れて、アイスランドへ戻りたいことを申述べた。
 博士は、それを聞くとすぐ諒解した。そして護衛艦の一隻が今日、アイスランドへ引返すことになっているから、それに便乗して行ったがいいだろうといって呉れた。そして博士はドレゴがなぜ急に予定を変更したかについて一言も訊《き》きはしなかった。水戸は、博士の肚の太さに対し畏敬の念を生じた。
 実はドレゴが急にこんな翻意をするようになったわけは、その前夜、アイスランドから一通の無線電信を受領したことに拠《よ》る。それは差出人が匿名で、ただ“汝の崇拝者より”とあるだけであったが、電文は左のとおりであった。
“愛スルドレゴヨ、コレガ第二ノ警告! ゼ号ノ秘密ハ当地ニ於テ今ヤ解カレル一歩前ニアリ折角ノ名誉ト富ヲ捨テル気カ、スグ帰レ、花ヲ持ツテ待ツ、汝ノ崇拝者ヨリ”
 これを受け取ったドレゴは一夜を悩み続けた末、今朝になって、とうとう帰国する気になったのだ。彼は水戸を誘ったが水戸は応じなかった、こうしてオルタの町の仲好しは一時北と南に別れることとなった。水戸はドレゴに花を持って迎えるという彼の崇拝者に対し十分注意を払う様にと忠言することを忘れなかった。
 下船のとき、ドレゴは滂沱《ぼうだ》たる涙と共に水戸を抱いて泣いた。彼は帰りたくもあったが、しかし水戸を只ひとりで非常な危険へ追いやることの辛さ故に泣いたのであった。
「水戸。危険な仕事は出来るだけ早く切り上げて、オルタの町へ帰って来てくれ。僕はそれを待っているぞ」
 ドレゴは水戸の両頬にいくども熱い口づけを残して、遂に去った。そのとき彼の心に、美しい花束を抱いた若い女の幻がちらりと浮かんですぐ消えた。
 午前八時、サンキス号は護衛艦隊に護られ再び南下を企てた。作業の現場に着くまでに、約二時間の余裕があった。
 十一名の壮行者からドレゴが減って、十名となった。ドレゴの補欠を希望する者は出て来なかった。誰でも、危険極まりなき大西洋の海底を散歩することは気が進まなかったからだ。隊員は早速身仕度に懸かった。芋虫とビール樽との混血児のような頑丈な潜水服をつけて、甲板に一列にならんだところは、壮観ともいえ、また悲壮の感じも強く出た。この潜水服は背中に圧搾空気タンクを持っていて、外から送気しなくとも自主的に呼吸が続けられる仕組みとなっていた。
 午前十時半、現場へ到着。
 現場の空は、飛行機で警戒せられていたし、海面は護衛の水上艦艇にて、海中は潜水艦が五隻も繰出されて一入《ひとしお》[#底本ルビは「ひといり」、47−上段−9]、警戒は厳重であった。
 留守組の観測班員は、捕えた気象水温その他の数値を刻々と博士に報告した。
「諸君」
 と、博士がマイクを執《と》って、整列している隊員に呼びかけた。
「本日は例の異常海底地震を全く感じない。といって安心す
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