《まさ》に何事かが起らんとしつつあるのだ。それは説明がなくても、勘のいい記者たちには察知せられた。
博士が睨《にら》みつけている電界強度計の指針が、気のせいか微《かす》かに慄《ふる》えているようだ。
余震なき地震
息詰まる緊張の幾秒が尚《なお》も続いた。
しかし想像したような愕くべき何事も遂に起こらないように見えた。記者団の緊張が稍《やや》弛《ゆる》みかけた。
と、その時だった。ワーナー博士が鋭い叫び声を発した。
「おお、異常の力の場に入った!」
博士の声と共に、各観測装置の計器の針は一斉に大きく揺れた。それは計器が俄《にわか》に心臓をどきどきさせ始めたように見えた。「指針が飛んだ。二号計器へ切り換えろ」「おお予備を持って来い」などと、研究員たちが競争のように喚《わめ》き始めた。パイロット・ランプが、あっちでもこっちでも点滅して、激しい力の変化が現に今働いていることを示す硫酸乾燥器が爆発した。最高温度計がパンクした。日記記録計の針がぴーんと飛んで、行方がわからなくなった。リノリウムの上は、殺人事件の現場のように、赤インクの海が出来た。
三人の記者たちは、困惑の絶頂に放り上げられていた。非常に愕くべき出来事の真只中に今自分たちが置かれているのだ。しかもその愕くべき出来事が一体何事であるのか、それがさっぱり分からない。
博士に聴きたい。そう思って博士の方を見るが、当の博士は、器械類の間を猟犬のように敏捷に縫いまわり、早口にしきりに部下を指揮している。だから話懸ける隙もないのだった。
「何事が起こっているのだろうね、ホーテンス」
ドレゴは酔いも醒め果てて、アメリカの記者の腕を揺すぶった。
「分らない。しかし博士が予期していた以上の驚愕にぶつかっていることは事実だ」
やがてこの調査団室の風が一先《ひとま》ず鎮まる時が来た。それはワーナー博士が自席に戻りハンカチーフで額の汗を拭ったことによって知れた。
「何事が起こったんですか、ワーナー博士」
ホーテンスが、待ち兼ねた質問の矢を放った。
「煙草を、誰か……」
博士が記者の方を見た。水戸が、ケースを博士に差し出した。そして博士の指に摘まれた紙巻煙草の一本に、ライターの火を移した。博士は、貪《むさぼ》るように強く煙草を吸った。
「予想以上に奇怪なる海底地震にめぐり合ったのだ」
博士は、夥しい紫煙の中から、そういった。
「ほう。でも、われわれは自分の身体に地震を感じませんでしたがね」
水戸が早口に言葉を挿んだ。
「もちろん計器の上に感じた地震だ。すごい伝播速度のものだ。秒速二千四百キロメートルを観測したよ」
「なるほど、普通の地震の場合の三十倍以上の高速ですね」
「ふうん、君は勉強しているね」と博士は水戸の顔を見直していった。
「伝播速度だけの異常ではない。その他、波動法則にも普通の地震に見られない異常性が認められる。殊に合点のいかないのは、それに続くべき余震らしいものが発見できないことだ。もっとも、もっと時刻が経って起こるのかも知れないが、それにしても、もう相当時間が経っているんだから変だ」
ワーナー博士は、自ら観測した結果について、休みなく語り続け、博士の指にある煙草が幾度となく消えたが、水戸はその度に、ライターを摺《す》った。
「で、地震は今どうなっているのですか」
ホーテンスが訊いた。
「今ちょっと落着き状態にある。とにかく敏感な計器は皆針を飛ばしたりなんかしたので、この間に次の観測の準備をしなければならない」
博士は、研究員たちの忙しそうな姿へ目をやった。
その後にも引き続いて起こるかと思われた海底地震が、予想を裏切って一向に起こらなかった。また余震が全然観測されなかった。
「変だね、あれだけの顕著な地震に余震がないなんて……」
と水戸は呟いた。
「余震がないということはそんなに怪しむことかね」
ドレゴがパイプを口からもぎ取って、目を剥《む》いた。
「そうだろう。地震には余震が付きものなんだから……」
「そうかね。僕には、ぴんと来ないがねえ。何かもっと目に見える派手な事件でも、起こって呉《く》れなくちゃ、僕には異常現象たることが諒解できない。ああ、とにかく草臥《くたび》れたよ。外へ出て、冷い潮風に当たって来ようや。君もちょっと出ないか」
ドレゴが誘ったので、水戸記者もそれに応じて、この無電室を出た。
縹渺《ひょうびょう》たる大西洋は、けろりんかんとしていた。どこに海底地震があったという風だった。
「護衛艦たちは、いやに遠くへ離れちまったねえ、水戸君」
「うん、観測の邪魔にならないように、本船の間に相当の距離を置いたんだろう」
「そうかなあ。あれは駆逐艦らしいが、いい格好だねえ。おや、どうしたッ。変だぞ、あの艦は……」
ドレゴの声が驚愕に変わった。彼が指した方には海面からふわりと煙のように持上がる黒い固まりがあった。それは紛れもなく艦らしい形をしていた。が、突如として真赤な閃光に包まれると見る間に、天空に四散した。
怪また怪! 第二の怪事件起こる。
鍵は何処に
意外なる第二の怪事件突発に調査団員も護衛艦隊の乗組員も共に、大驚愕のうちに生色を失った。おお、吾々は気が確かであろうか。吾々は夢を見ているのではなかろうか。夢でなければ今我々は生命の危険に瀕《ひん》しているのだ。どうしたら、それから免れることができるだろうか!
その中に、さすがワーナー博士は誰よりも落ち着きを保持していた。博士は、サンキス号の観測室から、同じ船に坐乗している護衛艦隊の司令ペップ大佐に対し、適切にして明快なる指令を発した。
「ペップ司令、われわれは即時トップ・スピードでこの海底地震帯から脱出しなければならぬ。但し駆逐艦二隻は、しばらく現場に停り、不幸なる駆逐艦D十五号の遺留品を出来るだけ多く収容したのち、速やかにわれわれの跡を追うように取計《とりはか》られたい」
この指令を、高声器から受取った司令ペップ大佐は愕然《がくぜん》と正気に戻った。この司令はさっきからずっと船橋の展望|硝子《ガラス》戸を通して海上の恐ろしい惨劇に魂を奪われていたのだった。
「御尤《ごもっと》も。直ぐ発令します、ワーナー団長」
二分間ほど間をおいて、ワーナー博士のところへ司令から報告があった、司令は博士の指令を実行に移したと。その頃にはサンキス号も際《きわ》どい急回頭を終わっていた。先刻までは右舷から差し込んでいた夕陽が、今は反対に左舷から脅かすような光を投げこんでいる。ひどい震動が乗組員たちの足許から匐《は》いあがってきて脳裡にまで響いた。サンキス号は今や最高速力をあげ、第二の怪事件の起こった現場から死物狂いで脱出しつつあるのだ。
三人の新聞記者たちも、それぞれの形態でこのすさまじい戦慄の空気の中に息を停めていた。ドレゴは水戸にすがりついて震えていたし、水戸は水戸で火の消えた煙草をしきりに吸いつつ硝子戸越しに泡立つ海面へ空虚な目を停めていた。ホーテンスは拳をこしらえて彼の頸のうしろをとんとんと忙しく叩きながら、わけも分からぬ言葉を繰返していた。誰も気が変になったように見え、或いは生ける屍のようにも見えた。
白髪|赭顔《しゃがん》のワーナー博士は、愛用のパイプから紫煙をゆるやかにくゆらせていた。博士は、ちょっと首を左右にふり向けて室内を見渡した。この部屋にいる者の顔色を打診したのであろう。博士の表情が少し硬くなった。彼はパイプを握った方の手をあげて、部下達の方へふり向いた。
「われわれはもう危機を脱した。心配することはない。あと五分で、みんな配置から解放される。――記録だけは大切に保管して置くのだよ」
博士のこの言葉に、期せずして一同の口から大きな溜息がとび出した。が、誰もまとまった言葉をいう者がなく、聞こえたのは呪いの声だけであった。
真先にワーナー博士のところに近づいたのはホーテンスだった。続いて水戸がドレゴの腕を押しながら、それに加わった。
「団長、ありゃ何です。今のあのすごい爆発はどうして起こったのですか、あの駆逐艦の失態ですか、それとも――それとも異常海底地震の禍いですか、まさかそうではないでしょう、では何とあれを説明しますか」
平常のホーテンス記者の冷静がどこかへ隠れてしまっている、彼は大きく喘《あえ》ぎながら博士の前に迫った。
「さあ、今は分からないという外あるまいね」と博士は首を左右に振った、「だがたいへん幸運な収穫だ、われわれは、第二の怪事件を、自分の目で一伍一什《いちごいちじゅう》はっきりと観察することが出来たんだ」
「それはそうです。しかし博士あの爆発事件について、どういう感想を持たれますか。例えばあの事件とゼムリヤ号の間にどんな関係があると考えられます」
ホーテンスは猟犬のように迫った。
「それは興味ある問題だ」博士は肯いた。
「それがはっきり分かるときは、ゼムリヤ号事件も先刻の事件も共に解けるだろう。が、わしの手許には、まだこの問題を解くべき何の因子も集まっていない。むしろ……そうだ、むしろ君がたの意見を聞いて参考にしたいくらいだ」
博士は、あべこべに問題をホーテンスの方へ押しやった。
ホーテンスは、うむと呻《うな》った。それから彼は数秒間咽喉を鳴らしていたが、やっと決心を固めたという風で、口を開いた。
「僕の感じたところでは、さっきの駆逐艦爆発事件はゼムリヤ号事件よりもっと楽に解ける事件じゃないですか。僕の見たところで、まさか、さっきの事件は明らかに原子爆弾の攻撃によるものだと思いますよ。艦体が海面からもちあげられ、そして火焔に包まれ、それから煙のようになって四散し、天へ昇っていきましたからね。だからあれは海中で原子爆弾の攻撃を食ったのに違いありませんよ。ゼムリヤ号の場合はそれとは違うと思われる。だから両者は別物ですよ」
ホーテンスはここで言葉を停めて、博士の顔色を窺った。博士はちょっと眉の間に皺《しわ》をこしらえただけで、何ともいわなかった。
「僕は同じ原因から起こったことだと思いますがね」
水戸記者の声だった。ホーテンスはふり返って水戸を認めると、笑いながらもっと前へ出て喋れと合図をした。水戸記者はホーテンスと反対の意見だが、何を考えているのであろうか。
博士の冒険計画
「水戸君の説は、どうなんだ」
ワーナー博士はパイプに新しい煙草を詰めながら、東洋の記者の面に一瞥《いちべつ》を送った。
「毎度のことながら、僕の説には、はっきりとした證拠の裏附けがないのが遺憾です」
と水戸は本当に残念そうな顔をした。
「が、二つの事件は同一手段によったとしか考えられません。もちろんさっきの事件も、原子爆弾によるものとは思われない」
「なぜ原子爆弾でないというのかね」
「ホーテンス君。君だってその点については充分疑問を持っているのではないかね。もしあれが原子爆弾だとしたら、いくら水中での爆発にしろ、あの駆逐艦D十五号だけがあんなにひどく損傷して粉砕したばかりか全部が気化してしまうことはないだろう、恐ろしい力だ。それにも拘《かかわ》らず僕が乗っているこのサンキス号を始め、僚艦は大した損傷を蒙っていないではないか。だからさっきのを原子爆弾と見ることは正しくないと思うのだ」
水戸はここでちょっと言葉を停めて、博士の顔を見た。博士は軽く肯いてみせた。
「そうはいったが、ゼムリヤ号の被害状況と駆逐艦D十五号のそれとは非常に異なっている。本事件の怪力の攻撃を受けてD十五号があのとおり粉砕気化するものなら、なぜゼムリヤ号は粉砕気化しなかったのか。明らかに二つの事件には相違がある。これが僕の同一原因説なんだよ、水戸君。だからこそ僕は新しい原因説を出した」
ホーテンスは熱心に水戸を見詰める。
「ところがねホーテンス君。これは博士に笑われると思うが僕は一つの仮定を置いたのだ。その結果、二つの事件に同一原因説を敢えて圧しつけているわけだが、つまりこうなんだ、その仮定というのは――」
「ふう」
「……同一原因による力が働いたんだが
前へ
次へ
全19ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング