きないだろう。われわれは一層協力しなければならぬ」
 そういって、この烱眼《けいがん》なる記者は、ドレゴと水戸の手をかわるがわる握ってこの困難なる仕事への再発足《さいほっそく》を激励し合った。が、この三人が重要問題としている点は、一般にはさほど重視されていなかった。新聞や放送におけるこの事件の報道の焦点は、やはり、如何なる怪力がゼムリヤ号を高い山頂へ搬《はこ》んだか、ということにあった。それは興味の点からいっても当然であろう。
 この事件が発見された当時は各紙とも、この問題の解決に殆ど無能力に見えた。なにしろ一万数千トンもある巨船が、海抜五千米のヘルナー山頂へ引掛《ひっかか》っていることをどう説明したらいいか、途方にくれたのは当《あた》り前《まえ》であった。その点において、事件発見者のハリ・ドレゴが、“巨船ゼムリヤ号の発狂事件”と題名をつけたことは、寧《むし》ろ彼の頭脳のよさを証明していたものといっていいのだ。そうだ、ゼムリヤ号は発狂でもしなければ、そのような狂態を示し得ないであろう。
 しかし、ドレゴの選んだこの事件の題名も、そばに居合《いあ》わせた水戸宗一の意見によって改訂され“地球発狂事件”として報道されたのであるが、この一層奇抜な題名は、今も尚《なお》この事件の題名として全世界に公認され、使用され、そして愛用されているのだといって誰もが本気になって“地球が発狂した”とは考えているわけでない。それはジャーナリスティックな奇抜な事件題名としてその感覚を買われているだけのことであって事件内容に触れ、そして事件の謎を解釈するものとしているわけでない。
 如何にこの事件の謎の解決が困難であるにせよ、時間の経過は、この事件の解決案を要求してやまない。全世界に亙る読者と聴取者とは、日の経つに従って焼けつくほどの熱心さを以てそれを新聞社や放送局へ求めるのであった。求められた方では全く弱ってしまった。そこで少しでもこの謎について発言して呉《く》れそうな人物を探し、或は、ここぞと思う筋を衝《つ》いて報道の資料とした。
 この困難な解決案の収集において現われたものを分類すると、凡《およ》そ顕著な傾向を示すものが四種類あった。その一は“この事件は殊更《ことさら》人騒がせをして大儲を企んだインチキ事件である”としてかかる陰謀者がヘルナー[#「ヘルナー」は底本では「ヘレナー」、26−下段−22]山頂へ材料を搬《はこ》び汽船を組立てておいて自ら騒ぎたてたものだとした。しかしこれは現場を検分したことのあるものなら明らかに不適当な解答だと認定することが出来る。その二は“この報道は一種の四月馬鹿的報道であって、ヘルナー山頂にはそういう事件の事実はないのだ”という説である。しかしこれは全然無意味だ、何故ならヘルナー山頂には確かにそうした事実が厳然として存在しているのだから。その三は、奇跡説ないしは怪談説である。つまり、“超自然現象”とするものである。これは余論もあろうがともかくも一説をなしている。しかし然らば如何にしてこの奇跡ないしは怪談が生じたかという説明がつかないかぎり、事件の解答として満足すべきものとはならない。ドレゴの感覚から摘出した“ゼムリヤ号発狂事件”や、水戸の唱えている“地球発狂事件”は共にこの範疇に入るものといってよろしかろう。最後の第四説として“原子爆弾説”がある。
 この説によると、その事件の当時、某国が秘密裡に某海域においての実験を行ったのであるが、ゼムリヤ号は不幸にしてその実験現場附近を航行していた。そのために原子爆弾の巨大なる爆風に吹き飛ばされた結果、あのようなことになったのであろうというのである。この説は、四種類の答案中最も現実性を帯びているために、日と共に有力となっていった。と同時に、世界に第二の原子爆弾製造国が現われたのかも知れないという点で、原子爆弾の偉力に常に戦慄《せんりつ》を禁じ得ない世界人類に別個の刺激を与える結果となった。そして人々は、果してそうかどうかを一日も早く確かめたかった。
 このことについて更に一層人々の関心を高めたものは、世界における原子エネルギー学の権威として知られているワーナー博士の発言であった。博士は研究室において意見を発表して曰《いわ》く、
「ゼムリヤ号を高山|頂《いただ》きにおいて座礁せしめることは、原子エネルギーによるに非ざれば不可能である」
 と述べたのであった。

  鍵は大西洋に

 二つの台風の中心が双方から近づいて一つに合体し、更に一層猛烈な新台風を作ったかのように本事件は大沸騰を始めたのであった。そして、第二の原子爆弾製造国が現実に現われたかのように思い込んでしまう人々が多くなったばかりか、その製造工業に成功した某国とは一体何処なりやという点について熱心な論議が行われるようになった。
 だがこの論議は、その影響するところの重大性に鑑《かんが》み、明らかなる国名は新聞や放送には発表されなかった。つまり遠慮されたのである。
 しかるに別途、一つの疑惑に火がつけられた。それは、ゼムリヤ号がソ連船であり、そして驚異の性能を持った新鋭砕氷船であり、その行動も事件発生の三週間前から杳《よう》として謎に包まれているのにも拘《かかわ》らず、ソ連側からは一向何らの弁明すら発表されていないのはどうした訳かというのであった。そのために、問題の某国とはソ連のことではないかという臆説までが飛び出すようなことになってしまった。
 そういう最中にソ連側の釈明が、ようやくにして公表されるに至った。その釈明は非常に簡単で、次のようなものであった。
 “ゼムリヤ号は赤洋漁業会社の要求によりマルト大学造船科が設計した世界一の新鋭漁船である”
 かかる世界に誇るべき国宝級の船舶を何故に我国は自らの手を以て破壊するであろうか、また同船の乗組員は船長以下、国賓級人物を以て組織せられていたが、かかる人物を全部何故に自ら喪《うしな》うであろうか、釈明文は簡単であったがそれまでにおける世間の無責任なる憶測を一撃氷解させるだけの偉力があった。果して多くの人々が、この釈明に頗《すこぶ》る満足の意を表すると共に、かかる立派なる釈明があるなれば、何故にもっと早期において発表されなかったかを遺憾《いかん》とする者もあった。とにかくこの釈明によって、原子爆弾の秘密実験を行った某国というのはソ連ではなかったことが明瞭となった。この釈明の出た直後は、世界の隅々までにこの報道が行渡り話題としてにぎわった。ドレゴと水戸の両人もまた午後三時のお茶をのみながら、この事について語り合った。
「僕はてっきりそうだと思っていたがね。だから僕は前にホーテンスにそのことをいいかけて、周章《あわ》てて口を噤んだのだ。彼を無用に刺激《しげき》したくはなかったのでね」
 ドレゴがいった。水戸は黙って肯いた。
「おや、君は何か別の意見を抱いているのかね」
 ドレゴが、水戸の硬い面を凝視した。
「いや、僕は始めからあの国を疑ぐりはしなかった。しかしあの国は何故“ゼムリヤ号は当時|賑《にぎや》かな大西洋を航行中だったんだから、そのような嫌疑は無用である”という謂い方で釈明しなかったんだろうか。この事実を投げ出せば、釈明は一言でもって明瞭に片附くではないか、それをしないであのような謂《い》い方《かた》の釈明を採用したのは一体どういう訳だろうかね」
 そういって水戸記者は、静かにドレゴの面を見詰《みつ》めた。ドレゴはくすりと笑って、顔を右へ振った。
「おお、可愛想な東洋の哲学者よ、何故君はそんなに懐疑を恋人として楽しむのかね」
 それを聞いて水戸ははっと顔を硬くした。が、すぐさま元の何気ない表情に戻って、
「これは哲学ではない、事件真相の探究だ。悪くいっても推理遊戯の程度さ」
 水戸は軽く笑って、冷たいコーヒーを飲み干した。
「そうかねぇ、それにしてもあの事件の真相だが、原子爆弾の実験説を支持するとして此際《このさい》僕等はどの国へ嫌疑を向けるべきだろうかね、もちろんアメリカとソ連は吟味ずみで、その埒外《らちがい》だ。そこで僕は今、その嫌疑を……」
「待ち給え!」と水戸は小さく叫んだ。
「この事件は原子爆弾には無関係だよ。何故そういうか。これは現在の僕の力では十分に確かめるわけに行かなくて遺憾ではあるが、とにかくこの事件は従来地球上で信じられている法則を破っている点に注目したい」
「すると結局かねて君の自慢の命名、“地球発狂事件”に収斂《しゅうれん》するわけじゃないか。抑々《そもそも》どこを捉えて本事件を“地球発狂”というか、ということになる」
「真面目な話だが、僕は思うのに、この事件を解くには、ヘルナー山頂のゼムリヤ号にたかっていたのでは駄目で、寧《むし》ろ大西洋の海底全域を探す方が早いと思う」
「はははは、大きなことを云うぞ、君は。おい水戸、誰がそんなことを実行に移すだろうか。大西洋は広く且つ深いのだ。全域に亙って探すということになれば一年懸るか二年懸るか分らない」
「いや、それには探《さが》し様《よう》があるのだ。普通のやり方では勿論駄目だが僕の考えている方法でやるなら四週間位で結果が出ると思う」
「ふふふふ、すごい法螺《ほら》を吹くぜ、君は」
 と二人が盛んに論じ合っている卓子《テーブル》へ、入口から入って来た若い男がつかつかと歩み寄った。
「おう、ドレゴ君に水戸君」
「やあホーテンス君だよ」
「へえ、そうかね、何事だい」
「一つの機会が、今君達の前にある。どうかね、これからワーナー博士の調査団に加わって一週間ばかり船旅する気はないか」
「ワーナー博士って、あの原子核エネルギーの権威であるワーナー博士のことか」
 と水戸は、せきこんで訊《き》いた。
「そうだよ」
「ふうん、すると大西洋の海底を探《さ》ぐるんだな」
「ほう、よく知っているね」
「ぜひ連れていって呉《く》れ。事件の鍵はあそこになければならないのだ。おいドレゴ君、君も是非行くんだ」
 水戸は何時になく昂奮して叫んだ。

  異常海底地震

 その朝、オルタの港へ、一隻の奇妙な恰好をした船が入って来て、町の人々の目をみはらせた。いやに四角ばった殺風景な船で、甲板の上には橋梁《きょうりょう》のようなものが高く組んであり、後甲板は何にもなく平らであった。白いペンキ塗装ばかりが美しく、そして船尾に目もさめるような星条旗がはためいていた。
 掃海船サンキス号だった。
 掃海船とはいうものの、この船は水上機母艦と同じ役目もやってのけた。町の人々は怪飛行機が橋桁の上にのっているのを見つけた。それがばっと煙をあげて、いきなり船を放れたのには驚いた。続いて大砲を撃ったような音が聞え、その船はカタパルトを持っていたんだと始めて気がついた者もあった。
 この掃海船サンキス号こそ、ワーナー博士調査団の用船だった。
 ジム・ホーテンス記者は、ドレゴと水戸とを伴って乗船した。そして前甲板の喫煙所で団長ワーナー博士に二人を紹介した。
 博士は白髪赭顔の静かな人物だった。
「おおドレゴ君。ゼムリヤ号事件の発見者たる名誉に輝くドレゴ君ですね」
 博士は目をぱちぱちして、ドレゴの手を握って振った。ドレゴは、少女のように耳許《みみもと》まで真赤に染めて、博士に挨拶をした。
 水戸も丁寧な礼を博士に捧げた。
「まあお掛けなさい。間もなく出港ですから」
 博士の言葉に、四人は籐椅子の上に落着いた。博士はパイプを咥《くわ》えた。
「ゼムリヤ号事件については原子爆弾説が圧倒的だった中に、水戸君はワーナー先生と同様に、大西洋にゼムリヤ号事件の鍵があると主張して断然異説をたてていた人です」
 と、ホーテンスは博士に紹介した。
「それは愉快だ。で、大西洋についてどういう予見を持っておられるかな」
 博士の問いに、水戸は何かを応えなければならなかった。
「私の説は、まだ証拠がないのですから、大した価値はありませんが、推理としてはゼムリヤ号があの事件当時居た大西洋で、まさか原子爆弾の実験が行われる筈はないと思ったからです」
「なるほどそれは同感だ
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